3,ヤンキーくんとオタクちゃん
昼休みが終わり、俺は今、実崎のつまらない授業を受けている。
正直あまり内容は聞いていないし、机の下にスマホを潜ませながらイラスト投稿用のアカウントを確認していた。
登校前にアップロードした絵は順調にいいね、リポストが伸び、早くもリポストだけで三千件を超える勢いで伸びていた。
これは今まででも上位に入るレベルの伸び方だ。
「じゃあここを青木、読んでみて」
それは完全に俺の油断だった。
実崎に指名されたので咄嗟にスマホをポケットに入れようとした瞬間だった。
ガタン。
短ランのポケットの入り口にスマホが微妙に引っかかり、スマホを床に落としてしまったのだ。
静まり返る教室内に響く物音を聞き、実崎とクラスメイト達の視線を一気に浴びてしまう。
まずい、これはまずい。
「あーすんません」
「なんだースマホか? ポケットじゃなくてカバンに入れとけよー」
実崎から説教をされるという面倒な事態は回避できそうだ。
没収なんてされたら取り返すの面倒だから、ラッキーといえばラッキー。
とりあえずスマホを回収しようと座ったまま床に手を伸ばそうとして、俺はとんでもないことに気付いてしまった。
スマホは節電モードではなかったため、画面は俺のアカウントを表示したままの状態だった。
体を捻った時、視界に後ろの机が映ったので思わず視線をあげる。
「……あっ」
後ろの席の女子生徒、確か名前は及川優子だったか。
一瞬、ほんの一瞬だったけど、及川と目が合ったのだ。
俺と目が合った及川が小さく声を漏らす。
やばいと思い、慌ててスマホを拾い上げ、ポケットにしまう。
━━見られた?
及川は俺と目が合った瞬間、ハッと目を見開いてから俯いたが、確かにそれまで及川の視線は俺のスマホに向けられていたような気がする。
ちょうど自分のプロフィール画面だったため、あの距離から見えているかは微妙だけど、もし及川の視力がよかったら俺が"アキアツ"であることがバレたかもしれない。
戦々恐々としつつも実崎から指名された箇所を読み上げ、あくまで普段通りであることを装った。
しかし現代文が終わり、六時限目に突入し、帰りのSHRが始まっても気持ちが晴れない。やはりどうしても及川にプロフィール画面を見られたかもしれない不安感に苛まれ、居ても立ってもいられない。
「それじゃあ連絡事項は以上だから、今日も気を付けて帰るんだよー」
SHRが終わると同時、俺は潰れたカバンを持って立ち上がる。
及川の様子が見たくて後ろのドアから退室しようと、わざと及川の横を通り過ぎようとした。
━━及川は俺のことを見ていた。
綺麗な池か、あるいは宝石のように澄んだ蒼い瞳は、間違いなく俺のことを捉えているように見えた。
落ち着け、たまたまだ。
だって俺、オールバックで短ランでボンタンで、目立つ格好をしているうえに不良で通っているわけだから、他のクラスメイトだって俺のことをチラチラ見ていただろ。
多分、及川も俺の動向が気になっただけだ。
何かされるかもしれないと、そういう恐怖心から俺を警戒しただけだ。
そもそも及川がSNSをやっていたり、オタクであるという証拠は現状無い。
確かに及川、見た目が地味だからオタクである可能性は高いけど、よく見たら幼さを残した可愛らしい顔つきで、肩が隠れるくらいの長さの黒髪はサラサラしていて質の良さを感じさせられるし、肌も白くてマシュマロのように綺麗。
ああいう清楚な女の子こそ、実は男好きで遊んでいるという例は誠の元カノがそういうタイプだったから、及川にだってその可能性はある。
とにかく俺は自分に都合のいい解釈を脳内でしていた。
そう思わないと不安な気持ちが溢れ、どうしようもなくなりそうだからだ。
「部活決めた?」
「まだー、明美は?」
「演劇部って気になるんだよね、見学行かない?」
ふと女子生徒たちが話をしている声が耳に入る。
掲示板に張り出された無数の張り紙、それは部活動の勧誘のチラシだった。
「……ひっ!?」
女子生徒たちが俺の視線に気づき、俺を見るや青ざめた表情になってそそくさと立ち去ってしまう。
そこまで露骨に怖がることはないだろと舌打ちをしつつ、掲示板に近づく。
「……部活、か」
不良に縁のない部活動だけど、中学一年生の頃、一ヵ月だけバスケットボール部に入っていたことがある。
こう見えて小学生の頃はスポーツ少年だった。
少年バスケットボールクラブに入っていたので、その延長線上で中学ではバスケ部に入部したのだが、更衣室で暴力沙汰を起こして退部になった。
キッカケは授業中に描いていた落書きを同じ部の同級生に見られ、それを馬鹿にされて、その時はぐっと堪えた。
だけどそいつ俺が女の子のイラストをノートに書いていたことを、部活中に全員がいる時に話し始めた。多くは話に関わりたくないという素振りだったが、何人かの先輩と同級生が俺の趣味をキモいだの、何だの、色々と言ってきたのだ。
