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燈火の表参道

作者: 府雨

「燈火の表参道」


 表参道のマンションに父と住んでいた少女時代。


 父が表参道に狭い賃貸マンションを借りていたのは、単に職場である青山学院大学に近かったから。


 別れた母が連れていった美容院に私を連れていくのは、私がそれを嫌だと言う十四歳になるまで続いた。


 母は基本的に表参道で服を集めたから、私が成人するとちょうど、母が残した流行を逸した服が体に合って、私はそれを着るようになった。


 下着はユニクロがいいと父に論陣を張り、髪も自分で探した美容院に行って切ってもらった。


 父は、私が頭が良くなることには全く興味がなく、塾にも行かせなかったし、中学受験もやらなかった。


「高校は近くの都立でいいだろ?」


 近くの都立がどれだけ難関なのかも知らない田舎者の父の顔を、私は立てることができた。


 大学はもちろん一番近くの大学で、父との生活は淡々と進み、私は父と共に大学に行き、図書館で多くの時間を潰した。


 高校の時の友達は、私のことを少し恐れていた。


 それは私が、何のステータスも労することなく得て、誇らないように見えたからだろう。


 表参道で流行遅れの服を着るのに、私が自分を嫌味に思わないかと言ったら、そんなことはない。


 私は(というか人は)本質的に孤独だから、服如きであだこだ言ってもしょうがないけれど、私的には暖かいダウンや、サイズの合った多様な靴が手元にあるのは「ありがたいな」以上の何でもなかった。


 後天的に身につけたセンスはない。


 表参道の歩き方もわかっていない。ヒールも二十歳になってもほとんど履かない。野蛮人だ。


***


 父が、私に興味がないのは、たぶん母に興味がなかったからだろう。父は、用賀育ちの気の強い母の「生み出すもの」に興味があった。


 だから、母本人がどれだけ父を好きでいても、それは全く伝わっていなかった。母は、文化の象徴だった。


 それでも、母と別れることが決まった時、父は珍しく参っていて、私に聞いた。


「ひどい男だよなぁ」


「そんなことないとは言えない」


 私の返事に父は笑った。笑った理由を教えてくれた。


「いや、娘に慰めてもらおうとするなんて、無様だよな」


「言い訳もまた無様だよ」


 その時私が何歳だったかは、実ははっきりしない。父と私が話したのはそれが最初だったことを記憶しているだけ。


***


 化粧を塗さなくとも、孤独を偽らなくとも、誰も私を注意しなかった。


 私は、お手軽な恋愛を好まなかったし、好みの男性像というのもあまりなかった。二十六になるまで男性と付き合ったことはなかった。


 二十六になって、十歳ばかり年上の男を好きになった時も、その人の顔に悲しみが染みついているなと思って、その顔の線をなぞりたくて、恋愛をした。


 私は笑顔を見せなかった。


 私が好きなのは人ではなく、人の体に刻印される感情だった。というか、ほとんどの人は、人を好きになるわけじゃないことを、私はよくわかっていた。


 私はその男にそのことを説明する義務を怠った。だから当然ながら「私だけが理由のわかる」すれ違いを、数年に渡って続けることになった。


 男に罪はない。私はその悲しみに、えもゆわれぬフェティシズムをひねり出していた。


 おそらく、私の笑顔を見ることのないまま、男は私を諦めた。もらった言葉や本、遊んだ場所や食べた食事一つ一つを、私は覚えている。男が私を好きだったことも、間違いのない事実だ。私は、道義的に叱責されるべきだった。男は私に「アドバイス」する気力さえなかった。


 愛を一方的に捧げるほどおままごとな恋愛でもなかった。私は、何をしたかったか、最初からわかっていた。


 母になりたかったのだ。


 最終的に私の夫になった人は、明るくて、底抜けに奇妙な人だった。奇妙に見えるのは私の目からだけかもしれないけれど、背が高くて優しくて、私も絆されてしまうくらい、温かい人だった。


 私は、その人を嫌うことができず、流されるままに愛してしまった。夫は父から私を奪い、私は父から滑らかな手際で引き剥がされた。


 その時から、私にできないことが増えた。


 夫のことを想わなくてはいけないのかと、一瞬逡巡するくらいには、道徳心も芽生えてきた。


 外食を要求し、家事をしない私を、夫は苦にもしなかった。私の害悪性が無化されて、私はなすすべなく孕んだ。


 夫の能力は特筆すべきものがあり、仕事も家事も何でもござれ。私は自分がただの若造だということを突きつけられた。夫は四歳ばかり上だったが、それが故になお私は途方もない無力感に苛まれた。私の無能を指弾しないのがなおのことむかついた。


 子どもを育てることも、私はほとんどサボタージュした。夫は子どもを可愛がった。でも残念なことに、私を愛することをやめてくれなかった。


***


 私は、ずっと母の服を着ていた。もうすぐ母が父と別れた歳になる。逃げたかった。


「私ほど不出来な人間もいないけど、どうして報いを受けないのかな」


「さあ。でも、報いを受けないという報いは、受けているけどね」


「どういうこと?」


「ずっと手紙が届かないことに、気づいていないってこと」


「せめてもの報いとして、全てを失ってみたらいいのに」


「そもそも君は、最初から何も持っていないよ。少なくとも僕には、そんなふうに目に映っているよ」


「私の尊厳をあなたが食い物にしているって?」


「悪魔もただじゃ働かないよ」


「私に何をさせたいの?」


「ただ、幸せに生きてほしいんだよ。君にはもしかしたら無理難題かもね?」


 子どもは、夫に似て利発だった。だんだんと無理難題を押し付けられて、私はかなり困った。


 子どもが可愛いと思うようになったのは、チンパンジーがクロマニョン人になるくらいの情緒の発達で、私は時折子どもを散歩に連れていくようになった。


 子どもは私に懐く。私のことをよくわかっていた。


 私の心が、子どもに見透かされていて、純粋で無垢で、透き通っているのが、子どもにはわかるのだろう。


 私の笑顔はいつの間にか夫が隠し撮りをしていて、スマホの壁紙にされていた。夫がそんな幼稚なことをするなんて思わなかった。理由を聞きたくなったのは、私の心理の成長で、そんなこと大学生のうちに履修しておかなきゃいけないことだとわかっていたのに。いまさらという感じ。


