第二話 星降る夜に
『ごめんね流星……辛い思いをさせて』
流星が他の人と違うと認識するまでにそう時間はかからなかった。感情の刃は容赦なく幼い心をズタズタにし、毎日のように泣いていた我が子を、母はそっと抱きしめる。
我が子を想う母の感情はいつだって流星の深く傷付いた心を包み込んでくれたけれど、だからといって何も変わらない。
『うう……もう嫌だよ……こんな力要らない』
一度だけ母にそう言ったことがある。その時感じた母の感情を流星は今でも忘れられない。驚いて後悔する流星を母は優しく抱き寄せた。
『私もね、ずっとこの力が嫌だったの。なんで私だけこんな辛い想いをしなければならないんだって思っていたわ』
『……ママも?』
『ええ、そうよ。でもね……私はこの力のおかげでお父さんと出会えた。大切な人たちを守ることが出来たのよ。それに――――流星、何よりもあなたが生まれて来てくれた。だからね――――いつかきっとあなたにもそういう時がくるわ』
『……うん』
『いい子ね。あなたはとても優しい。痛みを知る人間は誰に対しても優しくなれる。それは――――とても難しいことだけれど流星ならきっと大丈夫。でもね――――もし辛くなったら星を見なさい。星はいつだって私たちを優しく見守ってくれているから。満天の星空を眺めているとね、ちっぽけな悩みなんて綺麗さっぱり忘れてしまうものよ』
「流星、そろそろ出発するぞ」
「あと五分待って父さん、あと一問で夏休みの宿題終わるから」
「何も今終わらせなくてもホテルに着いてからでも良いんじゃないか?」
「その妥協が命取りになるんだよ父さん」
「最近の宿題は怖ろしいんだな」
夏休みに入ってすぐに引越しすることになっていたのだが、流星はそのことを誰にも話していなかった。陽翔やひよりの誘いに乗らなかったのも、気まずさよりもそれが理由だ。
引越しと言っても、学校は変わらず通学出来るのでわざわざ説明する必要はない。話さなかった理由は――――父親の再婚相手と一緒に暮らすことになるからだ。
どんな相手なのか、上手くやって行けるのか、まだ何もわからない状態で引越しするなんて話したら面倒なことになるに決まっている。いずれは話さなければならないだろうが、それは状況が落ち着いてからでもいいだろうと流星は考えている。
「じゃあ出かけてくる」
「流星群だっけ? 天気が良くて良かったな」
「うん、戻るのは朝方になると思うけど」
「わかった、でも明日の夜は顔合わせだから忘れないように頼むぞ」
流星は母の影響で星を見るのが好きだった。星を眺めている時だけは心が安らぐし余計な感情に悩まされることもない。だから――――引越し先が星見ヶ丘と聞いた時、流星は密かに喜んでいた。星見ヶ丘は、その名の通り良質な天体観測スポットが点在しているからだ。
そして今夜はみずがめ座流星群がもっともよく観測できる日だ。流星は天体望遠鏡を持ってホテルを出る。
行先は星見神社。最終バスで麓まで行って、頂上までは徒歩で約三十分。周囲には何も無いので夜は真っ暗、星の観測に最適な場所だ。夜間も解放されていてトイレや休憩所もあるので初心者でも楽しめる知る人ぞ知る穴場スポット。条件が揃えば、鳥居から満天の星空を覗き込むような写真が撮れる。
「……思ったより人が少ないな」
元々人気のスポットな上に、今夜は天体ショーもある。多少の人出は覚悟していたが、まさかここまで人が少ないとは思わなかった。嫌でも他人の感情を受け取ってしまう流星にとっては嬉しい誤算である。
まあ……本殿がある山頂までは1500段以上あると言われる石段を登らなければならないわけで、はっきり言って苦行である。いくら穴場スポットといっても挑戦できるのは体力がある若者かガチ勢くらいのもの。星見ヶ丘には車で簡単にアクセスできるスポットが他にもあるわけで、家族連れなどはここには来ないということなのだろう。
