戦慄の入浴時間
空腹もとりあえず満たされて俺はソファーにすわりリモコンのひとつを手にとった。警吾はというと食べ終わるとリビングを出てどこかへ行ってしまった。たぶん自分の部屋にでも行ったのだろう。
俺はテレビをつけてニュース番組をチェックする。今朝の公園での出来事がニュースになっていることを期待して見たのだが、何も取り上げられていなかった。霊体になっているときに空から見た巨大な柱のようなものはなんだったのだろうか。あれほど巨大で質量があるものが地面に落ちたならばそれ相応の衝撃音があったはずだ。それなのに学校で話題にしていた奴もいなければニュースにもなっていない。なんとも不可解だ。
ニュース番組が終わり、時刻は八時になっていた。いつもなら身体を軽く鍛えて、風呂に入る時間だ。
「……風呂か」
俺は言葉にだしてもう一度反芻した。風呂に入るということは当然裸になるということで……。俺は俯いて顔が紅潮するのを感じた。べ、別にやましい気持ちなんてないぞ。風呂に入るのに裸になるのは自然なことなんだしな。それに自分の身体を見て恥ずかしがってどうする。半ばいい訳がましくなるのを自覚しながらも自分に言い聞かせる。
そんなことを考えていると、ちょうど警吾がリビングの扉を開けて部屋に入ってきた。
俺は自然体を装いながら言う。
「散歩して汗かいたしさ、風呂に入ってさっぱりしたいんだけどなー」
「そろそろ、そうくる頃だろうと思っていたわ」
不敵な笑みを浮かべる警吾に俺は不信感を抱いた。私服に着替えるだけで厳重な監視をつけていたこいつのことだ。普通に風呂に入らせてくれるとは到底思えなかったからだ。背筋に嫌な汗が伝った。とてもいやな予感がした。
数分後。俺は風呂場の中央の腰かけに座っていた。シャワーから出るお湯を頭からかぶる。
背後から耳元に声がする。
「いくわよ」
「お、おう」
俺は返事をして身構えた。にゅっと背後から手が伸びてくる気配がした。
「ひゃうっ!」
突然に肌をまさぐる感触に俺は思わずかわいらしい叫び声をあげた。
「ふふっかわいい声あげっちゃって。次行くわよ」
「んふっ……い、痛い。もう少しやさしくしてくれよ」
「もう、初めてだから力の加減が難しいのよ。このぐらい?」
「ひうぃっ!」
ぞわりと背中をなでるくすぐったい感覚にびくりと身体が敏感に反応する。さっきから身体が火照るのは湯の熱さのせいだけではないだろう。次はどこから来るんだとついつい身構えてしまう。
「あたしの身体で変な声出すのをやめなさいってーの」
「そうはいってもなあ……ふぁっ! いきなり腰のあたりをすりすりするのやめろ! そこ……あうっ……弱いんだってば」
誰のせいでこんなことになってんだ。俺は涙目になって背後を睨み返してやりたかったが残念ながらそれは不可能だ。
なぜなら俺の目は目隠しされていて何も見えないからだ。
しかも風呂場にいるのは俺ひとりではない。
服を着た警吾もいっしょなのだ。
おかしい。何もかもが間違っている気がしてならない。
見えない背後に向かって俺は不満をもらす。
「だから俺はこんな変態プレイは嫌だって言ったんだ」
「へ、変態プレイとかゆーな!」
照れ隠しなのか警吾は力任せにごしごしとタオルで俺の背中をこすってくる。
「ひぎぃっ! むける! 背中がすりむけちゃう!」
密かに楽しみにしていたお風呂タイムがまさかこんな羞恥プレイを強要されることになろうとは思いもしなかった。俺は風呂に入る前の出来事を思い起こしていた。
俺が風呂に入る際に出してきた警吾の条件は目隠しをすることだった。もちろん俺はすぐさま疑問を口にした。
「そんな状態でどうやって身体を洗うんだよ?」
それに対する警吾の答えは簡潔かつ想像を超えるものだった。
「あたしがいっしょに入って洗ってあげる」
「ぶほっ!」
俺は思わず咳き込んだ。
「げほげほっ……。め、目隠し状態で風呂に入って、しかも、女性高生になった俺が男子高生のお前に身体を洗ってもらうだって!? マニアックにもほどがあるだろ!」
俺は猛然と抗議した。しかし、何も映していない虚ろな瞳をして警吾は頭を左右に振った。
「だめね。あんたにわたしの裸を視姦されるぐらいなら自宅ごと燃やした方がマシだもの」
