5,ヤンキーくんとサボり魔ちゃん
翌朝、もはや慣れてきた東京の満員電車に揺られる通学路。
「おはよう、青木くん」
最寄り駅で降りて徒歩五分、愛隣高校の校門を過ぎたところで甘い雰囲気の声に呼び止められた。
昨日、耳にタコができるほど聞いた声。
「うす、及川か」
及川優子。クラスメイトであり、昨日入部した漫画研究部の部員。
こうして朝、及川から挨拶されるのはこれが初めてであった。
ちょこちょこと小走りで駆け寄ってきた及川が、俺の横に並んで歩く。
それを見た周囲がざわつく。
不良の俺と、優等生っぽい及川が並んで歩いている。
周りにとって、これはちょっとした珍事なのかもしれない。
「おい、いいのかよ」
「なにが?」
「なにがって、お前俺と並んで歩いてたら悪評立たねーか?」
及川はきょとんとした表情だが、俺は及川の評判が落ちる可能性を考えて真面目な顔で忠告しようとする。
「大丈夫だよ、私気にしないもん」
「気にした方がいいだろ」
「気にする必要ないよ。だって青木くんはクラスメイトだし、同じ部の仲間なんだから、一緒にいて何も変じゃないと思うよ?」
及川の言うことには一理あるものの、それは一般人が相手という前提だ。
「お前、俺にビビってたのに……度胸があるのかないのかわかんねーな」
「そう? 私はただ、同志を一人ぼっちにするのは違うと思っただけだよ」
そんなやり取りをしながら靴を履き替え、二人で教室へ向かった。
教室に入るとざわついていたクラスメイトが静まり返り、俺と及川が一緒に入室してきたところをじっと見つめる。
予想通り、注目を浴びる結果になってしまった。
「……おい、いいのかよ?」
流石にまずいと思い、着席してから体の向きを変え、及川に話しかける。
「なにが?」
「めっちゃ注目されてるじゃねーか、まずいだろ?」
「まずくないよ、大丈夫」
こいつ、これだけ俺が心配してやっているのに。
そこまで言うならもう何も言わない、というか言えない。
「みんなおはよう」
気まずくて黙り込んでいると、実崎が教室に入ってくる。
朝のSHRは事務的に淡々と進み、連絡事項を聞いて日直が挨拶し、いつも通り手短に終了した。
しかしSHRが終わると、実崎が俺のほうへ歩いてくるのが目に入る。
「青木くん、ちょっとだけ来てもらってもいい?」
いきなり実崎に声をかけられ、思わず身構える。
「え、なんかす?」
「ほんのちょっとだけ話があってね、授業には間に合うからいいかな?」
「まあ、いいっすけど……」
渋々といった感じで立ち上がり、実崎についていって教室の外に出る。
なんだよ、説教されるようなことをした覚えはないぞ。
「それにしてもあたしはビックリしたよ、まさか青木くんがね」
「な、なんすか? 俺、なんかした覚えないっすよ?」
「いやーこれは雑談だよ。ただ青木くんが漫研に入部したと聞いてね、それに驚いているんだ」
その瞬間、頭の中が真っ白になった。
「……え、なんでアンタがそのこと知ってるんすか!?」
少しの硬直の後、思わず大声を出してしまう。
誰が何部に入っているって情報、そんなにすぐ担任の耳に入るものなのか。
しかしその理由はすぐに実崎の口によって判明する。
「だってあたしは漫研の顧問だぞ? 知ってて当たり前でしょう?」
驚愕の事実。
にわかに信じがたいけど、実崎本人がそう言うなら事実なのだろう。
「初耳なんすけど、ソレ……」
「だって聞かれてないしな」
「いや、ていうか……え、なんで?」
「なんでって聞かれても教師も人手不足だからね。新任の先生とか事情ある人以外みんな何かしらの部の顧問だし、あと漫研の顧問ラクそうだったから」
動機がめちゃくちゃ不純だった。
「まあでもコレが意外とラクじゃないんだわ、帰り遅くなるしね」
「はあ、そうっすか……」
「けど一ついいこともあるぞ!! 部室に漫画たくさんあるから読み放題なの!!」
職権乱用じゃねーかよ。
教師が目を輝かせて言う事じゃないだろ、それ。
実崎って口うるさい時もあるけど、実は結構いい加減な人間なのでは。
「ま、そんなわけで君とは深い付き合いになりそうだな。よろしく頼むよ」
ポンポンと俺の肩を叩きながら、実崎はウンウンと何度も首を縦に振った。
「それじゃあそろそろ授業だな、サボるなよ?」
「うす……」
実崎は踵を返し、自分の授業をしにどこかへ消えて行った。
「……マジかよ」
ため息交じりにそう呟く。
俺、やっぱり入る部を間違えたかもしれない。
まさか担任が入部した部活の顧問だとは、それが朝一番の衝撃であった。
◇ ◇ ◇
昼休みに入るのと同時、立ち上がって教室から出ようとする。
「あら、青木くん何処に行くの?」
及川から呼び止められた。
「ちょっと用事あるんだよ」
「そうなんだ」
「そういうことだ、じゃーな」
及川に別れを告げ、屋上の入り口がある東階段最上階の踊り場へ向かう。
俺は約束を守る男だ。当然、昨日佐藤と交わした約束があるので、購買で焼きそばパンを購入してから階段を上がった。
「よっす」
例の場所へ差し掛かると、既に佐藤が昨日と同じように階段に座り込んでいた。
「おう。ほれ、例のブツ」
「ありがと!!」
横に座って袋に入れたソレを差し出すと、佐藤は満面の笑みでソレを受け取る。