予想が的中して内心ガッツポーズの流星だったが――――
「……ヤバい、結構きついぞこれ」
夏とはいえ山の上は結構冷える。防寒用の上着も必要だし、飲み物、食べ物はもちろん、レジャーシート、ライト、そして――――何より天体望遠鏡が地味に重い。流星の天体望遠鏡は軽量タイプではあるが、それでも鏡筒と三脚を合わせれば五キロ近くある。
「一旦休憩でもするか――――ん?」
流星が感じたのは『疲労』と『後悔』そして『困惑』の感情。
「誰か困っているみたいだな……」
感情の主を探して石段を登ってゆくと――――
石段に腰を下ろしてうずくまっている女性を発見した。あえて理由を尋ねる必要もなかった――――その荷物を見れば一目瞭然だったから。
「こんばんは、良かったら手伝うよ。重いでしょそれ」
持ち運び用の専用バッグ、ハイスペックな機材だとわかる。だが――――この場所に女性一人で運ぶには重すぎるであろうことも。
「え? あ……その、お構いなく」
『警戒』『不信感』そして――――若干の『恐怖』と『嫌悪』の感情、まあ……こんな深夜に男から声を掛けられたらそうなるよな、流星は軽く息を吐いて自己紹介を始める。
「俺は白銀流星、高一でただの星好きだよ。君もそうなんだよね? 警戒するのは理解するけど俺はその高そうな天体望遠鏡にしか興味ないから安心して。タダで手伝うことに抵抗があるなら――――山頂行ったら俺にも見せてくれないか、それ」
流星の言葉にキョトンとしていた女性だったが、くすっと笑い始める。
「俺……何か変なこと言ったかな?」
戸惑いつつも、彼女のネガティブな感情が薄れてゆくのを感じて安堵する流星。
「いいえ、私こそ親切で言ってくれたのにごめんなさい。私は星野夜空、同じ高校一年生。報酬は天体望遠鏡を見せるってことで良いのかしら?」
「ああ!! もちろん、やったあ!!」
「なんでアナタが喜んでいるのよ……ここは私が喜ぶところだと思うのだけれど」
天体望遠鏡を見れると喜ぶ流星の姿に笑う夜空であった。
「しかし――――よくこれを持ってこようと思ったな……」
夜空の天体望遠鏡は十キロ近くある。普通なら車で持ち運びするレベル、ここまで持ってきただけでも大したものだと流星は感心半分、呆れ半分である。
「……体力には自信があったのよ……さっきまでは、だけど」
スッと視線を逸らす夜空。
「まあ……そう言う俺も甘く見てたから気持ちはわかる」
「そうよね? 現地に来て絶望したわ……もっとちゃんと調べて来れば良かったって……」
照れ笑いする夜空だが、流星もまた似たようなものだ。事前に計画していたわけではなく、思いつきと衝動だけで飛び出して来たのだから。
「でも、来てしまったものは仕方ない、最高の星が見られれば全部チャラになるしな」
「……そうね、楽しみだわ」
たわいのない会話を続けていると自然石段を進む足取りも軽くなる。このまま一気に山頂まで登れそうだったが――――
「少し休憩しよう」
夜空から『疲労』の感情を察知して流星は休憩を申し出る。
「そうね、急ぐ必要もないし」
ホッとした表情で腰を降ろす夜空。一番重い荷物は流星が持っているが、蓄積した疲労は簡単には抜けるものではない。
「えっと……白銀……くんはどうしてここへ?」
「流星でいいよ、俺は……そうだな、単純に星を見るのが好きだからっていうのと、母さんと流星群見たことを思い出したから、かな……星野……さんは?」
「夜空でいいわよ、私も同じようなものかしら。父が星を見るのが好きでね、よく一緒に出掛けていたのよ。この天体望遠鏡も父の形見なの。星見神社は父がよく撮影していた場所でね、一度来てみたかったから……」
無言で星空を見上げる二人。言葉はなくとも通じ合えたような気がしたからそれで十分だった。
「そろそろ行こうか」
「ええ」
十五分ほど休憩して、二人は再び山頂目指して歩き始めるのであった。