悪党スモーキンビリー
月光に残光煌き振り下ろされた赤黒い鋏は、その姿に言葉すらも失い震える売女の首筋に吸い込まれた。売女は首筋から噴出す鮮血を手で押さえながら、悲鳴すら上げる間もなく倒れる。
その目から光が消えゆく様を見詰めながら女は口元を緩め、獣の牙のような歯を覗かせた。
この数日、この界隈の売女を何人も殺し賑わせている殺人鬼を、裏に詳しい連中は亡霊と呼んでいた。暗闇から現れ女を狩り暗闇に消えるからだと、蔑みながら。
この界隈を仕切る組織の幹部には任侠として名を馳せたシブサワという男がいる。彼がこの悪辣な殺人鬼を消すと大方は予想していた。
「綺麗な、髪」
小さく呟き目を細めると、倒れた売女の美しい黒髪を掴み、強引に頭を引き起こすとそれを乱暴に切り裂く。歯にそれが絡み付くと小さく舌打ちをし、鋏を強引に引っ張り引き千切る。
次の瞬間、端正な眉を吊り上げると黒髪を掴んだまま何度も頭を地面に叩き付ける。激しい歯軋りの音が暗闇に響いた。
黒髪を掴んでいた手が血に塗れる。その手を見詰め頬を緩ませると、指に絡み付いた鮮血を舌先で丹念に舐め取り味わうが、吐き気を感じたのかその場で膝を付き胃液を吐き捨てた。そして力なく俯くとその場に座り込んでしまう。
その目には涙が浮かんでいる、その口からは売女の血と涎が垂れている、内太股まで捲れ上がったスカートから覗く下着は濡れ地面に小さな水溜りができている。
浅く開き熱い吐息を漏らしていた唇は、小さく痙攣していた。言葉にならない呟きは虚空に消える。
「これで五人目だな」
不意に女の背中に声が掛かる。その尖った声に女の身体が大きく震え、女はゆっくりと振り向いた。そこには鬱屈とし尖った眼をした男が、歪んだ口元に安煙草を咥えて立っていた。
「お前の旦那、まだ死んじゃいねぇぞ」
男のその言葉に、血塗れの女は目を見開いた。瞬間、強い吐き気から口元を両手で押さえる。見開かれた目は呆然と虚空を見詰めていた。
男の鬱屈とした眼は女の全身を舐めるように見回す。そして口の端を軽く上げると大きく溜息を吐き、乱暴に頭を掻く。
「あの女に手は出させねぇぞ」
女の目に光が戻る。男を睨みつけ小さく震えながらも右手の鋏を振り上げる。だがその瞬間、男はその鋏を握った右手を蹴りつけた。鋏は女の足元に転がる。
女は激しく眉を吊り上げ強く唇を噛みながら男を睨みつける。
「旦那は女を買って遊んでたんじゃねえ。足を洗うよう説得してたんだ」
その言葉が耳に届いた瞬間、女は顔を顰めながら目を瞑り、両耳を両手で塞ぎ頭を激しく振りながら、暗闇を切り裂くような絶叫を上げた。
男は穿った目でそれを見詰める。時折紫煙を吐きながら、女が落ち着くのをただじっと待った。
数分泣き喚くと女はその場で力なく俯いた。その瞬間、また強い吐き気を感じたのか、女は足元に胃液を吐いた。それを見定めた男は安煙草を地面に捨て踏み消し、ゆっくりと言葉を発した。
「吐き気が酷そうだな。お前、ガキでもできてんじゃねぇのか」
その言葉に、女は目を見開き下腹部を見詰めると、震える両手でまるで何かを包み込むように優しく触れた。不意にその目から険が取れ、涙が零れる。その姿はどこか、ミケランジェロのピエタにも似ていた。
「旦那の背中に爪痕を付けた女にも父親が分からんガキができた。新聞屋の集金やって必死に働いてるぜ」
そう告げると、男は新しい安煙草を咥え口元をまた歪め、目尻を軽く下げ暗闇の中へと消えた。
入れ替わりに姿を見せた初老の男の額には真一文字に切創が奔っていた。その切創と刃物のように鋭く尖った眼が、この男がただの老人ではないと告げていた。老人の背後には強面の男達が数人ほど控えていた。
「罪は償ってもらう。例え貴様が身篭っていようがいまいが、な」
老人の言葉に女は唇を噛み締め俯きながら小さく頷く。その頬を一筋の涙が伝った。
「連れて行け」
強面の男達は女を後手に縛ると、女を立たせて暗がりえと消えた。不意に青白い月明かりが女を照らす。女はそれを見上げながら頬を綻ばせた。