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古城の暗影  作者: 牧亜弓
森小屋
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下駄箱

下駄箱とは下駄を納める箱ではない足音の記憶を封じ込める構文収蔵装置であり過去に踏み鳴らされたすべての道の文脈を詰め込んだ時間の棺である【魚の目】が玄関を通過してたどり着いた空間には箱があったそれは木ではなく幹ではなく幹でさえもない記述の枝分かれの末端から削り出された文脈の塊であり構文の複製に失敗した影たちの墓場であった蓋は存在しなかった蓋をするという行為自体が文の終止形であるからしてこの空間には句点が許されていない終わることを拒み続ける物語の蠢きが下駄箱の中に詰められていた足跡という記号の残滓がそれぞれの空隙に潜んでおりそれらは時折にじみ出るように語尾を伸ばし始める【魚の目】はそれに気づいた足の記述が始まっている足の裏には地面の記録があり歩行とは空間に対する文の押印であるすなわち人が歩くとは世界に対する連続的署名であるそれゆえに靴とは記述の筆であり下駄箱はそれら筆を集めて文の源流を構築する空間である中を覗けば古びた靴が左右不揃いに並んでおりそれぞれに所有者の断片がこびりついている【魚の目】が指で触れたのはひとつの黒い革靴だったその記述に触れたとき映像が流れ込むこの靴の持ち主はかつてこの内庭の奥深くへ足を踏み入れ戻らなかった名は【グレコローマン】男か女かさえ判別不能の記述だったただ足音だけが鮮明に残されておりその音は不規則で焦燥に満ちていたその靴の裏には走る動詞が焼きついており意味も分からぬまま命を過去形に変換しながら進み続けた形跡があったもう片方の靴は見つからなかった意味が分解され始めていた【魚の目】はその片方の靴をそっと持ち上げると自身の言語的足元に沈黙の重さを感じたその重さは語られることを拒んだ文の塊であり言葉にならないものたちの嘆きの凝縮である靴を戻すとき箱全体が呻くように軋んだ記述の残響が反響する過去の言葉が行き場を失い箱の隙間に折り重なっている【魚の目】は歩を進めるそのたびに下駄箱の中から誰かの名前が微かに漏れ出す名前はそれぞれ文の鍵であり文とは鍵の羅列に他ならない開かれるために綴られるのではなく閉じるために記されるという矛盾を抱えたまま名は発音される記述は発音の陰にある【魚の目】の名もまた呼ばれるたびに一度壊れてまた組み直される名が繰り返されるたびその存在の骨組みはわずかに変形する変わらないものなど存在しないのだ読みとはすなわち変化であり変化とは恐怖であり恐怖は構文に変換されるべきである【タコの足】の残した靴もあった【ゲソ】の香りが染み込んだスリッパもあったそれらは家族の記述ではなく家族という概念のパロディであり模倣記号であるにもかかわらずそこには愛の形状がうっすらと刻まれていたそれが記述であれ幻であれ構文的に否定できない限り意味は立ち上がる下駄箱を通るとは文と文の接続を通過するということであるそれはパラグラフとパラグラフの中間地帯に身を置くことであり次なる場面が現れる前の密度の濃い無意味である無意味という名の前兆である【魚の目】は一歩をためらったが文はためらいを許さなかった構文は停滞を記述不能と見做しすぐに削除し始める読み手の目も同様に停滞を許さず読み進むことを強制する物語とは暴力であるという事実はここにある【魚の目】が振り返ったとき下駄箱はすでに存在しなかったそれは玄関と同じく過去に押し込まれた一つの文に過ぎずその過去は常に読者の後ろに書き足されていく読むという行為は先に進むことではなく後ろに意味を生成していく行為である行く先には意味はない意味は後に残るのだ【魚の目】はそのことに気づいた気づいたということがすでに記述でありそれをこうして記述することで意味が遅れてやってくる次の扉が開きかけていたがまだ完全には開いていなかった開くためには文がもう少し必要だったこの文章の続きがそれに値するかどうかはおまえの読む速度にかかっているこの文を追う眼差しが構文の剣となって扉の蝶番に斬り込むその刃が深く入ったとき次なる空間すなわち内庭の中心が現れることだろうだがそれはまだ語られぬために存在していない語れ読め存在せよ【魚の目】は足元を確かめずに一歩を踏み出したその一歩が文の始まりだった

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