2,ヤンキーくんの新生活
時は流れ、四月初旬。
ここは東京。と言っても俺が通うことになる東京都立愛隣高校は、品川区の住宅街に立地することから、最寄り駅を降りて広がる景色は一軒家や集合住宅ばかりで正直北九州の街並みと大差ない。
ただやはり流石は東京なだけあって、電車の本数は北九州の比じゃなかった。
駅から歩いて五分くらいのところに都立愛隣高校の校舎が聳え立つ。
「でっけぇ……」
一度転入学試験のために訪れたことはあるけど、相変わらず校舎がデカい。
俺が北九州にいた頃に通っていた三萩野高校よりも校舎は大きく、やはりここが大都市であることを実感させられる。
玄関で上靴に履き替え、とりあえず言われた通り職員室に向かう。
「失礼しまーす」
気の抜けた声であいさつをすると、机に向かっていた二十代半ばくらいと思われる黒髪ショートボブの女教師が、カツカツと靴音を立てて俺に近づいてきた。
「おはよう、青木君だね? 初めまして、君の担任になる実崎真綾だよ」
随分とまあ、馴れ馴れしい先公だと思った。
自信のありそうな笑顔を浮かべる実崎の顔を直視できず、そっぽを向く。
「ども……」
「あはは、話に聞いていた通りなかなかワルそうだな。まあとりあえず、問題は起こすなよー」
俺の肩をポンポンと叩きながら実崎は豪快に笑う。
スーツというボディラインが出やすい服装の実崎だが、特別巨乳というほどではないものの、すらっと引き締まっていながら凹凸がハッキリしていて、スタイルは抜群によかった。
横顔をチラ見すると、目鼻立ちも整っているのがわかる。
だけど妙に馴れ馴れしいのがなんとなく癪に触って、正直実崎には反感を覚えていた。
とはいえビジュアルが良い分、前の学校のオッサン先公よりはマシかと思った。
廊下を歩きながら実崎から高校生活の諸注意等を受けつつ、雑談を交えながら2年1組の教室の前で立ち止まる。
ここが新しく所属することになるクラスらしい。
「それじゃーあたしは一足先に入るから、呼ばれたら入ってきて」
「了解っす」
ぶっきらぼうにそう答えると実崎は教室のドアを開け、しばらくしてから元気の良さそうな声で実崎が何か話しているのが聞こえた。
ポケットに手を突っ込み、壁に寄りかかって漫然とその時を待つ。
「それじゃあ青木君入ってきてー!!」
実崎の叫び声が聞こえたので、俺はおもむろに教室のドアを開けた。
転校生と聞いて教室内から生徒たちのざわつきが聞こえたが、俺が教室に入ると一瞬でクラスメイトとなる連中が静まり返った。
クラス内に目を向けると、全員俺と目を合わせようとしない。
予想通りの反応だった。
「それじゃあ青木君、名前書いてみんなに自己紹介して」
とりあえず実崎の横に立ち、黒板に自分の名前を書く。
「青木篤、北九州出身、夜露死苦」
俺の自己紹介は至ってシンプルなものだった。
目を背けるクラスメイトたちを見て、正直関わりたいとは思わなかった。
「あはは、じゃあ青木君の席は…………あそこの空いてるところで」
「ウス」
実崎が指差した座席は、廊下側の一番前の座席だった。
苗字的にいつも出席番号は一番か二番だったので、予想通りの座席と言える。
「……あ?」
俺の後ろの座席、黒髪のセミロングで大人しそうな雰囲気の女子生徒と一瞬、目が合ったのでなんとなく声を出す。
すると女子生徒はびくんと体を振るわせ、机を直視するように頭を下げた。
やれやれ、学力的には同じくらいの学ランが制服のところを選んだのに、ここには俺と同類の人間はいなさそうだ。
もしかしたら退屈な高校生活になるかもしれない。
初日にしてそんなことを思っていた。
それからは本当にあっという間に時が過ぎていき、転校して早くも一週間以上が経過した。
