軍もの。近未来?
うららかな陽気の昼下がり、とある地方の空軍基地の一画で一人の軍人が木陰に入り分厚い書物を読んでいた。
突如勃発した紛争がようやく一年ほど前に終結し、こういった落ち着ける時間を取りいれられるまでに至ったのはここ最近のこと。
だが、ようやく訪れた平穏というものは突如崩されるものだ。
ばたばたとはばしい足音が近づいてきて、男は追っていた文章から目をそらし、顔を上げる。
「こんなところに居たのかよ」
確かに、少々気温の高いこの地域では用事も無いのに建物の外に人がいることの方が珍しい。
現在は休憩時間ちゅうなので何処にいても文句は言われないが、それでも外という選択肢は彼の中に無かったのだろう。
そんなに探し回って……何か重要な報告でも回ってきたのかと怪訝な表情をすると男は駆け足で男のいる木陰に入ってきた。
「おい聞いて驚け……明後日この基地にアス部隊がくるらしいぞ」
目をらんらんとさせて、男は眠たげな目をしながら話を持ちかけてきた。
話しかけられた男は重要な用件じゃなくて、なんて軽い内容なんだとため息を零す。
そんなに急いで個人的に伝えにこなくとも、今日中には基地全体に伝えられるだろうにと……
そして昔から噂話が好きな奴だとは思っていたが……ここまでだとはと苦笑する。
話しかけた男の着ている軍服に肩章は准尉をあらわすもの、話しかけられた男の下にひかれている軍服の肩章は中尉をあらわすものだ。
階級的に見れば縦社会である軍部でその口のききかたに眉をひそめる者もいるかもしれないがこの男は気にしていないようだった。
それに、准将と中尉は入学した科は違えど士官学校の同期で、交友がそれなりにあったので階級こそ違えど昔のような付き合いが続いている。
「ウィレム……アス部隊ってあの紛争で基地何個か潰したって言うあの部隊だよな、そんな部隊がなんだってこんな基地に」
この基地は軍部内で重要視されていない基地の一つだ。
問題を起こし罰則を受けた兵士たちが懲罰の意味で送られる一生お世話になりたくない基地でもある。
紛争終結のために追随を許さないだけの功績を挙げたのなら、むしろ普通に考えたとしても全員が昇進ものだっただろう。
「噂だけど……そこの隊長が上と揉めたらしくて、連帯責任ってことで部隊丸ごととばされたらしい」
噂だけど……とは言っているが、内容は事実に近いのだろう。何せ今噂だと言った男はこの基地の通信士官。重要視されていない基地とは言え士官学校を卒業しているのだから下手な情報は持ってきたことがない。
否、むしろウィレムは情報収集にかけての腕前は目を見張るものがある。ならば何故こんな辺境の基地にいるかといえば、上との折り合いが悪かったことと、暗号解読が苦手だったことが挙げられる。
「アス部隊解散の危機か」
そういいながら、エーリッヒは隊長をつとめる将官は部下をこんな辺境地に道連れにせずに済む手だてを模索しなかったのかと少し憤りを感じる。
隊の隊長を務めるといえば最低でも中佐か大佐の地位にはついているはずである、だとすれば上と揉めたという事は軍部中枢の人間と揉めたということだ。
そうしたら、その隊長はお先真っ暗じゃないかと男は喉の奥で笑う。
そして、もしかしたらこの基地に来る頃には部下は半分以下に減っているかもしれない。部下を道連れにするような隊長だ、見限らないほうが可笑しいだろう。
「そういえば……隊長の名前はなんていうんだ」
せっかく築き上げた地位をちょっとした揉め事で棒に振ってしまった上に、判断ミスでこれまで得てきた部下すら失いかけているお莫迦な上官の名前がきになった。
「ユリアーン・ヴァイゼッカーまたの名を氷花。N.O.……次期通信将校最有力候補だったが今回の左遷でどうなるかは分からなくなったな」
今まで昇進にも権力争いにも全く気にする素振りを見せなかったこの友人……エーリッヒ・シュトラウスにウィレムはその隊長に付けられている二つ名とどれだけ優秀な軍人であるかを伝えてみる。
「ふーん、つまりお前が目指す軍人ってことか」
だがエーリッヒは我関与せずの態度を崩さず、通信科に所属し現在通信仕官として働いている身としては、将校候補まで成り上がる腕前は見習いたいものがあるだろうとウィレム返す。
「お前なーあのヴァイゼッカー中佐だぞ、もう少し興味持てよ」
あのって何だとエーリッヒは思う。
中佐ならそれなりの数がいるし、この基地にだってまがりなりにも少将だっているのだ。
「持てといわれてもな……何か面白いことでもしでかしたことがあるのか、そのヴァイゼッカー中佐は」