「視姦ってお前……。俺だってこんな貧相な身体よりもっと出るとこでた身体の方がよかったぜ」
「視姦するだけで飽き足らず、また胸を揉むつもりだったのね。汚らわしい! 汚らわしいわ! このケダモノ!」
警吾は顔に両手をあて、立派な身体をくねらせていやいやをする。
その凄惨な光景をみて、どちらかというと獣っぽい身体をしているのは今のお前の方なんだけどなあ、と俺は思ったが口には出さなかった。
売り言葉に買い言葉でこのままでは埒が明かない。腕力ではどうせかなわないしと、しぶしぶ俺は警吾の提案を受け入れることにしたのだ。
背中と腕を洗い終えた警吾が淡々とした口調で言う。
「次、前洗うからこっちを向いて」
女子高生生活を満喫しようと決めた俺だったが、このときばかりは魂が元に戻ればいいのにと思った。そうすればこいつだって自分が今どれほど変態的な要求をしていることかに気づくことだろう。というか男側からすればご褒美以外の何物でもない。
俺は背を向けたまま、もじもじしながらか細い声で懇願した。
「この際、目隠し状態でいいからさ、前は俺に洗わせてくれねーかな。身体が入れ替わっても自分の大事なところを他人に見られるのは恥ずかしいんだよ……。今は女の身体なんだから変な気は起こさねーって」
しばしの沈黙。もしかして考えなおしてくれたかと期待したのだが、
「だめ。あたしは自分の身体なんて見慣れているから気にすることないわ」
返ってきたのは無慈悲な一言だった。俺はしぶとく食い下がる。
「だいたいさ、お前が風呂に入る時はどうするわけ? 同じように目隠しして俺に身体を洗わせるつもりか?」
俺は頼まれたってこいつの身体なんて洗ってやりたくもない。断固拒否するつもりだ。
「その点は大丈夫。あたしは一人で入るから。洗うときはタオルの両端をもってその……アレに直接触れないように気をつけるわ」
……理不尽すぎるだろそれ。俺はだんだんと怒りがわいてきた。思えば魂が入れ替わってからというもの、こいつの言いなりになってばかりだ。もう我慢の限界だ。反旗を翻すなら今しかない。
俺は目隠しをはぎとり、すばやく立ち上がると回れ右して中腰になっていた警吾の前に立ちはだかった。
「ふははははっ! 目隠しなんてやってられるか。見ろ! これがお前の身体だ!」
俺は開き直って高笑いした。やった。やってやったぞ。腕力に訴えかけてくるならかかってきやがれ。
警吾は限界まで目を見開いた状態のまま固まっている。今、警吾の目に映っているのは俺の――薬院蒼流の生まれたばかりの姿だ。
「おい? どうした?」
何の反応も示さない警吾に逆に不安になって俺は声をかける。警吾は俯いていきなり立ち上がった。お? やる気か? 俺はシュシュッとシャドーボクシングをしてみせた。警吾の肩がわなわなと震えている。
「ど」
「ど?」
「このど腐れ変態――――――――――――!」
警吾は絶叫して持っていたタオルを投げ捨てると風呂場から逃げるように去っていった。思いもかけない展開に俺は広い浴場にひとり残されて呆然とした。
「勝った……のか?」
口では強がっていたが、もしかしてあいつ自身も自分の姿を客観的に見るのは相当に恥ずかしいことだったのか? 視線を隣に移すと鏡の中の自分と目が合った。そこには湯に濡れて蒼い髪をしっとりとさせた美人がいた。視線を下に移すとほぼ平らな胸が……。
「!」
真っ裸の自分に急に恥ずかしさがこみ上げて、シャワーでさっと泡を落とすと慌てて風呂場から退散した。バスタオルでなるべく身体を見ないようにして拭くと、用意してあった水色のパンツをいそいそと穿いた。ブラもあったが勝手がわからなかったのでつけずに、半袖シャツをそのまま着た。おっといけない。制服のスカートのポケットから携帯を取り出して、ズボンのポケットにしまった。
脱衣場から廊下に出ると警吾が頭を抱えてうずくまっていた。
「犯された。あたしの身体犯されて穢されちゃったよう……」
……う、うん。今は何も声をかけずにそっとしておこう。俺はリビングに行き、冷蔵庫から飲み物を取り出すとテレビをつけて時間をつぶした。内容はまったく頭に入ってこなかった。




