世界の終焉
つかつかつか。
薬院はうつむき、無言で距離をつめた。そしておもむろに右手を高く掲げた。獲物を視界に捕らえた猛禽類に似た鋭い光が瞳に宿るのを俺は見た。
「滅びて死ね!」
空間ごと切り裂かんばかりの手刀が俺の首すじに狙いを定め振りおろされる。
「おごふぅっ!」
俺は再び無様な喘ぎ声をあげ、前のめりに突っ伏した。
薬院がその背中に情け容赦のない罵倒と蹴りを浴びせる。
「カッコつけてんじゃっ、ないっ、わよっ! このっ、ド腐れ変態がっ! 死ね!」
天使が天空から素早く降りてきてあの世へ旅立つテンカウントをとる声を確かに俺は聞いた。エイトカウントまで進んだときに、俺はごろごろと側転して蹴りの嵐から逃れた。
満身創痍で立ち上がる。
「くっ……いまのはマジでやばかったぜ」
俺はずきずきと痛む首筋をさすりながら、
「漫画なんかで相手を気絶させるときに首筋によくやっていることだけどさぁ、素人が力任せにやると最悪、相手を殺すことになるぞ」
「え、マジ? 力が有り余っちゃってつい」風をきりぶんぶんとうねりをあげて薬院が肩を回す。「これはこれで快感かもね」
風圧でふわりと前髪が浮いて良い香りがした。毛先を指でいじりつつ俺は思った。身にあまる力を手にしたとき、こいつは真っ先に世界を滅ぼすタイプにちがいない。
「なんだかんだいってお前もこの状況を結構楽しんでるんじゃねーの?」
「そ、そんなことあるわけないでしょ! バカ!」
照れ隠しに繰り出された掌底打ちをもろに食らって、
「ぐはァッ!」
俺の小さな身体はふたたび吹っ飛んだ。砂埃を舞わせて地面を転がったのち、大地を揺らす派手な音を立て木にぶつかり、ようやく止まった。
「きゅうー」
お星さまがみえるー。
「あれ? どこいったの?」
事態に気づいた暴君が、どすどすと足音を立てながら慌ててかけよってくる。
「だ、大丈夫? 生きてるぅ? わたしの身体?」
「……」
見事な連続コンボを叩きこんでおいてよく言えたものだ。あくまで心配なのは自分の身体かよ。あまりの衝撃にすぐには言葉がでなかった。洗濯機に放り込まれたかのようにぐらぐらと脳みそが揺れている。
でんぐり返しの途中の格好で、苦痛に顔を歪めながら息も絶え絶えにいう。
「俺を葬り去る気満々かよっ!」
「や、ごめん。どうも、力の加減がわからなくてさ。本当にごめんねっ」
てへっ。舌をちろりと出して謝る姿が、世界の終焉を思わせるほどに似合っていなくて腹が立つ。
「空に蒼い虹が見えるな」
俺は遠くを見るような目をしてつぶやいた。
「え?」
「薬院はしまぱん派――と」
「脳へのダメージが深刻なの?」
きょとんと目を丸くする薬院。頭を打っておかしくなったのかしら。心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。
「……んっ」
俺は顎で示した。豪快にスカートがめくれ隠しようもなく露になったしましまのパンツが薬院の視界に飛び込んだ。
「きゃああああああああ!」
顔をみるみるうちに真っ赤に染め上げると、ムンクの『叫び』と同じポーズをとって絶叫。
「何してんのよ、ばかっ! さっさと直しなさいよ! あんたは今、このわたしの――女の娘の身体なんだからねっ!」
大柄な男子高生が女言葉を使い、小柄な少女(俺)を立ち上がらせ、砂埃を手で払いいそいそとスカートを直す。怪しすぎる。もしもこの場に通行人が居合わせたならば、事件性を疑って通報されたかもしれない。
「……ったく誰のせいだと思ってんだよ」
「ごめんって謝ったじゃない。根に持つ男は嫌われるわよ」
「いいよ、だって今は女の姿だし」
さっきの仕返しとばかりに、唇の片方を吊り上げて笑った。
「うぐっ……」
悔しがる薬院を見て、少し気分がはれた。