そのことにブチっときて、俺は同級生や先輩をぶん殴った。
結果、当時俺は私立中学に通っていたけど、退学処分になってしまった。
━━公立に転校してからは不良街道まっしぐらだった。
手を出せば敗北ということを知らない子供ゆえの行為で、私立を退学になった俺に両親は当然ブチギレた。
今思えば当たり前だと思うけど、当時の俺にはそれが理不尽に思えた。
だって趣味を暴露され、公開処刑のように悪口を言われ、それなのに言われた俺だけ処分されたのって意味がわからない。
当時はマジでそう思っていて、とにかくむしゃくしゃしていた。
だから公立転校後、俺はめちゃくちゃグレた。
酒やタバコに手を出した。親の金を盗んでパチンコもしたし、友達とバイクを盗んで夜な夜な走り回ったりもした。とにかくイライラして、手あたり次第に喧嘩を吹っかけて歩き回った。
小倉の粗大ゴミなんて言われた事もあったな。
そんな俺の転落人生。
一応、高校に入って少しは落ち着いた。
また退学になったら今度こそ勘当されそうで、そうなると本当に行く当てがなさそうなので少しだけ大人しくなった。
喧嘩の頻度は減ったし、捕まるようなことは控えた。
まあ授業はサボっていたし、喧嘩も時々助っ人として参加はしていたが。
「……ん?」
掲示板コーナーの前には机が二個置かれていた、その上には広報誌らしきものが並べられていた。
生徒会とか、図書委員とか、その類。
その中の一冊、漫画研究部の広報誌に目がいってしまった。
「……へえ」
可愛らしいイラストが描かれた広報誌を手に取って開いてみると、部の紹介の他に恐らく部員が描いたものと思われる四コマ漫画が掲載されていた。
決して絵がめちゃくちゃ上手いってわけではないけど、羨ましいと思った。
━━コイツら部活で好きなだけ語り合ってるんだろうな。
好きな事やって、好きなもの描いて、そんな同志たちとの青春。
そう思うと無性に羨ましい気持ちが芽生え、広報誌のページをひたすら捲る。
ふと思ったことがある。
この漫画、画力はめちゃくちゃ高いってわけじゃないけど、面白い。
ギャグ漫画風に部の紹介をしているみたいだけど、話がオチまでしっかり作り込まれていて、読み手を思わず笑わせてしまうようなネタを組み込んでいて、物語を作るのが上手い奴が描いているなと思った。
ある程度ページを進めたところで、ふと我に返る。
━━なに読み耽ってるんだ俺は。
慌てて広報誌を机に戻す。
ここは学校。さっき及川にスマホの画面を見られたかもしれないのに、これ以上学校で迂闊な行動を取るわけにはいかない。
踵を返して帰ろうと思った、その時だった。
「……あっ」
間合い、五メートル先。
そこに立っていた及川と目が合った。
「……っっ」
恥ずかしさから顔面が沸騰しそうなくらい熱くなる。
それと同時に耐えがたい不安感に苛まれる。
━━完全に見られた。
及川の様子を見る限り、今たまたま通りがかったわけではなく、しばらく立ち尽くして俺の様子を見ていたようにしか見えない。
他の学年の奴ならともかく、よりにもよって同じクラスの、しかも後ろの席の及川優子にバレた。
汗が額からぶわっと吹きだす。
もはや言い逃れができない状況、俺が取れた行動は一つ。
ポケットに手を突っ込み、及川から目を逸らして無言で立ち去ろうとした。
及川の横を通り過ぎると、シャンプーなのか甘い香りが鼻に入る。
いい匂いだと思ったけど、それより早く立ち去りたいという気持ちが勝り、早歩きでここから離脱しようとした。
数歩歩いた、その時だった。
「待って、青木くん!!」
今まで聞いたことがないくらい大きな声で、及川が俺を呼び止めた。
流石にこれには無意識に体が反応してしまい、足を止めてしまった。
「ごめんなさい……その、見ちゃって」
振り返ると及川は申し訳なさそうな表情で少しだけ俯いていた。
「……別に、たまたま読んでただけだから、見なかったことにしてくれ」
そういって再び踵を返そうとするが。
「あの、青木くんってもしかして、"アオアツ"先生なの……?」
脳に電撃が走った。
背筋が凍り付いた。
「な、なんだ? そのアオアツっての? 俺、そんなヤツ知らねーな」
「ごめんなさい。青木くんがスマホ落とした時、画面見えちゃって。アオアツ先生のプロフィール画面だったし、本人のアカウントっぽい画面だったから」
ダメだ、しっかり見られていた。
しかも及川の口ぶりから察するに、及川はアオアツという絵師を知っている。
フォロワー数が多すぎて把握していなかったが、もしかすると及川は俺のアカウントをフォローしているのかもしれない。
もはや何も言えず、俺はただ及川を見ながら立ち尽くすだけだった。