元からこの高校に通って一年生の時からの友達もいるだろうし、クラス替えはしても新しいクラスに馴染むまで長い時間は必要ないのだろう。既に友達グループが形成されており、ほぼ交友関係は固定された印象だった。
当然、俺と気の合う人間はおらず、俺はぼっちを極めていた。
昼休み。
購買で買ったパンを最初は教室で食べていたが、だんだん俺がいないほうが教室が賑やかなことに気付き、この日俺は憩いの場を求めて校内を徘徊していた。
そういえば屋上は東階段を上れば通じているが、安全上の理由から普段は閉鎖されているらしいことに気付き、屋上前の踊り場なら落ち着けるかもと思った。
なので屋上へ通じる東階段を上り、最後の踊り場を通過する。
「おや?」
「……あ?」
既に先客が居やがった。
栗色のショートボブで前髪を揃えた、古い言い方をするとおかっぱというヘアスタイルだろうか。くりくりとした大きな瞳に、長い睫毛。愛隣高校は男子は学ランだが女子は紺色のブレザーで、その子はスカートを少し短くしていた。
スカートから伸びる肢体は程よく健康的な肉付きで、二つの双丘も制服の上から大きさがわかるほどのサイズ。
垢抜けた雰囲気で、悪くいうと遊んでいそうな雰囲気な女の子だった。
「二年目にして初めての来客だわ、ごめんね~先に陣取っちゃってて」
俺の容姿はしっかり見ているはずなのに、女子生徒はあっけらかんとした様子で普通に話しかけてきた。
こいつ、俺が怖くないのだろうか。
「……わりい、邪魔したな」
「ありゃ、場所奪い取らないんだね。ワルそうな見た目なのに素直じゃん」
立ち去ろうとしたものの、そう言われた思わず立ち止まった。
首だけ動かして女子生徒のほうに再び目を向けると、パンツが見えないように足を閉じて肘をつき、両手に顎を乗せてニヤニヤしながら俺を見ていた。
無視してもよかったが、なんとなく気になって足が動かない。
「隣、座んなよ。どうせ行くとこなくてここに来たんでしょ?」
女子生徒は尻を動かして場所を開け、ポンポンと階段を叩く仕草を見せた。
つい、なんとなく、無言で女子生徒の横に腰を下ろしてしまう。
「見ない顔だよね、一年?」
「いや、二年」
「なんだ同級生じゃん、転校生?」
「……ん」
パンの袋を開けながら女子生徒からの質問に適当に答える。
「あたし佐藤留美、アンタは?」
「青木篤」
「青木かー、どっから来たの?」
「北九州」
「なるほど、九州男児ってやつかー」
佐藤からの質問には一応答えつつ、ぶっきらぼうな態度を取り続ける。
それでも佐藤が笑みを消すことはなく、俺にビビっている様子はない。
「……お前、俺が怖くねーの?」
気になって質問してみると、佐藤はきょとんとした表情になった。
「いや、全然?」
「へえ、珍しいな。クラスのヤツはビビって誰も目ぇ合わせねーけどな」
「まぁ見た目は怖そうだもんね。けどさー、あんまワルそうに見えないんだよね」
「根拠あんのかよ」
「んー、女の勘? ほらあたし、人間観察が趣味だから」
「なんだよそりゃ」
なんだかよくわかないが、佐藤に対して思ったことが一つだけある。
おもしれー女かもしれない。
「お前、よくココに居んの? 昼休みだろ、友達と昼飯食わねーのかよ?」
「このまま行方くらましてサボろっかなーって思って」
「なんだオメー、サボり魔かよ」
「まあそんなとこ。去年からずっとサボる時はここにいるし、多分あたしの友達もあたしが教室にいないってことはそういうことだって察してると思う」
友達がいないわけじゃなかったのか。
確かに佐藤はサバサバしていて社交的な性格していそうなので、友達がいないということはありえないだろう。
「青木ってさ、なんで昭和っぽい格好してるの?」
