警吾のお宅訪問
夏の太陽の陽射しが容赦なく照りつけるマンションの壁は白く輝きまぶしい。
俺たちは、目的の部屋を目指し階段をのぼっている。つうーっと、整った卵型の顔のラインをつたって汗が流れ落ちる。
俺はちらりと後ろに目をやった。大男が俯きながらついてきている。表情が見えないところがなんとなく怖い。
そんな俺に気がついたのか、大男が口を開いた。
「なんでマンションなのにエレベーターがついてないのよ」
「……たしか建築基準法で6階以上はエレベーターを設置しなきゃいけないんだけど、5階までならつけなくていいんだよ。だから、市営マンションなんかは経費削減で5階建てが多いんだとさ」
建築家の娘なのにそんなこともしらねーのかよ。と言いそうになって黙った。何も自分から火に油を注ぐことはない。それに、親に同じ質問をして聞いた答えの受け入りだから実際に本当なのかどうかもわからないしな。
「うちなんか戸建てでもエレベーターのひとつぐらいついているのに、マンションにないなんて信じられないわ。バカじゃないの?」
むかっ。知るかよ。そんなこと。俺だって好き好んで住んでいたわけじゃない。それぞれの家庭には分相応ってもんがあるんだよ。
「……。ならついてこなければよかっただろ。俺一人で来た方が手っ取り早かったのにさ」
「あんた一人にしておくと何しでかすかわからないから監視のためについて来てあげたんじゃない。だいたい、入れ替わったのなら自分の家ぐらい知ってなきゃおかしいって言い出したのはそっちでしょ!」
「あーそうでした。俺が悪かったです。ごめんなさい」
俺は細い指で流れ落ちる汗をぬぐった。
確かにそう言った。認めるのは大いに癪だが、今の俺、薬院蒼流の姿は美少女すぎる。もし近隣の住人にひとりで俺の家に入っていくところを目撃されたら変な噂が立ちかねない。
かといって警吾一人だけで俺の部屋に行かせるのは不安だったし。
「……で何階まで行くのよ」
「最上階、5階の突き当たりまでだ」
警吾は返事をする代わりに、肩をすくめてうんざりとした表情をつくってみせた。くっ……殴り倒してえ……。俺は拳を握りしめて感情を押しつぶした。
真夏の昼間のこと。誰ともすれ違わないのは幸いだった。懐かしの元我が家についた。って昨日の一件以来だからまだ一日も経っていないんだけどな。早速、鍵を差し込んで開けようと……したところで手首をがしっとつかまれた。
「な、なんだよ、いきなり」
「あんたバカなの? なんのためにあたしがついてきたと思ってんのよ。あんたの姿は今、あたしの姿だってことわかってる?」
「うぐっ……」
そうだった。暑さと懐かしさから入れ替わったことをすっかり忘れていた。
「習慣って身体が入れ替わっても記憶として残っているんもんだな」
ほらよ。俺は玄関の鍵を投げて警吾に渡した。
「鍵ひとつで玄関が開くなんてセキュリティは大丈夫なのかしら」
いやいやいや。お前の家が過剰セキュリティなだけだってば。こいつは一般家庭がどんなものなのか知らないのだろうか。
「開けるわよ」
「どーぞ。ご自由に」
扉が開け放たれると、マンション独特のひやりとした空気が頬に伝わる。
うおっと後ろ手で扉を閉めようとして俺は転びそうになった。警吾がいきなり前のめりになって倒れたからだ。
警吾が鼻を押さえながら立ち上がる。
「……いっ痛―。玄関狭すぎッ! いきなり一段あがってすぐに廊下って罠なの!?」
んなこと言われても仕様だし。
「いいから、靴脱いでさっさとあがれよ。で、俺の部屋は廊下の右の部屋な。とりあえずそこでゆっくりしていてくれ」
「わかったわよ。お……おじゃましまーす」
警吾はおそるおそるといったていで廊下を進んでいく。やれやれ。俺はドアを施錠すると、靴を脱いで上がり、慣れた足取りで廊下を突き当たりまで進んだ。リビングの冷蔵庫を開け、麦茶を取り出し、コップに注いでおぼんに載せると自分の部屋に向かった。
警吾が部屋の中央で興味深そうに部屋内を観察していた。
「ふぅん、意外とキレイにしてるじゃない。男子の部屋ってもっとごちゃっとしているものとばかり思ったわ」
「そりゃどーも」
俺は机の上においてあったエアコンのスイッチを入れると、お盆を置いた。
「うりゃ」
「!?」
警吾はいきなりかがむとベッドの下を探しはじめた。
「あら残念。見当たらないわ」
「? ……。!」
ぷっ……。まさかこいつエロ本でもあると思っていたのか。んなベタなところに今時隠す奴がいるかっつーの。
笑いをこらえながら、何気なくベッドの上を見た瞬間、とんでもない物が目に飛び込んで俺は瞬時に真顔にもどった。
「うひぃっ」
俺はビーチフラッグの旗を取るようにしてベッドの上にダイブ。同時に素早くベッドの上に散らばっていた本を手にとり後ろに隠した。
警吾は上体を起こすと俺に目をやった。
「いきなり何?」
「いや、べ、別になんでもない」
俺が後ろに手にしているもの。それは友達のライカが置いていったエロゲー専門誌テックジャイアントだ。親父たちが留守にしているものだから、この手の本を隠す必要がなくベッドの上に置きっぱなしにしていたことを忘れていた。あまりに自然に置いてあるものだから、部屋に入ったときに逆に警吾は気づかなかったらしい。
「嘘。あやしい。何か後ろに隠したでしょ」
「なんでもないって言っているだろ。よ、よよよ余計な詮索はやめたまえ!」
「……あんた口調がおかしくなるぐらい動揺しているわよ。見せなさい」
俺の手から本を奪おうと、二本の腕が押し寄せてくる。俺はつかまれまいと必死に身体全体をよじってガードする。しかし、それも限界だというときに、ふいに警吾の動きが止まった。警吾の腕の先を見ると、俺の平坦な胸に触れていた。
「ん? ん?」
自分の胸と警吾の顔を交互に見る。この状況って……。警吾の顔がみるみると朱色にそまっていく。
「ば……ばか、ヘンタイ! 何、胸触らせてんのよ!」
「げふすっ!」
両腕で思い切り突き飛ばされてベッドと隣接する壁にぶつかった。本はうまいぐあいにベッドと壁の隙間に落ちていった。こういうのを災い転じて福となすというのだろうか。それにしたって災いの方が大きすぎる気がしないでもないが。
ずさりと身体を落としながら俺は言った。
「……自分から胸に当てにいって殴るとか斬新すぎる……だろ」
「あ、あんたが触らせるから悪いのよ!」
あーもうむちゃくちゃだよこの人。
 




