第四話 星に願いを
「こうやってただ星空を眺めているだけっていうのも贅沢だよな……」
「わかる……まるで星の海に浮いてるみたい」
一通り天体観測を楽しんだ二人は、レジャーシートに横になって空を見上げていた。
周囲は灯り一つ無い漆黒の闇、聞こえてくるのは虫の声と隣のかすかな息遣いだけ。特等席から眺める満天の星は夢のように美しく幻のように儚い。
「……流星!!」
「なんだ?」
「違うわよ、流星が見えたって言ったの!!」
「お、もうそんな時間か……夜空を見てたから見逃しちゃったな」
「な、なんで私を見てるのよ」
「いや、見てたのは夏の大三角だけどな」
「……紛らわしい言い方しないで」
本気なのか冗談なのかわからない流星の態度に動揺する夜空。
「あ……流星!!」
「え!? 流星のせいで見逃しちゃったじゃない」
「大丈夫、これからが本番なんだから」
今夜は極大日、一時間に十個から二十個程度の頻度で見ることが出来るのだから焦ることはない。
「ねえ、流星は何かお願い事するの?」
「そうだな……皆がいつも幸せでありますようにって願うよ」
「流星は優しいのね……」
夜空はそう言うが、流星にとっては切実な問題。周囲が幸せなら比較的心穏やかに過ごすことが出来る、つまり一石二鳥の極めて都合の良いお願いなのだ。
「そんなんじゃないんだ……あくまで自分のためだよ。夜空は?」
「私は……本当の自分を見てくれる人に出会えますようにってお願いするつもりだったんだけど――――」
「だけど――――?」
「もう必要なくなったみたいだから別のお願いしようかな……そうだ、流星とまた会えますように、とか?」
チラッと視線を向ける夜空。『期待』の感情が流星に伝わってくる。
「それなら別に星に願わなくても約束すればいいんじゃないか? たとえば――――夏休み中にペルセウス座流星群とか一緒に見に行くとか」
「ぐ、偶然ね、私もペルセウス座流星群見たかったのよ」
「じゃあ決まりだな」
「う、うん」
もしかして、これってデートなのでは? いやいや、ただの天体観測だから! 静かな外面と違って夜空の内面は色々と騒がしい。
「でも困ったわね……それじゃあ何をお願いしようかしら……」
「まずは無事に帰れますようにってお願いしておいた方が良いんじゃないか?」
「……そうね、地味だけど切実な問題よね」
夜空の願いはロマンチックの欠片もないものに決定した。
「うう……思ったより寒いわね……」
「とりあえず温かいスープとレモンティー飲むか?」
「ええ、いただくわ」
一時的に寒さは凌げるが、明け方までに気温はさらに一段下がる。おまけに少し風が出てきて容赦なく体温を奪ってゆく。
夜空からは『寒い』という感情が絶え間なく流れ込んでくる。上着を貸してやりたいが、予備は無いし、それで流星が体調を崩したら夜空の荷物を誰が運ぶのか。
「夜空、このままだと風邪をひくかもしれない」
「そ、そうね……」
このままだとマズい、そのことは夜空本人が一番わかっている。すべては自分自身の責任、流星に余計な心配をかけてしまって情けないやら申し訳ないやら――――気持ちがぐちゃぐちゃに乱れて思わず涙が零れ落ちそうになる。
「もっとこっちへ来い」
「……へっ!?」
流星の意図を察して真っ赤になる夜空。
「で、でも、私たち今日会ったばかりなのよ?」
「わかってる、俺のことはどう思ってもらっても構わない、でも――――俺が躊躇することでもし夜空が体調を崩したりしたら――――それは俺が嫌われることよりもずっと嫌なことだから」
流星は心から心配して気にかけてくれている、勇気を出して申し出てくれている。それなのに当の私は――――つまらないことを気にして言い訳を探している、全部私が悪いのに……
「ごめんなさい、別に嫌とか嫌いになるとかじゃないの……ただちょっと恥ずかしかっただけで」
「大丈夫、実は俺もめちゃめちゃ恥ずかしいから」
顔を見合わせて噴き出す二人。
「じゃ、じゃあ……お邪魔します」
「お、おう、いらっしゃいませ」
「ぷっ、なにそれ」
たった数十センチ、されど数十センチ。さっきまで隣り合って寝ころがっていた二人の距離がゼロになる。お互いの体温が直に伝わってくる、心なしか息遣いが荒くなって鼓動も慌ただしい。
「夜空、寒くないか?」
「う、うん……暖かい」
二人ともそれどころではないのだが、少なくとも寒くはない。むしろ全身が熱くなって顔から湯気が出そうなほどである。
「りゅ、流星、やっぱり恥ずかしい……」
「お、落ち着け夜空、これはあくまでも天体観測なんだ、星空を眺めていればそんなこと忘れてしまうはず」
「そ、そうね、これは天体観測よね!」
二人は気恥ずかしさを誤魔化すために必死に意識を星々に向ける。
「私の母はね、他に愛してる人がいたのにお父さんと結婚して私を産んだの。お父さんはそれを知っていて――――それでも良いから一緒になったんだって」
「……夜空のお父さんはお母さんのことが好きだったんだね」
たとえ相手の気持ちが自分に向いていなかったとしても――――その人を想う気持ちが無くなるわけではない。でも――――きっとそれは夜空のお母さんも同じ。何があったのか事情はわからないけれど、少なくとも夜空がそのことで辛い想いをしてきたことだけはわかる。流星は少しだけ抱きしめる腕に熱を込める。
「母はね、とても忙しい人で仕事が生き甲斐なの。だから……家にはたまにしか帰って来ないし、家事や料理なんてしているところ見たことない、家族らしい思い出なんて数えるほどしかないわ。お金に不自由したことは無いから感謝はしているけど……私はあの人を母親だと思ったことは一度もない。向こうも私のことを娘だと思ってはいないと思う。でも父がそばに居てくれたから幸せだった」
夜空から伝わる感情に嘘はない。母親のことは嫌いなわけではないけれど、ちょっと距離感が難しいのかもしれない。
「そっか……夜空はお父さんのことが大好きだったんだね」
一方で父に対する夜空の感情は純粋な『敬意』と『愛情』、流星は、心地良い感情の波に身を委ねる。
「うん、父は天体観測が大好きでね、よく私を連れて行ってくれたのよ。私の夢はね、父が巡った場所すべてに行くことなの。この場所と同じようにかつて父が見た同じ星空を眺めたい。一緒に行くことはもう叶わないけどね……」
「素敵な目標だと思うよ」
「ありがとう、流星」
「お、夜空、今二つも流星流れたぞ」
「…………」
「なんだ寝ちゃったのか」
腕の中ですやすや寝息を立てている夜空を見て、流星もあくびをかみ殺す。
「夜明けまであと二時間ってところか……帰りもあるし、仮眠しておかないとな……」
夜空のやわらかい感触と鼻腔をくすぐるほのかに甘い香りに癒されながら――――流星は目を閉じるのだった。