 あわあわしているうちに、二人目を孕みもう大変だった。夫は私に金をじゃぶじゃぶ注ぎ込み、私は後ろめたさで死にそうだった。


 愛されるべきじゃないと、心から思うのは、反出生主義なのか。そんな単純な概念すら、もう手が届かない。


 私は最初から凡庸な女だったが、そこから抜け出す手立ては、こちらには全くなかった。


 自分のことは自分で決めるなんて、綺麗事だ。私には力がなくて、逃げることも諦めることもできない。


 ゆるゆると進む人生。主導権というのは、選ばれた人にしか手にできない。裏切りも、牛歩戦術すら想像できない。緩慢な死。そんな気もする。でもはっきりわかるのは、私の人生は徐々に、輝き始めているということだ。


***


 娘二人は、確かに可愛い。


 髪を結ったり、服を着せてやったり、食事の世話をすると、にへらと笑うところが特に可愛い。


 父に「私は小さい頃笑ったか?」と聞いたら、軽くスタンプで「覚えてないし、そもそも見ていない」と返ってきた。子どもというのは笑うのだ。子どもの笑顔につられて、私も曖昧に笑顔を子どもに向けた。


 娘もまた、何でもないことにこだわって、あるいは注意し損ねて、私のような空っぽの人生を歩むのだろうか。


 母の服はもう、ほとんど着れなくなっていた。


 表参道の父の部屋に、もう母の名残はない。


「お母さんがどこにいるか知ってるの?」


「知らない。興味もない」


「どうして?」


「いない人のことを考えるのは、時間の無駄だ」


「そこに文学があっても?」


「素人が軽々しく文学なんて言葉を口にするな」


「いないってことは、いた時期があるんでしょ? その時のことを教えてよ」


「ただのお嬢様だよ。お前も大して変わらない」


「だから、それが知りたいの。どうしてお父さんは、ただのお嬢様を好きになったの?」


「もうよく覚えていない。あるいは、こう答えてもいいかもしれない。お前は私から、思い出まで言葉にさせて奪うのか?」


 ひっくと喉が鳴った。くしゃりと私の顔は歪み、目を見開くことができなくなった。


「それは、好奇心か? それとも破局を望んでいるのか?」


 私は首を振って否定した。


「心に何の材料も意思もない。お前は本当にマネキンのように美しいな」


 私の心を推し量るのは、父にしてみれば造作のないことなのかもしれない。皮肉も、それらしい体裁を持って、私に迫る。


「外面は何か含んでいるものがあるように見えて、その実……」


 というように。ひどい言われ様だ。


***


 夫と一緒に買った新しい服に手を通す。子どもの手を引く。子どもを置いてどこかへ行った母の気持ちは、私にはわからない。子どもの手は温かく、握るととても柔らかい。


 車を買い、暇があると家族でドライブする。


 運転するのは私で、運転が上手といつも褒められる。


 子どもは歌い、夫は笑った。つられて私も笑った。ミラーに映る自分の顔を見て、そこに喜びと悲しみがシワになって刻まれているのに気づいた。


 最初に付き合った男の顔と同じ、ままならない人生に対する諦めと、目の前にある幸せの価値の計量不可能性に、完全に参っている顔。


 助手席に座っている夫の顔を見た。まるでリュー・ユーニンのような、和らいだ表情を私は、羨むことはできなかった。羨めればどれほどよかったか。


 心の弱さなんか、夫への言い訳にもならない。


 ねじれた自意識なんか、言うだけ恥ずかしい。


 できない。ことばかりだ。


***


 それは、正直だということの証なのかもしれない。


 まるでできて当たり前の世界が、全て嘘だと、最初からわかっていたみたいに。全能感を敢えて否定する必要もないかのように。


 夫に聞いた。


「母が昔家を出たの。私がそうしたら、あなたはどう思う?」


「なんか事情があったんだなって。別に何とも思わんよ」


「父もそんな感じだった。私のことどうでもいいの?」


「まあそうだね。隣にいる人なんて、究極誰でもいいのさ。自分に心当たりがなければ、結局相手の事情なんだし」


「何で相談されなかったのかなとか、思わない?」


「それ以外の方法では、解決できないことだったんだよ。だから」


「だから?」


「単純な『愛』とか『責任』には、決して還元できないんだよね。それに別に、君だって僕のこと、純粋には愛していないでしょ?」


 私は、それから瞼を閉じた。


「母はたぶん、父のことを純粋に愛していた。だから父が自分同様に愛さなかった時、自分に魅力がないと母は感じて、それが許せなかったんだと思う」


「そんなナイーブなこと、君よく考えるね」


「違うって?」


「たぶん違うよ」


「じゃあどうして?」


「君が笑わなかったから、怖かったんだよ」


***


 小さい頃、父に連れられて美容院に行った時「お母さんそっくりね」とよく言われた。


 こっそりと告げられて、私はうんともすんとも言わなかったけれど、実は少し嬉しかった。


 そのことをよく覚えている。


 色が脱落していく絵画に残された線描。私の輪郭に言及されたことを、私は少し誇らしく思っていた。


 それくらいの素朴さに下りたカーテンの内で、私は。


 想像の中の表参道に置き去りにされていたのだ。

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