陽炎ラブキラー
鉄格子の小窓から太陽の光が注いでいる。
小さな箱の中に自由はない。だが人が生きていく為に必要なものはあった。科せられる空虚、連綿と続く時間と苦悩、触れられぬあたたかさ、得るものは少なく得られぬものはあまりにも多い。
箱の中にある小さな座卓の前に座り、女はただ只管に手紙を書き続けていた。それに返事が返ってくることを期待してはいない。だが自分が出来ることといえば、これだけだった。
後悔と謝罪の言葉を記しながら、女は耳に残っている二人の男の言葉を思い出していた。
額に切創を刻み付けられたその男は、女を捕らえたその時、「罪は償ってもらう」と告げた。どう見ても極道にしか見えない。「授かった子供の命だけでも」とも考えたが、その筋の人間が手加減をするとは思えなかった。翌日、病院で精密検査を受けさせられた時に、身体を切り刻まれ臓器を売られるのだと覚悟を決めた。
だが彼女の身体は刻まれることなく、精密検査の数日後、身柄を所轄警察に引き渡された。別れ際、切創の男に理由を問うと、男は苦笑いを浮かべながら「償うってのはな、それを背負い最後まで生き抜くことだ」と言った。
数ヶ月にわたる取調べや裁判等の諸手続きの後、彼女はこの留置所に収容された。放り込まれた当初こそ「労働がないだけいいか」と考えたが、数日もすれば人と接することがないこの空間は何よりも地獄だと思い知った。
ただ毎日が過ぎていく。その時が訪れるまでどれだけの月日が費やされるのか、それすら分からない。繰り返される何もない日々の中で膨らんでいくのは、自分が犯した罪に対する後悔と贖罪の意識だった。冷静になればなるだけ、それがどれだけ愚かで無意味な行為だったのかが理解できた。
筆を持たずにはいられなかった。内から溢れ出る言葉を記さなければ気が狂うと思った。だが記しているうちに気付いた。その言葉を伝えるべき相手がいたということに。
この小さな箱は広大な砂漠の中にある小さなオアシスなのだと思う。生きていくことは出来るが、いつまで生きていられるのかの保証はなく、この世間という広大な砂漠の中で隔離されたオアシスには人との触れ合いなどありはしない。
だからこそ、ただ記すしかないと思っていた。女はこれがただの欺瞞だと断じられても否定するつもりもない。むしろその通りだと思う。自分の傲慢で幾人も女性を殺し、その後悔と贖罪の意識から書いている。それを伝えもしも返事が返ってきたとしても、きっと「死ね」と記されているに違いない。
だが愚かしい自分を今更隠したとしても女には何の意味もなかった。例えば今、その時が訪れたとして、自分が愚かだったということや後悔していることを告げていなかったとしたらということを考えると、苦しさで胸が張り裂けそうになった。
ふと思い出したかのように、女は大きくなったお腹を優しく撫ぜた。ここに宿っているこの子には母親がいないことになる。それどころか殺人者の子供だ。それがこの子にとってどれだけの重荷になるのか、考えれば考えるだけ恐ろしくなる。
だがそれでも、生きていくことを放棄する理由にはなりえない。今の女にとってそれは少なからず真実だった。
この小さな箱の中には自由はない。子供を産むまでの期間くらいの猶予は与えられるだろうが、何かの気紛れで大臣が書類にサインすればそれで全てが終わる。だがだからこそ、その時まで彼とこの子に出来るだけことをしたいと思う、幾らかだけでも言葉を残したいと思う。
小窓から覗く小さな空を見上る。時は過ぎていく。そしていつか書類にサインが記される。ふと誰か泣いてくれるだろうかと考え、思わず小さく笑ってしまう。
その時、看守が訪れ手紙を手渡した。その差出人を見て、女は思わず目を見開く。震える手で手紙を開き読み始めると、女はその手紙を抱き締め身体を震わせながら、声を押し殺して泣いた。
償いに命を差し出す女、それから生まれる新しい命、その新しい命を守り育む男。この孤独なオアシスで独り果てたとしても、少なくとも心遺さずに逝けると女は思った。
女は想い人からの手紙を大切に仕舞うと、ふと思い立ちまた新しい手紙を書き始めた。遺族へ言葉は残すつもりはなかった。どんな謝罪の言葉もその心に届くことはないだろう。ならばただ潔く裁かれようと思ったからだ。
それでも、少なくとも言葉は残すべきだ。例えそれを否定され貶され罵られようとも。それが背負うことだと思った。
姿勢を正しただ只管に言葉を記すその女は、とても強い目をしていた。