「あ? 大した理由はねーよ、ちょっと漫画に憧れただけだ」
「……東京リベンジャーズ?」
「ビーバップハイスクール」
「うん、知らないわ」
知らないだろうな、ごく一般的な現代人は。
「青木って実は案外オタクだったりする?」
佐藤の言葉に、心臓が鷲掴みされたような感覚を覚えた。
それくらいびっくりしたし、ヒヤッとした気分にさせられたのだ。
佐藤はにこやかな表情なので、恐らく悪気はない。悪気がなく、それでいて俺の本質に気付いたのかもしれない。
だからマズいと思った。
ここでオタク認定されたら俺の今までの努力が水の泡だ。
「バーカ、不良やってたらビーバップは聖書みたいなものなんだよ」
当たり障りのない回答をして窮地を逃れようと試みる。
「ふーん、そういうものなんだね。それって単行本出てるの?」
「あ? まあ、昔めっちゃ人気だったしな……」
「じゃあ貸してよ」
意外な要求に、思わず言葉を失った。
「……は? いや、いいけど面白いかは知らねーぞ?」
「どんな漫画だってそうじゃん。大丈夫だよ、あたし東京リベンジャーズ好きだからさ、多分不良漫画って好きだと思うよ」
SF要素を含んだアクションシーンの多い東京リベンジャーズと、当時の不良たちの日常を描いた下ネタも全開のビーバップハイスクールとじゃ、同じ不良漫画でもベクトルが違う気はするのだが。
とはいえ興味を持ってくれているのは嬉しいし、恐らくビーバップは不良のバイブル的な存在だからオタバレに繋がる危険性はないだろう。
自分がオタクだからこそ、読みたいという気持ちを無碍にはできない。
「じゃあ明日持ってくるわ」
「ありがと!! お礼にタコさんウインナーあげるよ!!」
満面の笑みを浮かべた佐藤は、そう言ってフォークに突き刺したウインナーを俺の口の前に差し出してきた。
いや、これ食べたら間接キスだろ。
この子はそういうの気にしないタイプなのだろうか。
「……いただきます」
童貞っぽいと思われるのも癪なので、なるべく平静を装ってウインナーを口に含んだ。
「……うめえな、コレ」
「そう? よかった、実はあたしの手作りなんですよ」
「マジ? お前、料理上手いんだな」
てっきり料理とか家事は苦手なタイプだと思っていたが、予想に反して女子力が高いことに驚かされた。
こういう女の子はモテるんだろうな。
不覚にも好きになるかもしれないと思ってしまった。
気を紛らわすように腕時計を見ると、あと十分ほどで昼休みが終わろうとしていることに気付いた。
午後、最初の授業は実崎の現代文か。
「……わり、俺そろそろ行くわ」
「お、見た目に反して真面目だねー。授業出るの?」
「実崎の授業サボるとうるせーんだよアイツ、担任だし」
「あー、まやちゃん先生か。あの人ああ見えて熱血教師だからね、そりゃ出ないとうるさいよね」
まやちゃん先生って、実崎って生徒からはそう呼ばれていたのか。
意外にも可愛らしいあだ名を聞いて思わず吹き出しそうになってしまった。
「お前何組? 明日漫画持ってくるけど」
「あたし三組だよ。でも青木が漫画持ってくるなら明日もここに来るから」
「そうか、じゃあ俺も明日、昼ここに来るわ」
「おっけー、じゃあまた明日ね」
「ああ、またな」
ニコニコしながら手を振る佐藤に別れを告げ、階段を降り始める。
転校してきて一週間、思えば初めてかもしれない。別なクラスとはいえ俺にビビらず普通に喋れて、なおかつ物を貸し借りするような関係になるのは。
その第一号がまさか女子だとは思わなかったが、悪い気分ではない。
……佐藤留美。
アイツとは仲良くしてもいいかもしれない。
この学校に来て初めての友達ができたかもしれないと、俺はガラにもなく機嫌がいいまま午後の授業を受けるため、教室に戻った。