↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

第1話 クラスメイトの尻を見たら終わっていた

あいうえ

人生、金がないとろくなことを考えない。


 これはたぶん、真理だと思う。


「成人向け動画って、顔出さなくても売れるらしいぞ」


「へえ」


「月十万とかいく奴もいるって」


「へえ」


「相沢、お前やれば?」


「なんで俺なんだよ」


 十月上旬。


 大学の昼休み。


 俺――相沢悠人は、学生食堂の隅で百八十円のかけうどんをすすりながら、友人の田中から非常にありがたい副業情報を授かっていた。


「だってお前、金ないじゃん」


「否定はしない」


「動画編集もできるじゃん」


「講義で触った程度な」


「じゃあ決まりだな」


「何が?」


「デビュー」


「誰が俺の裸に金払うんだよ」


「確かに」


「そこは否定しろよ」


 自分で言っておいてなんだが、ちょっと傷ついた。


 俺は大学二年生。


 二十歳。


 一人暮らし。


 仕送りなし。


 奨学金あり。


 そして先週、愛用していたノートパソコンが死んだ。


 修理見積もり、八万六千円。


 俺の銀行残高、三万二千円。


 見事な詰みである。


「でも男一人じゃなくて女と撮ればいいじゃん」


「その女をどこから連れてくるんだよ」


「大学」


「犯罪者の発想なんよ」


「いや、ちゃんと同意取って」


「それでも昼の学食で話す内容ではない」


 俺は周囲を見回した。


 幸い、こちらを気にしている人間はいない。


 昼休みの学食なんて、誰もが自分の飯と友人との会話に夢中だ。


 ――と思ったのだが。


 一人だけ。


 斜め後ろの席で本を読んでいた女が、ゆっくりこちらを見た。


「……」


「……」


 目が合った。


 白石凛花。


 同じ必修クラスの女子だった。


 肩より少し長い黒髪。


 整った顔。


 細身で、いつも服装もきっちりしている。


 成績は上位。


 教授からの評判もいい。


 サークルの男に何度か告白されて、その全部を断ったなんて噂まである。


 早い話が、高嶺の花というやつだ。


 その白石が。


 俺たちを見ていた。


「……聞いてた?」


「さあ」


 田中が小声で答える。


「聞いてたよな」


「終わったな」


「お前も共犯だろ」


「俺は午後から講義あるから」


「俺もあるわ」


 白石は何も言わず、再び本に視線を落とした。


 その横顔には何の感情も浮かんでいない。


 まあ。


 どうせ普段ほとんど話さない相手だ。


 変な奴だと思われたところで、人生への影響は少ない。


 そう考え、俺は残ったうどんをすすった。


 この時の俺に一つ教えてやれるなら、こう言いたい。


 その考えは甘い。


 砂糖漬けのドーナツより甘い、と。


     ◇


「相沢君」


 五限終了後。


「はい?」


 教室を出ようとした俺を呼び止めたのは、白石だった。


 終わった。


 昼の話だ。


 セクハラで学生課にでも突き出されるのだろうか。


「昼休みの件なんだけど」


「白石さん。あれは誤解なんだ」


「まだ何も言ってないけど」


「……どうぞ」


 白石は少し周囲を気にしてから、俺の側まで寄ってきた。


 そして。


「その……動画って、本当にお金になるの?」


「…………はい?」


「だから、昼休みに話していたやつ」


 予想外すぎて言葉が出なかった。


「顔を出さなくてもいいって言ってたよね」


「言ったのは田中だけど」


「どれくらい稼げるの?」


「いや、俺も知らない。やったことないし」


「そう」


 白石は少しだけ残念そうな顔をした。


 なんなんだ。


 この会話。


「もしかして白石さん、金に困ってる?」


「……少し」


「意外だな」


「相沢君にだけは言われたくない」


「それはそう」


 そこから奇妙な話し合いが始まった。


 場所を移して、大学近くのファミレス。


 俺はドリンクバー。


 白石は水。


「注文しないの?」


「節約」


「思ったより深刻そうだな」


「相沢君は?」


「ドリンクバーだけ」


「人のこと言えないじゃん」


「仲間だな」


「嫌」


 即答だった。


 ひどい。


 話を聞いてみると、どうやら白石にも急にまとまった金が必要になったらしい。


 詳しい理由は教えてくれなかった。


 俺も無理には聞かなかった。


 そして話し合うこと、およそ三十分。


 一つの結論にたどり着いた。


「……本当にやるの?」


 俺が聞く。


 白石はしばらく黙り、


「一回だけ」


 と答えた。


