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古城の暗影  作者: 牧亜弓
中庭
30/100

石は沈黙していたあらゆる時間の縁で石は常に沈黙していた語られずに残されたもの記されずに積もったもの触れられたが忘れられたものが石となり地面の奥深くで永遠に記述を拒む形として固まり風化と圧縮と記憶の捩れを経てただ在ることに徹するこの石は中庭の片隅に半ば土に埋もれるようにしてあったが誰もがそれを見落とすのはその形が見るという行為を受け入れていないからであり石は目の機能を撥ねつけ語りのフレームを押し返す内的拒絶の構造であり【魚の目】がその石を見たのは偶然ではなく必然でもなくただ語りの流れの折れ曲がる地点で彼の視界が思考に飲み込まれたわずかな揺れによって捕捉されたものであり石がそこにあるというより語るべきものがなかった場所に石が変化しただけのことだった彼はその石に触れるべきかどうかを迷いながらも指を伸ばしその指が石に触れた瞬間彼の内側で眠っていたある語りの核が震え始めたそれは記憶ではなかった記録でもなかったただその瞬間にだけ成立する語りの零度そこにおいてのみ存在する語り以前の気配であり彼は自らが触れたものが石のかたちをした過去の重みではなく未来に発語されるはずだった言葉の成れの果てだと気づきその予感が思考を鈍らせ言葉と感覚の境界が霧のように滲み始めるこの石は語りを持たぬが語りを吸うあらゆる語られかけた事象の末端を吸引し語られなかったことで強度を持ちそして語られぬままに重さとなり圧となり沈黙の質量としてそこに横たわっている【魚の目】はそこに言葉を見たのではなく言葉の死骸を見たのでありそれはかつて語られようとして語られず息絶えた無数の構文の断片がこの石のなかで凝縮され沈黙の密度として蓄積されたものだったそれを見ていたのは彼だけではなく中庭の反対側に立つ【庭番】もまた石の存在に沈黙で応じており彼の閉じられたままの眼が開かれぬことによってのみ世界を守っているという事実がいまや微かに軋み始めているように思えたそしてそのとき【魚の目】は知るこの石はただの石ではないこの石は次の語りが芽吹く前に通過せねばならない静寂の器であり語りの前に横たわる犠牲であり過去の余白を封じるためにこの場に置かれた封印の核でありこの石に触れた者は語る資格を得ると同時に語りに殺される可能性を内包する記述の交差点であるということを石は何も語らないが石に触れた者は語らねばならないその静けさの中に生まれる声こそが語りの原点であり【魚の目】はそれが自らの存在の根にまで及ぶ衝撃を孕んでいることを知りながらその手を引くことはせずむしろその石の上に両の掌を重ねその震えを全身で受け入れようとするそのとき空気の密度が変わり中庭に生えていた湿った草の根が微かに軋みを上げるその音は地中の構文が擦れ合う響きであり未だ語られぬことへの予兆であり中庭の空が微かに裂けかけたその瞬間誰かが確かにこう呟いたまだ語るには早い

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