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絶望スモーキンビリー

 薄暗く散らかった部屋、小さなローテーブルに足を放り投げ黒いソファーにだらしなく座っているその男は、酷く鬱屈とした視線を宙に漂わせていた。

 何の気力もない、何の希望もない、ただ絶望するには何かが足りていない。全てにおいて中途半端な状態だった。

 それは単なる甘えであるといえばそうだ。そしてそれを本人も否定はしないことだろう。ただ今の自分の有様を他の誰の責任にするつもりもなかった。

 自分で選んで歩いてきた道だ。確かに真っ当な生き方ではない。世間一般で云う普通ではない。

 人に死を与えるような道ではなかっただけまだマシと云えばそうだ。その道だからこそ、学もないこの男でも大きな実入りを得ることができた。それは紛れもない事実であり、それを否定することはできない。

 学がないのは仕方がないと今ではせせら嗤うことができる。親の名前どころか顔すらも知らない。当たり前だ、生まれてすぐ孤児院の前に捨てられたのだから。

 それでも親には感謝していた。殺さなかった、売らなかっただけまだ愛してくれていたのだと思うのだ。

 真っ当に生きたくても世間が許してくれなかった。それは言い訳だと知っている。真っ当に生きていけるだけの強さがあればそうしていた。

 寂しさを紛らわすように誰かを殴り蹴り、財布から金を抜く。それを何度も繰り返し警察に目を付けられ、気付けば真っ当な道とは違う仄暗く悪臭い道に迷い込んでいた。そしてそこでも生きていく為にまた手を汚す。

 口に咥えた安煙草の煙を吸い軽く咳き込む。相変わらず煙草は好きになれない。それでも吸わずにいられないのは、やはり自分が弱いからなのだと分っている。

 仕事に失敗し干され囲っていた女にも逃げられ、紫煙を吐くだけの退屈にも慣れた。もう何日もカーテンを閉め光を遮断しているので、昼なのか夜なのかも分らない。

 腹も減ったような気がするが、それももうどうでもいい、こうして煙草を吹かしていればその内に死ぬだろうと思っていた。

 不意に家の扉が乱暴に叩かれた。仲間から毟るだけ毟られたのだからもうケツの毛すらも残ってないというのに、それでもまだ毟ろうとする馬鹿がいるのかと呆れ返ってしまう。

『ちょっと、中にいるんでしょっ、新聞代払ってよっ』

 だが意外にも若い女の声が聞こえた。新聞代なんぞいつから払っていないのかすら分らない。だが随分前に来た新聞屋の集金は、確か五十前の婆さんだったように思い、首を傾げた。

 何はともあれもう小銭も残っていない。払えないものは払えないのだから仕方がない。だから無視するに限ると、ロックグラスにウォッカを注いだ。

『出てきなさいよっ、あんた新聞代何ヶ月払ってないと思ってんのっ』

 数えてないから知るはずもない。

『半年も払ってないのよ、いい加減にしなさいよっ』

 いい加減にしろも何も金がないから払えないものは払えない。女を小さく嗤いながらロックグラスを煽る。

 いい退屈凌ぎだ。

『五月蝿ぇぞ、静かにしろや。こっちゃ寝てんだぞっ』

 女の怒鳴り声にどうやら隣人のチンピラがご立腹のようだ。確か近くの組事務所に出入りしている半端者だった筈だ。

『五月蝿いわねっ、いい大人が真昼間っから寝てんじゃないわよっ』

『何だとこの糞アマ、殺すぞっ』

『女相手に息巻いてんじゃないわよこの糞チンピラ、警察に突き出すわよっ』

『上等じゃねぇかコラッ』

 しかし肝の据わった女だと思った。退屈凌ぎもここまでくれば、ある種のエンターテイメントですらある。だがそろそろ女の身が危ない。馬鹿な半端者ほど必要もないのにプライドが高い。

 酒臭い溜息をつき乱暴に頭を掻くと、男は玄関へと向かい玄関の扉を開けた。のそりと顔を覗かせると、灰色のトレーナーにジーンズとスニーカーで、黒髪をお下げに結んだ地味な女が、原色のシャツとスラックスを着たチンピラと睨み合っていた。だが男の顔を見た女は、すかさず男に詰め寄ると怒鳴りつける。

「あっ、新聞代払えっ」

「こっち無視するなや糞アマッ」

「お前の方がよっぽど五月蝿ぇぞ、半端者」

 男の言葉にチンピラが険悪な視線を向けてくる。半端者は所詮半端者だ。

「堅気の女相手に何やってんだ。最近の極道はお前みたいな半端者ばっかかよ」

「何だと糞ガキッ」

「堅気の女相手に凄んでたなんて、シブサワさんに知られたら殺されっぞ、お前」

 シブサワという名を聞いた瞬間、チンピラの顔色が変わった。そして何か呟くような捨て台詞を吐くと部屋へと引っ込んでしまった。その様を女は呆然と見詰めている。

「半年分の新聞代なんぞねぇぞ」

「それじゃあ困るのよ、この子を産む為に金がいるんだ。あんたから集金できたら働けるんだよっ」

 女は両手を下腹に押し当て、必死の形相で叫んだ。化粧っけの欠片もない色気も糞もない女だが、強気な目が印象的で素材としてはいい女だ。何よりも細い指と手入れが行き届いた爪が綺麗だった。

「仕方ねぇな、ちょっと待ってろ」

 男は頭を掻きながら一度部屋へと戻った。何か金に変えられる物が残されていればいいが、と小さく微笑みながら。

 小さな出会いが退屈を変える。それは何を意味しているのだろうか。

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