給料をもらえて、暮らせればいいと考えているエーリッヒにとっては上官は気にする存在ではない。
なので、上官の名前を挙げろといわれても……もしかしたら現在所属しているこの基地の一握りの上官と元帥あたりしか名前が思い浮かばないかもしれないぐらいだ。
アス部隊の隊長なら、高名な軍人かもしれない、もしかしたら前の紛争で名前を聞いたことすらあったかもしれない。
エーリッヒはそう思って頭に残っている高官の名前を思い出してみるが……どうも思い当たる名前は無かった。
「……お前な、知らないなら知らないでそれでいい……まぁ、アス部隊到着が見ものだな」
ウィレムはエーリッヒが知らない情報を元々知っていたのか、それとも掴んだのだろう。
クツクツと喉の奥で笑いながら「まぁ、驚きすぎるな」と肩を二、三度叩きウィレムは「あんま目を酷使するなよ」と言い残しその場を去っていった。
エーリッヒは本を読む気がなくなったのか、まだ開きっぱなしだったそれを閉じ地面へ投げると枕代わりとばかりに本の上に頭を乗せた。
「……ま、ここから必死に這い出ようとする姿でも拝ませてもらいましょうかね」
ウィレムが何を指して「あのヴァイゼッカー中佐」と他の中佐と区別して呼んだのかはまだ分からないが……
死に物狂いで何か功績を立てようとするであろう上官に苦笑が漏れる。
それで部下にすら見放されていたらどんな悲劇だと口元を歪める……と、耳に非常ベルの音が届き、そこで思考が切り替わった。
「こんな辺境地で何があったんだか……」
身体を起こしあくびを一つすると、エーリッヒは上着を羽織ると駆け足で戦闘機が格納されている場所へと急いだ。
それと同時刻、軍部中枢を担う基地で、一つの部隊が移動命令を受け移動の足である貨物運搬用の飛行機に乗り込んでいた。
「本当に……行くの」
乗り込む部下たちを見て、後ろに立っていた部下にそう尋ねる。
荷物は既に積み終わっている、大半の隊員は乗り込んでいる、この基地の名簿からの該当欄削除は昨日完了した。
ここまで来て、今更残る……と言い出す者もいないだろう。
何せ移転の準備は、さすが情報関係に強い人材が多いだけに上から移動命令が出る二週間は前には開始されていたのだから。
「くどいっすよ隊長……俺たちはあなたについてゆくと決めたんすよ」
「そうですよ、私たちがこの二週間どれだけの数の誘いを断ったと思ってるのですか」
後ろに立っていた部下二人は、即答といった感じで答える。
移転後に着任式が行われるということを伝えられているために皆正装をしているが、三人ともランクは違えど去年終結した紛争の功績によって与えられた十字勲章が首元に光っていた。
この勲章はどれだけ敵機を撃墜させたかでランクがわかれるものだ。
くどいと言った青年……ルドルフの首元には柏葉章、そうですよと言った青年……ミハエルの首元には騎士十字勲章が存在している。左胸にもそれなりの数の勲章や徽章が彩っていた。
そして、中央にいる隊長……ユリアーンには大十字勲章……十字勲章の中で最も等の高い勲章だ……が存在を誇示している。
そして勲章の数も徽章のランクも後ろ二人を上回っていて一目でアスなのだということが理解できた。
「だからよ、お前たちなら……別の隊でもトップにいけるはずなのに」
空軍のアスの一人であるユリアーンが率いる部隊は、その部隊を構成する隊員たちも優秀で引く手数多なのだ。
今回のユリアーン、そして隊に下された移転命令に乗じて部下に持ちかけられた部署移動や他隊からの引き抜きはユリアーンが把握できているだけでも五十は越えていた。
隊に所属する隊員が幹部から平兵士まで合わせて二十七名、一人頭二件は要請があったことになる。
「それこそ今更です。私たちは私たちの意志でこの隊に入ることを希望したのですから……そんなことを言って追い出そうとしないで下さい、ね」
ミハエルは自分の目線よりも下にある顔ににっこりと微笑んで言う。
「そうそう、俺らは皆隊長にほれ込んでこの隊にきてるんだ……出て行けといわれると悲しいな」
ルドルフまでもがそう言えば、ユリアーンはぐっと言葉を詰まらせた。
追い出すとか出て行けとか……まるでユリアーンが嫌がっているみたいだが、実際は逆だ。
ユリアーンとしては中枢基地から辺境地に飛ばされることもあって、今まで共に戦ってきた隊員がついてきてくれることは心強い。
だが、それで部下の未来を潰してしまうことになれば……と考えるとどうしても素直に喜べないのだ。
今回の移転命令が出された背景も、ユリアーン個人の過失の所為なのだから……余計に。
