第三話 夜空の想い
なんだか不思議な人だな。
夜空は重い荷物を背負って石段を登る後ろ姿を見つめていた。
夜空は世界的な大女優、星野スバルの一人娘だ。その恵まれた容姿もあって、彼女にかけられる第一声は『可愛いね』『綺麗だね』と相場が決まっている。
街を歩けばナンパ目的で絡まれるのがわかっているので滅多に外出はしないし、一人で深夜出歩くなんて自殺行為、わかっていたけど、今夜ばかりは衝動に突き動かされてしまった。もちろん防犯アイテムは装備しているし、これでも合気道・長刀の段位持ち、油断はなかったけれど、肝心の計画自体に難があり過ぎた。
鍛えているし大丈夫だと思っていたのに……石段を数百段登ったところで力尽きた。
諦めて帰ろうにもすでにバスは無い。仮に山頂まで登れたとしても――――帰りもあるのだ。途方に暮れていたところにやってきた男の子は『天体望遠鏡にしか興味がない』と言い切った。
新鮮な反応だった。安心させるために言ったのかもしれないが、その後の反応を見る限り本気で言っていたとしか思えない。
私より天体望遠鏡の方が良いなんて――――変な人。
でも――――そんな天体望遠鏡を持って地獄の石段に挑みに来た自分はもっと変な奴なんだろう。
お腹の底から笑いがこみ上げてくる。このロマンチックのかけらもない出会いが、案外悪くない――――なんて思い始めてしまっている自分自身にも驚かされる。
「流星……か」
「ん? 何か言った?」
「ううん、何でもありません。荷物重そうだなって思ってしまって」
「ああ、めちゃめちゃ重いぞ、報酬忘れるなよ」
こんなに可愛い女の子相手に要求する報酬が――――天体望遠鏡見せろって――――
ふふっ
「忘れませんよ、これでも感謝しているんですから」
こんなに辛くて――――永遠に続くのではないかと思っていた石段が――――
今は終わってしまうのがちょっとだけ寂しいって思っている。
男の人の背中がこんなに温かくて安心するのは――――父以外では初めてだった。
「夜空、着いたぞ」
「え……? もうですか」
「もう……って、それならもう少し荷物持ってもらえば良かったかな? 俺はもうヘトヘトだよ」
「あはは……お疲れ様でした。あ、私、自販機で飲み物買ってきますね。流星は何が良いですか?」
二人だけの時間が終わってしまうことに寂しさを感じていたなんて口に出せない夜空だったが、残念ながら流星には筒抜けである。もっとも、なぜそう思っているのかまでは、彼もわからないのであるけれど。
「夜空……ここに自販機なんて無いぞ」
「…………へっ!?」
まあ……今時、山の上にも自販機がある時代、夜空があると思い込んでしまったのも仕方ない部分はあるけれど。
「もしかして……飲み物とか持ってきてない?」
「えっと……あの……まあ……わかりやすくいえば、そんな感じ?」
無計画にも程がある、流星は夜空の『羞恥心』を受け止めながら優しく微笑む。
「安心しろ、飲み物なら俺が持ってきたし、どうせ食べ物も持ってきてないんだろ?」
「……はい、面目次第もございません」
「夜空が嫌でなければ一緒に星観ないか? その方が合理的だし、どうせ下山する時だって荷物持たないとならないだろうし」
「う……ソウデスネ。どうぞ天体望遠鏡は好きなだけお使いください」
「その言葉を待ってたよ!! ありがとう夜空」
そういって笑う流星の笑顔がなんだか眩しくて――――夜空は目のやりどころに困るのであった。
「うわあ……これはすごい、まるで星が降ってくるみたいだ……」
「本当に……来て良かった……」
南西の空には肉眼でもはっきりわかる光の帯が描かれている。
「天の川があんなにはっきり……夜空、早く観測しよう――――って、そういえばちょっと小腹が空いてきたな、何か食べようか?」
さっそくテンションが上がる流星だったが、夜空の『お腹が空いた』という感情に気付いて気転をきかせる。
「じゃあ観測しやすそうな場所に……夜空、レジャーシートとか持ってきてる?」
