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古城の暗影  作者: 牧亜弓
森小屋
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風紋

【魚の目】は座っていた座っていたというより座らされていた構文がそう命じていたからだ床のきしみはもう音ではなかった読み取られることを前提とした線となり空間に皺を刻んでいた空間そのものが古びていたがそれは経年ではなく記述の疲労によるものであった文体が摩耗すると物語は風を欲する風は構文の潤滑油であり文章に割り込む異物であり世界を外側から撫でる無署名の語り手であるそれが【魚の目】の耳に届いたとき風はもう風ではなかった風は囁いていたそれは方言のようであり旋律のようでもあり確かにこう言っていたんやドシラソーとななあ聞こえたかの風の声やこれはな風の指や風の喉や風の舌や風が何かを伝えたがっとるんやけどそれがななんやらドに始まってシに進んでラに迷い込んでソに収束しとるんやでその流れは風紋みたいや風が砂に刻むあの模様と同じや記述やのうて旋律やのうて記憶やそれはな記述の前にある記述やつまり語られる以前に語りを欲した風の声なんや【魚の目】は天井を見上げる風が通り抜ける隙間などないはずなのにそこに明確な通路があることを感じる構文の隙間が開いていたページの端がめくれたように現れた隙間その裂け目から風が入ってくるそして囁く言葉を持たぬ声が耳の奥に食い込んでくる意味を孕む前のざわめき意味を拒絶する震えそれでも風はドシラソーとなと繰り返すたしかに音階であるしかし音楽ではない旋律が構文として意味を持つには文法の定着が必要であり風はその定着を拒む風とは固定に抗する運動でありその風が【魚の目】の皮膚を舐めるその感覚があまりにも具体的であり幻覚とは思えぬほどの濃度を持っていたと同時にその風の中に何者かの名が浮かんだ【別府忠夫】であったいやそう聞こえたのだドシラソーとなと繰り返す声の中にその名が挟み込まれていたそれは風の真似ではなかった風が語ったのではない風が語らせたのだこの風の声に耳を澄ませば澄ますほど構文がほどけていく構文とは常に風を拒む風のような不確定性を排し輪郭を与える行為であるその輪郭が今崩れている風によって崩されている【魚の目】の中に芽生えた疑念はやがて確信に至るこの小屋は語られることを望んでいないこの空間そのものが風に憧れている構文であることをやめようとしているドに始まりシに進みラに迷いソに崩れるその旋律は語らぬことを指し示していたつまり黙れということであるしかし【魚の目】はそうはしなかった風を読むことができるのなら風を記述に変換できるのなら構文として組み直すこともできるとそう信じた風を語るには風に名を与えねばならないそして風に名を与えた瞬間風は風でなくなるその名が何であったか今ではもう定かではないただ【ゲソ】の声が風に混じっていたことは確かだった母の声があまりにも幼く届いたそれは記憶の断片ではない記述の断裂だった語りの亀裂であった【ゲソ】は何かを叫んでいたが風がそれを断ち切ったドシラソーとなそれがすべてを塗り替えた【魚の目】はその風をすくおうと手を伸ばしたが掌の中には何もなかった風はつかめないつかめないものに意味を求めてはいけない意味は奪い取るものだ意味は著者が書くものではない読者が勝ち取るものであるこの言葉がどこから来たのか【魚の目】にはわからなかったしかしそれが真理であることだけは確かだった風は勝ち取るものなのだ語りとは風のようなものであり読むこととは風を吸い込むことであり記述とは風を封じる暴力であるドシラソーとなそれはもはや呪文であった魔法であり記号でありそして破滅の前兆であった次の瞬間構文が歪み始めた床がねじれ柱が撓み壁紙が剥がれその隙間から新たな語りが顔を出した【魚の目】はそこに立つ者の影を見たが目を逸らした風の中に見るべきものはない風は観察者を拒む風はただ語りを誘うだけであるそして物語は次の頁を開く風はまだ吹いている次はどの記述が裂けるのかどの語りが崩れるのかそのすべてが未定のまま風は今日も構文の隙間を吹き抜けていく


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