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秋色ラブドール

 そういう男を好きになったしまった自分が馬鹿だっただけだ。それが格好良く見えていた頃があった、ただそれだけのことだ。

 もちろん、言ってしまえばそれは、あたしのような馬鹿な女にありがちな勘違いというやつだ。万引きが得意なんて手癖が悪い男が格好いいなんて、馬鹿にも程がある。

 定められた法律を破る男が格好いいなんて感じるのは、きっと中学高校の頃までだろう。だが現実を知り、こう考えるようになる。「手癖の悪い男なんて、単なる小悪党だ」と。

 本当の意味合いでの魅力というものを知るには、あたしには人生経験が全く足りなかったのだろうと思う。

 本物の悪党と小悪党は格が違う、悪党とアウトローでは存在意義すら違う。その頃のあたしには、そんな簡単なことすらも分らなかったのだ。

 掌に置いた携帯ストラップには、薄汚れた小熊のぬいぐるみが付いている。あいつに貰った時には綺麗な緑色に黒くてつぶらな瞳をしていたのに、今では薄汚れてもう右目も取れて、ところどころ糸も解れている。

 高校の入学した頃、初めてできた彼氏があいつだった。手癖の悪い奴で万引きが得意な馬鹿だった。その頃はあたしも馬鹿で、そういう小悪党が格好いいと勘違いしていた。

 結局あいつは何度か警察のお世話になり、次第に学校にも寄り付かなくなって二年に進級する前に退学になった。

「馬鹿だったな、あたしも」

 掌で小さな熊を転がしながら呟く。

 秋から冬へと季節が過ぎていく。昼下がり、公園で日向ぼっこをしていると、色々な人たちが目の前を通り過ぎていく。公園で遊ぶ親子連れ、逢瀬を楽しむ恋人たち、心地よい陽の下で転寝をしているサラリーマン、それぞれがそれぞれの時間を過ごしている。

 不意にこの小熊のストラップを手渡してくれた時の、あいつの誇らしげな顔を思い出した。どうして今更、あんな奴のことを思い出すのだろう。あいつと一緒にいてよかったことなんて何もなかった。手癖だけじゃなくて女癖も悪かったし、避妊なんてしたくれたこともなかった。何かというとすぐに手を上げたし、お金だって幾ら渡したかも覚えていない。あたしの誕生日すら忘れていて、不貞腐れたあたしにくれたのが近くのショッピングセンターで万引きしてきたこの小熊のストラップだった。あいつが高校を退学になったその日に現実に気づき別れた。

 でも、それからもこの薄汚れた小熊のストラップは、不思議といつもあたしの携帯に付いていた。新しい彼氏ができても、様々な事情から親に捨てられても、ずっと一緒にいてくれた。

 今、あの手癖が悪かったあいつがどうしているのか、それは分らない。あたしのように現実に気付き普通に生きているのかも知れないし、もしかすると小悪党から本物の悪党になっているのかも知れない。

 もう二度と会うことはないだろうし、今更何の未練もない。それでも、この小熊のストラップだけは捨てられずにいた。

 視線を秋晴れの空に向けると、柔らかな陽が降り注いでいる。その優しいあたたかさはとても心地よく、思わず目を細めてしまった。

 今更どうしてあいつのことを思い出しているのか、あたしにもよく分らない。初めての彼氏で手癖が悪かったということ以外、大した意味も価値もないはずなのに。

 不意に先程受診した病院でのことを思い出し、自分の下腹に手を押し当てる。

 手癖も女癖も悪いし手も早い、そんな馬鹿男だったあいつ。だけど、今のあたしはあいつを蔑むことができる立場じゃない。

 生きていく為に繰り返した罪、その果てにあるのはどういった形であれ死だと思っていた。己で断ち切るのか、それとも性質の悪い病気を貰うのか、その程度の違いしかないと思っていた。だけれど、あたしに待ち構えていた運命は、覚悟していたそれらとは全く違うものだった。

 また下腹に触れ小さく溜息を吐く。少し考えれば分ることなのに、何も考えずにこんな結果を生むなんて、これだけ馬鹿な娘なら親も捨てて当然だと思う。

 不意に、あたしにこの小熊のストラップを手渡してくれた時の、照れ臭そうなあいつの笑顔が浮かんだ。もう一度だけ、あいつに会いたくなった。

 目の前を両親に手を引かれた幼い女の子が通り過ぎる。父親も母親も、そして幼い娘も、みんな笑顔で幸せそうに見えた。

「……君にはお父さんいないけれど、それでも幸せになれるのかな」

 下腹を見詰め優しく撫ぜながら、小さく呟く。

 この子の幸せを考えるのなら、身を売るような人生は今日で終わりにしよう。絶望を捨てよう。この子の為に生き、この子の為に死のう。

 あたしは小熊のストラップをポケットに突っ込むとベンチから立ち、ゆっくりと歩き始めた。

 昼下がりの日差しは、そんなあたしを優しく受け入れてくれた

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