「……無いわね」
「あはは、気にすんな、俺のレジャーシートは二人で横になっても余裕の広さだし」
流星はお尻が痛くならないクッション性のあるレジャーシートを広げて場所を確保する。
「夜空、虫よけしたか?」
「え? いいえ」
「それ……地獄みるぞ、いいから目をつぶれ」
「えっ!? 目を……?」
キスでもされるのかとドキドキしてしまう夜空と、その感情が伝わって変な気分になる流星。
「……安心しろ、ただの虫よけスプレーだから」
「わ、わかってるわよ、ひゃっ、冷たい」
全身くまなくスプレーを浴びて息を吐く夜空。その姿が妙に艶っぽくて――――流星はなんとなく目を逸らしてしまう。
「いつもならおにぎり作って来るんだけど……今日はホテルだったから、パンなんだ」
ホテル内のパン屋で買って来たクロワッサンやパンオショコラを見て瞳を輝かせる夜空。
「本当に貰っても良いの?」
「ああ、きっちり半分こ、な。あ、それから……味噌汁とミネストローネあるけどどっちがいい?」
「え……? もしかしてここってレストランだったりするのかしら!?」
「ふふん、夜中結構冷えるから温かいスープが欲しくなるんだよ。飲めば身体も温まって、帰りの荷物が軽くなるから一石二鳥ってわけさ」
自慢げに取り出したのは魔法瓶。ふたを開けると白い湯気と優しい香りが広がってゆく。
「あの……両方ってわけにはいかないかしら?」
「味噌汁とミネストローネ注文入りました、はい、どうぞ織姫さま。たくさんあるから遠慮なく」
「はあ……身体に染み渡る……」
夜空の『幸せ』な感情が伝わってきて流星はにこりと微笑む。
「飲み物は……冷たい麦茶と温かいレモンティーがあるけど?」
「流星は本当にすごいのね……麦茶をいただくわ」
流星に『感心』する一方で、自分の情けなさに『落ち込んで』しまう夜空。
「俺だって何度も失敗して、次回はこうしようとか、考えるようになっただけだよ。でもさ、俺って最悪のことを考えて準備しすぎるからいつも用意したものが無駄になっちゃうんだ。だから――――今回、夜空の役に立てて本当に嬉しいんだ」
「う、うん……それなら遠慮なく。私だって次は同じ失敗しないんだからね」
「ああ、失敗こそ成功の母っていうからな」
「おおっ……!! これがUnistellar Equinox 2 スマート望遠鏡か……めちゃめちゃスタイリッシュでカッコイイな……。な、なあ夜空、頬ずりしても良いか?」
「駄目に決まってるでしょ、馬鹿なの?」
流星のあまりの食い付きに、夜空も若干引き気味である。
「これってスマホで操作出来るんだろ?」
「そうよ、ほらこんな風に」
「うおおおお、すげええ!!」
「興奮するのはわかるけど……他の人たちの迷惑よ」
「……ごめん」
そう言いながらも夜空は満更でもない。父の形見を褒めてもらったのだから当然だ。そして――――流星が興奮するのも無理はない。三脚と専用バックパックを合わせれば五十万円以上はするのだから学生にとっては手が届かない高嶺の花である。
「流星の天体望遠鏡も素敵ね。ちゃんと手入れされていて大事に使われているのが一目でわかる」
「ありがとう夜空、これ亡くなった母さんが中学入学のお祝いに買ってくれたんだ。俺にとっては宝物なんだよ」
「そう……素敵なお母さまだったのね」
純粋な『共感』に混じる複雑な感情を感じて流星は夜空を見つめる。
「夜空は……もしかして、あまりお母さんが好きじゃなかったりするのか?」
流星の問いかけにビクリと身体を震わせる夜空。
「嫌い……ではないわ。でも――――あの女が私の母親だったことは一度もなかった、ただそれだけよ」
「そっか……変なこと聞いて悪かった、そろそろ星、見ようか」
「ええ、そうしましょう」
少し気まずい空気になりかけたが、そんな微妙な空気もこの満天の星空の下では些細なことに感じられてしまう。二人は今度こそ天体観測を始めるのだった。