「四十八巻あるから、全部持ってきたら重いから五巻だけ持ってきた」
「え、これ四十八巻もあるの?」
佐藤の顔が若干引き攣っいてた。
「昭和から平成にかけて、二十年近く掲載されていたからな」
「ヤバすぎでしょ」
「とりあえず読んでみて、面白かったら続きまた持ってくるわ」
「うい、とりあえず家帰ったら読むわ」
俺からソレを受け取った佐藤はソレを自分の左側に置き、今度は弁当箱をとって蓋を開けた。
それからは特に会話もなく、ただ隣に座ってパンを頬張る。
「……青木さ、この前もパンじゃなかった?」
「そうだな」
「それだけじゃ足りなくない?」
「足りねーな、でも俺メシとか作れねーし」
もちろん親が弁当を作ってくれるわけがない。
俺の親は俺のことなど半ば見捨てており、実質家庭内別居状態にあるため、朝飯こそ作ってはくれるものの、久しく昼と晩は食べていない。
ある程度の小遣いを手渡されるため、それで飯を食べているというわけだ。
会話もないし、ただ家に置いてもらっているだけ感謝すべきかもしれない。
「ほら、ハンバーグ一個あげる」
やれやれと言わんばかりに佐藤が箸にハンバーグを摘まみ、この前のように俺の口元に差し出してきた。
ハンバーグはそれほど大きいものではなく、何口かで食べられる。
「いいの?」
「いいよ、食べな」
「じゃあ遠慮なく」
ハンバーグを一口含むと、程よい柔らかさで肉汁が溢れてきた。
つまり美味いということだ。
「これも手作り?」
「昨日うちハンバーグで挽肉余ってたから、それで昨日ついでに作った」
「へえ、うめえわ」
「ありがと、とりあえず腕痛くなってくるから食べちゃいな」
二口、三口とハンバーグを口に含み、全部食べ終えて佐藤が腕を下ろす。
「サンキュー、これで生きれるわ」
「アンタ放っておいたら毎日パン食べてそうだよね」
「仕方ねーだろ、それ以外選択肢ないんだから」
「ふーん、了解」
佐藤が食べながら意味深な様子で呟く。
何が了解なのかさっぱりわからないが、もぐもぐ口を動かす佐藤の顔を見つめていると、やっぱりコイツは可愛い顔だと見惚れてしまう。
童顔の及川とは違った、大人っぽい可愛さだった。
「なに、あたしの顔になんかついてる?」
「いや、なんでもね。それより佐藤は今日もサボりなの?」
「んー、今日は出る。出席日数足りなくなりそうで後から困りそうだし」
「そうか、なら俺も午後はちゃんと出るか」
「なにそれ、あたしと一緒じゃないとサボらないってこと?」
「一人でサボっても面白くねーからな」
「なにそれ、かわいい~」
佐藤が笑いながら、ごく自然に俺の肩をポンポンと叩いてきた。
初めてボディタッチをされて少しドキっとしてしまったが、童貞だと思われるのは癪だから顔色を変えないように佐藤から顔を背ける。
可愛いってどういう意味だよ、調子狂うな。
「ねえ、青木って何組だっけ?」
「一組だけど?」
「了解、今度遊びに行ったるよ」
「やめろ、来るな」
「照れるなって」
いたずらっぽい笑顔で肘をぐりぐり押し当ててくる。
「てか思ったんだけど返す時いつ会えるかわからないじゃん。LOINでもなんでもいいから連絡先教えてよ」
言われてみれば佐藤が漫画を読み終えたらそれを回収しなくてはいけないし、毎日ここにいるとは限らないから連絡先は交換したほうがいいのか。
懐からスマホを取り出し、QRコードを表示した画面を差し出す。
「ほら、読み取れよ」
「はいよ……おっけー追加した。ていうかアイコンバイクなんだ」
「持ってこれねーから後輩に売ったけどな、九州で乗ってた」
「ふーん、男の子って感じだね」
ちなみにアイコンに設定しているバイクはちゃんと買ったやつで、盗んだバイクではない。
免許も去年ちゃんと取得しているので、画像には何も問題はない。
最も中学時代は無免許で乗り回していたけどな。
「奥多摩とか走ってみてーし、またバイクは欲しいんだけどな」
「おお、買うの?」
「欲しい車種たけーんだよ、バイトでもしねーと無理だな」
「あたしのバイト先紹介してもいいけど。髪は黒いし、多分大丈夫じゃない?」
「バイト? お前バイトしてんの?」
「そうだよ、カラオケルームでね」
部活を頑張るタイプではなさそうだと思っていたが、バイトか。
ところで漫研は文化祭前の忙しい時期を除き、活動日は月曜火曜だけで、他は部室に来て活動するのは自由らしい。
バイトと部活は両立できそうだな。
「ちょっと考えさせてくれよ」
「オッケー、うち基本的に人手足りてないからじっくり考えていいよ」
バイトか、確かに新しいバイクは欲しい。
せっかく関東に引っ越してきたわけだから、関東周辺のスポットに走りに行くというのも一興だろう。
それとペンタブを新調したいというのもあるので、正直金は欲しい。
「じゃ、あたしそろそろ行くよ」
弁当箱を畳み、単行本の入った袋を持って佐藤が立ち上がった。
「俺も行くか」
「見かけによらず真面目じゃん」
「バーカ、オメーが真面目に出席するっつーから付き合ってやるだけだよ」
「なにそれ、あたしらクラス違うじゃん」
結局佐藤とは雑談しながら階段を降りて、教室の近くで別れた。
今の所、佐藤と話している時が学校内では一番落ち着く時間だな。