午後の牛睡
気がついたら【魚の目】は、バルコニーでピアノの音を聞きながら――断じて音楽とは呼べないその繰り返しの打鍵を背に――うとうとと牛のようなまどろみに包まれていた。
夢というほど明瞭なかたちをもたず、かといって現実の輪郭に接触するにはあまりにも鈍重で、ゆっくりと寝返りを打つような内的運動だけがかすかにあった。
彼の名は本名ではなかった。ある日、銭湯の脱衣所で他人の爪先を踏んだときに呼ばれたあだ名が、そのまま定着したのだ。「魚の目、痛ぇだろ!」と男は怒鳴り、【魚の目】はその語感に妙な親近感を覚えてしまったのだった。
バルコニーの下、廃園となった中庭に、一匹のタコがいた。いや、正確には「タコのような何か」だった。すり減った皮膚に墨色の斑点が浮かび、夕方の濁った光に浮かび上がっていた。タコは長いゲソの一本でピアノを弾いていた。
一音ずつの鍵を押すたび、コンクリートの底にわずかな共鳴が生まれる。それは音というより、皮膚の下を何かが這う感触に近い。心地よいものではないが、聞き流すには充分に曖昧で、やがて【魚の目】はまた目を閉じた。
「音楽じゃないよな」と彼は呟く。
言葉にしたところで、誰かがそれを拾うとは思っていない。かつて彼が言葉を投げて反応を返されたのは、最も暗い記憶の一つだった。郵便受けに入れた手紙が“返送不可”の印と共に戻ってきたときのような、ある種の終わりの兆し。
【魚の目】はピアノの音と沈黙のあいだを漂う。
バルコニーには誰も来なかった。もう何ヶ月も、彼の住む部屋には来客がない。タコだけが、毎日決まった時刻に現れ、ゲソで鍵盤を叩いては、黙って帰っていった。
もしかしたら、それも彼の幻想なのかもしれない。彼がかつて飼っていたベタが死んだとき、水面の泡が音になって彼の耳に届いたように。幻聴というにはあまりに重く、現実というにはあまりに軽い。
牛の眠りからゆっくりと目覚めたとき、【魚の目】はふと、ピアノの下に何かが落ちていることに気づいた。まるで誰かが音に置き忘れた、意味のかけら。紙切れだった。折り目がついている。
それを拾うかどうか、彼は少しのあいだ迷った。迷っているうちに、タコのゲソが一音、深く沈んだ。
まるで誰かが、彼の人生に「次の一音」を強制したように。