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古城の暗影  作者: 牧亜弓
二階
68/100

zoomでミュートのまんま会議に参加していた

 朝九時。

 彼は机に座り、Zoomを立ち上げた。

 背後にはカーテンを吊り、カメラには角と耳が映らぬよう微調整を済ませ、マイクチェックも終えた――はずだった。


 泣き虫マンティコアは、いま、テレワーク中の中堅社員として、あるIT会社の定例ミーティングに参加している。

 名前表示は「佐藤(開発部)」になっていた。彼は佐藤ではないが、それを言うわけにもいかない。


 会議は始まった。誰かが進捗を話す。誰かが頷く。誰かがため息をつく。

 彼も画面越しに頷き、メモを取り、発言の順を待った。テーマは新規プロジェクト――彼にとっては、久々の出番だ。


 そして、ついに名前が呼ばれた。


 「佐藤さん、次お願いします」


 彼は息を吸い、資料を見た。

 話し出す――が、画面の誰も反応しない。

 まばたきだけが、バラバラと画面を漂う。

 やがて、進行役が言った。


 「……佐藤さん、マイクがミュートのままです」


 瞬間、彼は固まった。

 右手でマウスを探す。だが肉球が滑る。

 マウスポインタがどこかへ消えた。画面の「ミュート解除」ボタンにたどりつけない。


 会議の空気が、わずかにざわめいた。

 「……あー、じゃあ、次の方いきましょうか」


 その言葉が、胸に突き刺さった。

 彼は叫びたかった。

 「違う!います!しゃべってます!こっちはちゃんと準備してきたんです!」

 でも声は届かない。マイクは沈黙したまま、会議は次へ進んだ。


 画面の中で、話題は別の人へ移った。

 彼は、そのまま、マイクを解除せぬまま、会議の終わりを迎えた。


 カメラのランプが消える。Zoomが閉じる。

 部屋には、誰の気配もなかった。


 「……わたしは、ずっと、ミュートのまま生きてきたのかもしれんな」


 彼は呟く。

 たぶん、誰よりも多く言葉を準備していた。

 誰よりも、話すつもりだった。

 だが、誰も聞いていなかった。


 その日、彼は一言も発せぬまま、業務を終えた。

 モニターには、未送信のチャットが残っていた。



『泣き虫マンティコア、SNSでブロックされる』


――第64話:「“つながり”という言葉が、一番の牢屋になることがある」



 泣き虫マンティコアは、Twitter――今はXと呼ばれる場所に、ひそかにアカウントを持っていた。

 名前は「@kage_no_oni」。プロフィールには「人間社会に適応中。ビールと詩が好き」と書かれている。

 アイコンは月。フォロワーは17人。


 彼はよく、誰かのポストにリプライをしていた。

 「あなたの気持ち、わかるような気がします」

 「わたしも、似た夜を歩いています」

 「ほんとうに、がんばっていますね」


 だがある日。お気に入りだったアカウントのポストが、突然読めなくなった。

 「このアカウントのポストは表示できません」


 彼はページを何度も更新した。スマホを再起動した。アプリを再インストールした。だが、表示されない。

 ――それは、ブロックだった。


 彼は呆然とした。なぜだろう。なにか、間違えたのだろうか。

 だがそこには、答えなどなかった。SNSには理由は不要なのだ。

 相手が「嫌だ」と思えば、それだけで、世界から追放される。


 「……わたしは、また“怪物”になってしまったのか」


 彼はひとり言のようにつぶやく。

 過剰だったのか。気味悪がられたのか。

 あるいは、何かを思い出させてしまったのかもしれない。


 画面には「フォローを解除されました」の通知。

 それは、静かなる断絶の鐘だった。


 彼はアカウントを削除しなかった。

 ただ、そっとログアウトした。


 画面の月は、いつまでも静かに、白く光っていた。



『泣き虫マンティコア、確定申告に悩む』


――第69話:「税の話になると、誰もが等しく魔物になる」



 三月。

 泣き虫マンティコアは、税務署のウェブサイトと格闘していた。

 年に一度のこの作業は、彼にとって地上最大の謎解きだった。


 「源泉徴収票……雑所得……控除……青色……?」


 モニターに顔を近づけすぎて、角がぶつかる。

 毒針がマウスを誤操作する。紙が爪に引っかかる。

 彼は人間よりも多くの収入源を持っていた。

 翻訳、詩作、動画編集、演劇の助成金、企業案件、魔術結社からの研究委託費――。


 だが、それをどの欄に書けばいいのかが、まったくわからない。


 「……課税と非課税のちがいって、何だ?」


 自分が社会に属していないと、こうも“参加の証明”が難しい。

 **“存在を示すために支払うのが税金だ”**と、誰かが言った気がする。

 ならば、彼はいつから――存在していないことになったのだろう。


 「もし、わたしが間違えたら、何が起こるのだろう」


 逮捕される?督促状が来る?“人間”じゃないとばれる?


 彼は印刷ボタンを押し、A4用紙を大量に吐き出した。

 それはまるで、自分の命をコピーしているかのようだった。


 夜が明けた。彼はマスクをして、書類を抱え、そっと外に出た。

 歩きながら思った。自分の存在が、税務署に届くのなら――それは、たぶん、人間になれたということなのだ。


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