「さ、準備が整ったようですよ……あちら様を待たせてはなりませんからね、ささ、乗り込みましょう」
話はこれで終りだと、ミハエルが隊長であるユリアーンの背をおして輸送機に向かって歩き始めれば、ルドルフは今まで身を寄せていた基地に向かって口元だけで皮肉げに笑って見せた。
今回の移転命令の原因となった出来事……大げさに騒ぎ立てて、難癖をつけて僻地へ飛ばした上層部に対して……どうせまた実戦が必要になったら呼び戻すくせにと……一瞥をして二人の後を追う。
そして、見上げた空は、憎いぐらいに晴れ渡っていた。
*****
「中佐、知ってますか……今度の基地には曲者が揃っているという噂」
辺境の基地、一部では空軍の掃き溜め場と称されている基地。
その基地に留まり続けるのは実力の無い証拠とされているが、中には自らの希望で留まっている者もいる。
辺境の基地にいる軍人は大きく分けて三つの種類の軍人に分かれていた。
一つは実力が無く、処分期間が終わっても他の隊や基地から誘いがこずそのまま留まるケース。
もう一つは、ふつうの基地に比べ仕事の少ないこの基地でのんびりと仕事をしながら同じ額の給料に味をしめ留まるケース。
最後は昇進に全く興味が無く、権力争いに巻き込まれることのない基地を好み留まるケースだ。
後者二つのケースは実力があるにも関わらず掃き溜め場と呼ばれる基地に在籍していることが多い。
「使えそうな人材なの?」
「えぇ、士官学校パイロット科を主席で卒業していますし、夜間飛行を得意としているらしいですからうちにはもってこいでしょう」
夜の飛行は視界が悪いため通常よりも気を張り詰めて挑まなければならない。
しかし、より敵方の情報を得るためには夜間飛行を行い情報を集める必要もある。
「うちの隊に勧誘するのかミハエル」
隊員とカードゲームをしていたルドルフは今後隊に加入するかもしれない人材の話に乗ってきた。
他の隊員たちも気になるらしく、視線がミハエルの方へ向けられている。
主に隊員にならないかと勧誘話を進めるのはミハエルの役目で、今この場にいる隊員たちも、初めてアス部隊で接触した人物といえばミハエルなのだ。
少し手を貸して欲しい、そういわれて唯一度だけのつもりで作戦に参加したり、共に行動をとるだけのつもりだったが、仕事を共にすることでユリアーンのもとで働きたいという思いを募らせ移動してきた者が多数だったりもする。
「そうですよ、通称闇の狙撃者……夜間飛行にかけては彼の右にでる者はいないでしょうね」
ミハエルの人を見る目は確かで、いままではずれを引いたことがない。
今まで興味津々に新たに隊員に加わるかもしれない人物の話を聞いていたが、通称を聞いたところで皆の顔色が変化していた。
「それは……あの夢魔のことだろ」
皆の心内を代弁するがごとく、ルドルフが眉間に少し皺を寄せながら聞いてくる。
誰もが夢魔の噂を聞いたことがあるらしくルドルフの後ろで同じように表情を少しゆがめていた。たとえ良い人材だと分かったとしても思うところがあるのだろう。
そんな中、ユリアーンは「ふーん」と少し関心したような声をあげるだけだ。
ミハエル相手に行っていたチェス、ピジョップのコ駒を弄びながら話し出す。
「確かあの紛争で夜間だけならトップクラスの撃墜をしてたわね、彼」
情報将校候補だけあって、ユリアーンは軍内の情報にかけては誰よりも特に精通していた。
ただ、情報量が膨大に頭に詰まっているために今は必要ないと判断された情報を思い出すのに少しだけ時間がかかっているようだ。
気になった人材については上司権限で調べたこともあったし、先の戦いで一晩だけだったが夜間飛行を共にしたことがある。
「昼間もそれぐらいにやる気をみせたら十字勲章を貰えたかもしれないのに」
その時の働き振りを思い出し、そう口にしてみせた。
視線は未だチェス盤から離れず、互いの駒の位置を確認しながら弄んでいたピジョップを持ち上げる。
「中佐に認められるほどなら、噂以上の人物なのでしょうね」
ミハエルはユリアーンの言葉に自分が選んだ人物が確かな人物だったのだという確証を得て満足げだ。
他の隊員たちもユリアーンがそういうのならば、噂に聞いた性格はひとまず置いておいて優秀な軍人なのだと感心したような声をあげた。
そして、隊員たちが夢魔について語り合う声が上がる中で、カツンと硬い音が響く。
「チェックメイト……夢魔、シュトラウス中尉がこの隊に入ればピジョップの役割が似合いそうよね」
にっこりと笑って、ゲームの終了を告げる。