「それで私、アオアツ先生のファンなの。フォローもしてます、ほら」
そう言って及川は懐からスマホを取り出し、スマホの画面を操作してから俺のアカウントをフォローしている画面を見せてきた。
確かに及川は俺のアカウントをフォローしていた。
しかも俺、たまに気まぐれでフォローバックするのだが、及川のアカウントとは相互フォローになっていた。
気づかなかった。
何も考えずにフォローバックしたアカウントが、まさか及川だったとは。
「……わりーかよ」
「え?」
「そうだよ、俺はアオアツだよ。で、わりーのかよ、俺がアオアツで」
「青木くん?」
もうヤケクソだった。
クラスメイトに弱みを握られた以上、俺にはもうどうすることもできない。
まさか口止めに及川をシメるわけにもいかないし、本当に詰みでしかない。
「がっかりだろ。推しの絵師がまさか俺みてーな不良でよ、幻滅しただろ」
だからもう俺には悪態をつくことしかできなかった。
「そんな、私は……」
「好きにしろよ、アオアツの中身は実はヤンキーでしたって炎上させたりよ」
「だから私は……」
「じゃ、俺帰るわ。あーあ、人生終わったな」
そう呟きながら帰ろうとした時だった。
「青木くん!! 私、炎上なんてさせません━━あなたの絵が好きだから!!」
その言葉に、またしても立ち止まる。
今まで聞いたことがないような張り上げた声。
振り返ると及川は胸に右手を当て、澄んだ瞳て力強く一直線に俺を見つめる。
強い眼差しに射抜かれて、また体を動かせなくなってしまった。
睨みの飛ばし合いでは負けた事がなったのに、及川の目に圧倒されてしまう。
「私、中学生の頃からあなたのことフォローしてるんだよ? すごく可愛くていい絵を描く絵師さんだなって、ずっと大ファンだったんだよ?」
二十万人の中の一人に、直接絵師としての高評価を受ける。
嬉しいといえば嬉しい。絵師をやっていて、これほど光栄なことはない。
「だから私ね、今すごく感激してるの。だって推し会えたんだもの」
嬉しいけど、複雑な気分だった。
「……いや、そう言ってもらえるのは嬉しいけど、お前俺にビビってたろ」
「それは、その……最初は怖い人なのかなって思ってたの、ごめんなさい」
ふわりと、黒髪と靡かせながら及川が会釈する。
「でも転校してきてから喧嘩もしてないし、最近そんなに悪い人じゃないかもしれないって思い始めていたの」
確かに俺、この学校に来てから未だ喧嘩はしたことがない。
揉めてる相手がいないというだけではあるが、だから地元にいた頃のように何処の連中を叩きのめしたとか、そういう荒事の噂話は立っていない。
ただ怖そうだからとか、見るからに不良だからとか、そういう理由で避けられてはいるものの、武勇伝らしい武勇伝はない。
及川はそういうところを見ていたのだろう。
「……いや、俺ワルだぜ? 地元じゃ小倉の粗大ゴミって言われてたからな」
脅すつもりはない。
ただ俺がいいヤツだと誤解されるのもアレなので、事実を言ってやった。
本当は俺、こういう武勇伝語りはしたくないのだが、あえて言ってやった。
「私はそこまでワルじゃないと思うよ、だってオタクに悪い人いないと思うから」
「……はあ?」
微笑みながら語る及川。
内容がめちゃくちゃすぎて呆気に取られてしまい、ぽかんと口を開けてしまう。
「だってそうだよ。卒業した先輩にいたもん、見た目金髪でどヤンキーだけど中身はすごいオタクで、その人めちゃくちゃ博識で話も面白くて、面倒見よくてみんなから慕われていたもん」
なんだそのヤンキーとオタクのハイブリッドみたいな人間。
どんな人間だよ、逆に会ってみたいわ。
「青木くんってその先輩と同じ雰囲気を感じるんだよね、性別は違うけど」
「どういう雰囲気だよ」
しかもその先輩って女の子かよ、ますます稀有な人種じゃねーか。
「ところで青木くん、漫研に興味あるの?」
「え、いや、興味あるっつーか……」
興味があるのは事実だが、だからといって入部する気はない。
適当に受け流してさっさと帰りたい。そう思っていたが、及川はニコニコ笑ったまま語り続ける。
「私、漫研の部員なんだよね」
「……は?」
ということは俺、漫研の部員の前で漫研の広報誌を読み耽っていたのか。
「青木くん、部活入ってないよね? 転校してきたばかりだし」
「まあ、そうだけど……」
「じゃあ漫研に入らない? それと今から部活だから、見学に来ない?」
「え?」
俺、勧誘されているのか?
「━━あなたなら大歓迎だよ、青木くん」
その瞬間、及川は満面の笑みを浮かべた。
クラスで顔は毎日見るから、可愛いなとは思っていた。だけど笑った顔を見るのは今日が初めてで、彼女の笑顔は天使みたいだなって思った。
心臓がバクバク言っているし、顔が耳まで熱くなる。
━━同じクラスの天使様から目を離せなくなってしまった。