4,ヤンキーくんの部活見学
結局、俺は及川の誘いを断ることができなかった。
行かないって突っぱねるべきだったのかもしれないが、それが何故かできずに今は及川の後ろを歩いていた。
歩く度にふわふわと靡くさらさらの黒髪。
肩が小さくて、ウエストも足も細い。
でもガリガリというわけではなく、つくべき肉はちゃんとついていて、佐藤よりは華奢だけど健康的ではあった。
制服の上からだけど、腰のくびれとお尻のラインはなんとなくわかる。
「ここが漫研の部室だよ、ちょっと待っててね」
ある教室の前で立ち止まり、及川がこっちを向いて喋る。
一足先に教室に入った及川。お疲れ様ですという言葉の後、中から男のものらしき声が聞こえてきて、及川は誰かと喋っている様子だった。
それを廊下で立ちながら黙って聞く俺。
「おっけー青木くん、入ってきてもいいよ」
ドアからひょこっと及川が顔を覗かせる。
その言葉を聞いて抵抗感を覚えつつも、俺はゆっくり部室に入った。
いくつかの机が綺麗に並べられていて、男女のイラストと漫画研究部という文字がカラフルに描かれた黒板があった。
四隅には綺麗に整理整頓された本棚がいくつも並べられ、そこには漫画かあるいは自分たちで作った作品か、たくさんの本が所蔵されていた。
そして教室の中でノートパソコンを操作しつつ、俺を見る男の姿があった。
黒髪短髪で、制服を着崩すこともなく、真面目そうな雰囲気の男だった。
「こんにちは、君が青木篤くんだね?」
「うす、どうもです」
男から話しかけられ、軽く会釈をする。
「青木くん、この人が漫研の部長だよ」
「部長の榊正人、三年だから今年引退だけどね。よろしく」
「青木です、よろしくお願いします」
部長の自己紹介に敬語で返事をする。
不良というと誰にでもふてぶてしい態度を取ると思われがちだが、不良の社会は縦社会そのものであり、ムカつくヤツでない限り先輩には筋を通すのが基本だ。
軟弱そうだとは思ったが、俺を見ても物怖じしないあたり肝は据わっていそうであり、上級生らしい雰囲気はある。
だから俺は改まった態度で筋を通した。
「漫画の世界にいそうな不良だと思ったけど、なかなか礼儀正しいじゃないか」
「ですよね。転校してきてから特に問題起こしてないですし、私もそんなに悪い人じゃないって思っています」
後ろに手を組み、立ったまま部長と及川のやり取りを眺める。
悪そうじゃないというか、これぐらいは普通だと思う。
「まあかけなよ青木くん」
「うす、失礼します」
部長に促され、部長の近くの席に座った。
及川も正面の席に座り、部長席はいわゆる上座なので二人の顔がよく見える。
「さて、漫研に興味をもってくれたということだけど」
「部長、実は青木くんってあの"アオアツ先生"なんですよ」
「ちょ、おい!!」
いきなり俺の正体をバラされてしまい、思わず及川に向かって声を荒げる。
「大丈夫だよ青木くん、この人は人を見た目で判断しない人だから」
「まあ前部長がヤンキーだったし、僕の周りにもいるからね。君はオタクは隠すものだと思っているみたいだけど、結構見た目ヤンキーっぽいのにオタクという人はいるんだよ?」
さっき及川が言っていた金髪どヤンキーなのにオタクだったという、謎の元女性部員は前部長だったのか。
ますます謎だし、俺はその前部長が何者なのか気になる。
「それにしてもあのアオアツ先生か……本当、人は見た目によらないね」
「まあ、お恥ずかしながら絵師やってます」
「そんな謙遜しないで、アオアツ先生といえば有名人じゃないか」
「ちなみに部長も青木くんのことフォローしてるよ」
「お、おう……そうか」
まさか学内で、しかも知り合った人間二人が俺をフォローしていたとは。
世間が狭いのか、それとも絵師として俺は有名になりつつあるのか。
「しかし気になるね、絵を描き始めたきっかけってあるのかい?」
