シスターセイヴァー
「そのセーバーとセイヴァーの違いはわかったけどさ、なんで姉ちゃんがあの世で仕事なんてやっているわけ?」
「んーっとね」
姉ちゃんは唇に人差し指を当てた。考えるときの癖みたいなものらしい。そういえば生前も同じ仕草をしていたことを思い出す。すごく似合っていてかわいい。……って何を口走ってるんだ、俺。
「本当なら奪衣婆と懸衣翁って二人が三途川の監視員をやっているんだけど、その奪衣婆が持病のぎっくり腰を痛めちゃってね。今は入院しているの」
「は? 入院?」
「うんっ。三途川二丁目に賽の河原病院っていうのがあるんだよー。死んでみると、あの世もけっこう奥が深いよね」
姉ちゃんはしみじみと語った。
奥が深いかどうかはともかく、死人ばかりのあの世に病院が存在していたことは驚きだった。いったいなんの治療が必要だというのだろうか。
俺の疑問に先回りして姉が続ける。
「生前にばらばら殺人死体になった魂なんかは、外科的な手術を受けることができるんだって。もちろんお金が必要だけどね」
「まさに地獄の沙汰も金次第」
「そそ。でね、懸衣翁は奪衣婆の看病に付きっきりだしで代わりの人が必要になったの」
なるほど。そこで姉ちゃんの出番ってわけか。
「でもさ、なんで姉ちゃんなんだよ?」
他にも代わりならいくらでもいそうなものだ。
「んーっと、音羽がお仕事を始めることになったのには地獄の底よりも深い事情があるんだけど……」
近所の主婦たちが井戸端会議でないしょの話をするかのように、右手を左頬にあて顔を近づけてくる。同い年で美人な女の娘の顔が目の前にあって俺はどきどきした。相手は実の姉だぞと言い聞かせる。というか姉ちゃん、そんな格好は古いドラマでしか見たことないよ。
「閻ちゃんっていう鬼のように怖~い人が居てね、『お前、溺れた奴を助けるの得意そうだから監視員やれ』って命令されちゃったの」
つまり姉が成仏できない理由は、監視員――ライフセイヴァーの仕事があるせいらしかった。
ひどいよね。ひどすぎるよね。と、なみだ目になりながら両手を組んで同意を求めてくる。俺は返答に困り、咄嗟に思いついたことを口にした。
「だったらこれからは俺が姉ちゃんの仕事を手伝おうか?」
「本当っ!? 音羽うれしいっ!」
姉ちゃんは目を輝かせて俺に抱きついてきた。不意打ちに俺は床にたおされた。自然と姉ちゃんが俺に覆いかぶさるような形になる。いい香りのするストレートロングの髪が鼻にかかってくすぐったい。早鐘のように心臓が打つ。静まれ。俺の思いとは裏腹に鼓動はさらに加速した。
「姉……ちゃん?」
姉は上半身を起こした。無邪気に微笑み、美しい漆黒の髪を片手でかきあげた。その仕草が妙に色っぽく、年上のお姉さんという感じがした。
「でも、けいちゃん泳げないのに大丈夫なの?」
「うっ……まあ、それは……」
痛いところを突かれて俺は目をそらした。
「……ぷっ! あははっ」
姉はたまりかねたようにふきだした。涙まで流して笑っている。
俺の顔が一瞬で火照った。
「なんだよ、笑うことないだろ!」
「ごめんね。けいちゃんが昔と変わらず優しいからうれしくて、つい」
姉ちゃんはずるい。俺は心の中で抗議した。怒りの矛先を失い、仏頂面を作るとそっぽを向いた。
ごめんね、ともう一度あやまって、姉ちゃんは涙を指ですくった。
「けいちゃんの気持ちはすっごくうれしいけど、音羽ひとりでがんばるよ」
「え?」
予想だにしない言葉に俺は姉を見返した。
「別に本気で怒っているわけじゃない――」
と言いかけたところで、彼女は人差し指を俺の口にそっとあてた。
それだけで俺は魔法がかかったように何も動けなくなった。
姉ちゃんは、言わなくてもわかっているよという風にうなずいた。
「だってこの仕事は私にとって――」
そのときだった。けたたましい音が鳴り、最後の方の言葉はかき消された。
「わっわっわっ」
慌てた様子で、スカートのポケットから黒くて平べったいものを取り出した。形状から推測してケータイ電話で間違いない。
あの世にも電波が来てるんだ。そんな場違いなことを俺は思った。