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あなたから湧き出る海と干からびた船 ※完全版

作者: 海月mimi*
掲載日:2026/10/08

かつての私へ

私にそっくりの誰かへ



気持ちが急激に冷めた。


その時私は中央アジアで干からびた湖、

アラル海を想像する。

旧ソ連が綿花を作るために水を引き、

乾いてほぼ無くなった湖なのだと

聞いた事がある。

写真を見ると、砂漠の様な何もない場所に

大きな船が朽ち果てた状態で放置されていて、

地元の漁師達が砂を掘って船の道を作ろうとした

跡だけが残っていた。

この世の物とは思えないほど、空虚な景色だ。


気持ちが冷めるのは、

急激に水が無くなっていく海を食い止めようと

手で砂を掘るようなもので、

水は結局乾いたり、

砂に染み込んで無くなってしまう。

無駄なのだ。何をしても。

もう心から水が湧き出してこないのだから。


かつてどうしようもなく好きだった男の横顔を

何か別のものでも見るように見つめた。


たどり着く場所が結局寂しいアラル海ならば、

何故あんなに手に入れたくなったのだろう。

私はこの人を世界の全てだと信じた。


行為を思い出してみる。寝ている男の横で

下着だけを身につけて缶ビールを開けた。

 

まるで第三者として見ているように思い出せる。


彼は私の上で優しく動き、

彼の顔から私の肌に汗が落ちた。

さらさらとした数滴の汗。

私は、その汗さえも愛おしかった。

彼の優しい目を見て、


あぁ、

この人は私の事を

食べちゃいたいんだな


と思った。私は幸福だ。

何回か行為を重ね、

最後は裸のまま抱き合う。

疲れきった彼は背中から私をそっと

大切そうに抱きしめたまま、

寝息を立て始めた。


眠っても、私を離さない。

行為が終わっても、

冷たくあしらわない。

壊れそうな物を優しく扱うように

私を抱きしめる男の体温を感じて、

思い浮かんだのは


あのアラル海の干からびた景色ーーー。


どうかしている。


缶ビールを冷蔵庫から取り出す前に、

私は執拗に手を洗ってしまった。

何故、こんな気持ちになるのだろう。

あんなに欲しかった男の愛情を

手に入れたのに。

優しく抱きしめられて

眠る事を

あんなに夢見たはずなのに。


彼はずっと私を待ってくれた。

手を繋いで歩くようになっても、

直ぐに私と寝たりせず

景色の良いところや

美味しいランチに連れ出してくれて

夜には家に帰してくれる。

大切にされているのがわかった。


でも、私は彼が欲しかった。


だから誘った。



彼は私と同じ職場の上司にあたる人で、

正直肩書きや年収、容姿もよくてモテた。

私の方は彼を気にしていた訳ではなかったが、

私が新人の女の子に丁寧に接しているのを見て

彼の方は私が気になっていた、らしい。

後から聞いた。


彼は隣町に転勤になった。

そのタイミングで向こうから告白された。

私はびっくりしたけど、その時の彼氏とは

もうダメになりかかっていたので、

その真剣な告白に応じたのだ。

絶対に手に入らない人だと思っていたのに、

すんなりと自分のものになった。

彼を好きだった他の女子たちから

羨ましがられたり、嫌がらせをされたが、

気にならなかった。幸せになれると思った。


だって彼は、私の父と正反対に見えたから。


私の父が私を愛した事はない。

正解にはないと思う。

 

母はいつも家庭の外の男に夢中だった。

家、と呼べる場所は

いつも喧嘩やギスギスした空気に包まれ、

父が母を殴り

血が流れたり

物が壊れたり

母が数日間家出をしたりしたので、

私にとって全く安心できる場所ではなかった。

 

いつか父が母を殺すかもしれない恐怖

そして自分も殺されるかもしれない恐怖

捨てられる恐怖

置いていかれる恐怖

に支配されていた。


透明人間になりたかった。

 

もしくは自分が

産まれてくる前の世界に戻りたかった。


私はずっと、

自分以外の家もこんな感じだと思っていた。

学校の友達やクラスメイトも全員、

こんな苦しみの中で生き

学校では笑っているのだと思っていた。

みんなは強いのに、

そう出来ない自分は弱くて

だから愛される資格なんてないと

そう思っていた。


でもある日それは私

(たまに辛い家庭を持った友達もいた)

だけの世界だったと知った。


礼儀正しく、容姿はなるべく綺麗に、

自分の意見は言わない、

相手の思っている事を想像し、

それに合わせて自分を変える。


今日までそうやって生きてきたのだ。


努力しても他の自分にはなれない。



実際、彼は私の父とは

まるで違うタイプの人間だった。

いつも優しく、相手を尊重する話し方をした。

頭の回転が早く、博識で色々な事を教えてくれた。


なんで、こんな人が私を選んだの?


私は彼の事を尊敬しつつも、

人を見る目が無いんだな、と

どこか客観的に見てしまう。


彼はよく美味しいお店にも

連れて行ってくれた。

レストランを予約してくれたり、

美味しいラーメン屋さんに二人で並んだ事もある。


私は美味しい料理を食べて

喜んだフリをした。


……食べる物なんて、どうでも良い。


家族で平和な食卓を囲んだ事がない私には、

食事はただの栄養補給であり、

酷い事が起こらないように、

早く終わるように、

願うだけの義務的な儀式の場でしかなかった。


よく、価値観の違いで別れるって

芸能人とかが言ってるけど、

私と同じ価値観の人なんて

この世にいないだろうから、

私はずっと一人で居ないといけないの?

いつも違和感しか残らなかった。


会うたびに心の距離を感じ、

私は肌を合わせる時間を欲しがった。


でも彼は、会うたびにするのは

身体目的みたいで嫌だという。


身体目的ってなに?

それ以外、男女の間に何があるの?


良い人ぶらないで。

 

私と同じ場所まで落ちて。

私と同じ景色を見て、

それでもそんな風に言えるのならば

いくらでも聞くけど、

それが出来ないなら、

ただ抱き合っていたらいいの。


身体目的の何が悪いの?


私は貴方の身体が欲しい。


私は貴方の事がたまらなく好き。

行為を含めて貴方が好き。

ご飯なんていらないから、

ずっとベッドの中にいたいの。

それの何が悪いの?


何度も肌を重ねるうちに、

どこまでが私で

どこまでが彼なのか

分からなくなった。

どこまでが私の砂漠で

どこからが彼の湖なのか。


人はそれぞれ自分の内側に

その人の景色がある。と思う。

 

私の景色は砂漠で、どんなに雨が降っても

水が流れ込んでも、干からびて乾いて終わり。


彼の景色は泉。綺麗な水がこんこんと湧いて、

それを分け与えても、もっと内側から水が湧く。


その水を私に惜しみなく与えてくれるのに、

私が砂漠の人だったから……





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