「それ私も気になりますね」
「キッカケなんてないっすよ。ただ昔から絵描くの好きで、それが高じてネットにアップしたらたまたまバズっただけです」
嘘は言っていない、バズったのは本当に偶然だ。
「なるほど、これは期待の新人だね」
「ですよね、青木くんが入ったら部誌のクオリティ上がりそうですよね!!」
「ちょっと待て、俺まだ入るって一言も言ってませんが」
「え、入らないの?」
「青木くん、入らないの!?」
いやいやいや、なんで二人揃って驚いている。
俺まだ入部するなんて一言も言っていないのに、既に入る前提になっている。
それに俺は漫研に入るわけにはいかない。
「入らないっすよ、だって入部したらオタクだってバレるじゃないっすか」
「え、いいじゃん」
「いいと思うよ?」
とてもあっさり、さも当然であるかのように二人が即答する。
「青木くん、今時オタクであることなんか何も恥ずかしくないよ?」
「及川さんの言う通りだ。あれだけ素晴らしい絵を描けるんだから、もっと誇りに思ってもいいと思うけどね」
尤もらしいことを言われてしまい、反論の言葉がすぐに出てこない。
確かに二十年前ならともかく今はオタクが市民権を得て久しく、程度の差はあれアニメやゲームが好きな人は多いとは思う。
だけどそれはあくまで一般人の話であって、俺みたいな人種の話ではない。
「いや、でもこの容姿でオタクってのは……ナメられるでしょ」
「ぷっ、ナメられるってどういうことなのさ」
部長が吹き出した。
「青木くん、大丈夫だよ。九州から来たんでしょ? 不良仲間にバレたら嫌だって気持ちは理解できるけど、でも東京にはまだそういう仲間いないんでしょ?」
呆れた様子で諭すように語る及川。
確かにそれは及川の言う通りで、東京には不良な仲間はまだいない。
「今時オタクであることで貶してくる人こそ少数だし、もし貶されたならそのときこそ啖呵を切ればいいよ。青木君の容姿なら言葉だけで圧倒できるでしょ?」
すごいな、及川と部長は。
自分たちがオタクであることに誇りを持っていて、誰になにを言われようと貫く覚悟を持っているように見えた。
それに俺自身が気付いていなかったことを、及川と部長から指摘された。
━━確かに俺は仲間にバレるのが怖くて趣味を隠していた。
中学時代のトラウマからか、絶対バカにされると。
そういう思い込みが飛躍して、赤の他人だらけの東京でも地元と同じように振舞おうとさせていたのかもしれない。
自分が不良であるという現実、不良であるという建前。
━━思い込みで趣味を隠そうとしていた。
じゃあ、結局俺はどうすればいいのだろう。
願望としては確かにあった、ネットのように現実でもそういう話がしたいと。
漫研ならそれが叶うんじゃないかと、広報誌を手に取った時、確かに思った。
「あの、俺……」
人前でバカにされて、それが原因で起こした事件で色々あって、世の中とかそういうものに無性にむしゃくしゃして、今までツッパってきたけど、趣味だけはやめられなくて、今日までずっと隠れて趣味は楽しんできた。
東京に俺を知る人間はいない。
誠も、先輩も、後輩も、工業の不良とか敵対勢力も、東京には誰もいない。
「━━入部してもいいっすか?」
人間関係がリセットされている今、いいんじゃないかと。
少しくらい自分に素直になってもいいんじゃないかと思い、気持ちを伝えた。
「もちろんさ。部長として歓迎するよ、青木君」
部長が微笑みながら歓迎してくれる。
そして。
「━━ようこそ、漫画研究部へ」
青木がまた、満面の笑みを浮かべて右手を差し伸べる。
「及川……」
短ランの記事で右手を拭いてから、及川の握手に応えた。
及川の手。
色白で、小さくて、柔らかくて、握力がなくて、温かい。
「……よろしく」
そして心地いい。
自然と口角が上がり、俺は及川と部長に向けてそう告げた。
この日、俺は漫画研究部の部員になった。