「顔は映さない」


「うん」


「本名も出さない」


「当然」


「嫌になったら即中止」


「分かった」


「撮ったものは二人で確認して、どっちか一人でも嫌だと思ったら消す」


「それも分かった」


 白石は両手で水の入ったグラスを包み込む。


 耳が少し赤かった。


「……相沢君」


「ん?」


「変なことしたら警察呼ぶから」


「撮影相手に対する信頼ゼロじゃねえか」


「当たり前でしょ」


「じゃあなんで俺なんだよ」


「……知り合いの中では、一番どうでもいいから」


「泣いていい?」


 こうして。


 なぜか俺は、ほとんど話したこともない大学の美少女と、成人向け動画を撮ることになった。


     ◇


 三日後。


 俺の部屋。


「…………」


「…………」


 気まずい。


 死ぬほど気まずい。


 俺はスマホを三脚に固定しながら、今日だけで十七回目くらいの後悔をしていた。


 やっぱり断ればよかった。


 八万六千円くらい働いて稼げばいい。


 一か月食パンだけで生活すればなんとかなる。


「相沢君」


「はい」


「緊張してる?」


「そりゃするだろ」


「……私も」


 白石は俺のベッドの端に座っていた。


 大学では見たことがないくらい落ち着かない様子で、何度も自分の指先を触っている。


 いつもの澄ました顔はどこへ行った。


「まだやめてもいいからな」


「やる」


「無理しなくていいぞ」


「相沢君」


「何?」


「八万六千円」


「覚えてたのかよ」


「私はもっと必要だから」


「……そうか」


 強い。


 金の力は強い。


 俺はカメラの角度を確認する。


「顔はここから上なら映らない」


「うん」


「とりあえず最初は……その、いきなり全部じゃなくて」


「分かってる」


「本当に?」


「何度も確認しないで。余計恥ずかしくなるから」


「すみません」


 なぜ俺が謝っているのだろう。


 白石が一度、大きく息を吐いた。


 そして立ち上がる。


「……じゃあ」


「おう」


「後ろ、向いてて」


「おう」


 俺は壁を向いた。


 背後から衣擦れの音。


 心臓がうるさい。


 やばい。


 今になって急激に現実味が出てきた。


 俺は何をしている?


 三日前まで白石凛花とは挨拶すらしたことがなかったんだぞ。


「……いいよ」


「お、おう」


 振り返る。


 白石はこっちを見ていなかった。


 顔が真っ赤だった。


 俺もたぶん似たようなものだろう。


「じゃあ……カメラ確認するから」


「早くして」


 俺はスマホの画面を見る。


 フレーム。


 明るさ。


 角度。


 問題なし。


「もうちょっと右」


「こう?」


「逆」


「こっち?」


「そう」


「……相沢君」


「何?」


「なんで急に冷静なの」


「カメラ触ってる方が気が楽なんだよ」


「変な人」


「今この部屋で一番まともな奴を探すのやめようぜ。誰もいないから」


 白石が少し笑った。


 初めて見る笑顔だった。


 意外と普通に笑うんだな。


 そんなことを考えながら、俺は画面を見る。


「じゃあ、もう少しだけ姿勢変えて」


「どうするの?」


「ちょっと後ろ向いて――」


 白石が言われた通りに動く。


 俺はカメラを確認する。


 そして。


「…………」


 止まった。


「相沢君?」


「…………」


「何?」


 俺は画面を見る。


 白石を見る。


 もう一度画面を見る。


 見間違いではない。


「……白石」


「な、何よ」


「ちょっと待って」


「だから何?」


「お前……」


 言っていいのか?


 いや。


 でもこれは。


 撮影どころではない。


「病院行った方がよくない?」


「は?」


「いや、その……」


「何よ」


 白石が不安そうに振り返る。


 俺は人生で初めて、言葉を選ぶことの難しさを知った。


「たぶん」


「たぶん?」


「痔」


「…………」


「しかも一個じゃない」


「…………」


「結構ある」


 沈黙。


 一秒。


 二秒。


 三秒。


 白石がゆっくりこちらを見る。


「……痔って何?」


「そこから!?」


 俺の声が部屋中に響いた。


 学部でも有名な美少女。


 成績優秀。


 品行方正。


 男を寄せ付けない高嶺の花。


 白石凛花。


 そんな彼女の最大の秘密を。


 俺は今日。


 本人より先に知ってしまった。


 ――クラスメイトの尻は、痔だらけだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。