望まれていない王太子 3
エピローグ後と過去話。フィーギス殿下視点。
全5話です。
※殺生沙汰の戦闘描写、流血表現があります。苦手な方はご注意ください。
その日から一年近くは思い出したくもないくらい王鳥に罵られ、脅され、無茶な要求を突きつけられ続けた。
あれからもあの手この手で王鳥にオーリムを帰すよう説得したのだが、馬鹿にされ、脅され、結局最後は大鳥の加護をこのビドゥア聖島から消すという決定的な脅しに屈して何も言えなくなってしまう。
プロムスも悔しそうにし、気が向いたら謝りに行くくらい許してやれと最後に言い捨てて説得は諦めたようだ。
二人から見捨てられたオーリムの絶望しきった表情が忘れられず、良心が苛まれて、その日からラトゥスと二人でオーリムの住んでいた場所とソフィアリアという女の子を自分達で特定する事にした。
名前はわかるし、すぐ見つかるだろうと思っていたが、王侯貴族や商家、富豪などの戸籍を調べても見つからず、調査は難航を極める事になった。オーリムに何度か聞き取りをしたのだが、スラムが出来る程困窮している場所も案外多く、しらみつぶしに探しても見つからない。
怪我の功名か、おかげでこの国はフィーギスが思っているほど上手く回っていない実情を知れた。それでも外敵の心配もなく、大鳥が定住する島だから豊饒である分恵まれているのだが。
ふと、もしかしたらオーリムは他国の人間だったのではないかと疑うも、オーリムの元の姿はこの国の平均的な色彩だったように思う。一応他国の人間である線も視野に入れ、少しずつ調査を進めた。
やがてオーリムは一年経った頃に、急に立ち直った。
目をキラキラさせて、立派な王子になってお姫さまを迎えるんだと言っていた。
何故代行人が王子に格下げになる必要が?と首を傾げたが、どうもお姫さまと結婚出来るのは王子だかららしい。姫はこの国では基本的に高位貴族に降嫁するものなのでそれも間違っているのだが、黙って流した。それに、多分オーリムが探すソフィアリアはそんなに高い身分の娘ではないだろう。
とりあえず、立ち直った事は素直によかったと思う。
その日からオーリムは代行人としての仕事や勉強、武術の訓練など毎日寝る間も惜しんで励んでいるようだった。
王鳥に言えば刷り込んでもらえるらしいが、自分で身につけてお姫さまに相応しい人間になりたいらしい。なんとも熱心な事だと感心すら覚える。
でも、そうやってひたむきに努力するオーリムの姿は、ひ弱で泣き暮らす一年を知っていれば尚の事嬉しかった。
だが王鳥と代行人が、おそらくそう身分の高くない娘との婚姻を希望している事で新たな問題が生じる。王鳥も一応わかってくれているのか、今すぐに強行するような真似だけはしないでくれた。
試しに議会で、人間の意思がある代行人が婚姻を希望すればどうするかというお題を出した事がある。
結果はわかりきっていた事だったが、どこの高位貴族のご令嬢とさせるかという話と、フィーギスに我が娘を仲介してほしいという押し売りが始まっただけだった。例え話としてすぐに流したが。
さて、どうしたものかと頭を悩ませていた頃。
「っ! 待て、それを飲むなっ!」
突然後ろからそう叫ばれて、手に持っていたグラスを叩き落とされる。グイッと後ろから手を引かれて床に転がされると、二股にわかれた細長い夜空色の髪が目の前で踊った。
キンッと金属のぶつかる耳障りな音が鳴り響く。
「リっ⁉︎ 代行人様っ!」
辛うじて名前を飲み込むと、小柄なオーリムは魔法で出現させた剣で相手の刃を払い、腹に一撃入れてダウンさせる。フィーギスは慌てて立ち上がると、オーリムに手を取られて走り出した。
今日は長年フィーギスの後ろ盾になってくれていた高位貴族の娘の結婚披露宴だった。どうしてもというのでオーリムを連れてきたが、ここで襲撃されるとは予想外だ。
紛れ込んだか――いや、元々この家そのものが寝返っていたのだろう。油断して、オーリムまで巻き込んでしまった。今度王鳥に怒られるかもしれない。
オーリムは追っ手を次々と戦闘不能にしながら、フィーギスを護って外へと走っていく。
代行人として人間以上の身体能力があるにしても、大した戦闘能力だ。まだ武術の訓練をはじめて二年あまりだったはずだが、近衛騎士よりもずっと強いのではないだろうか。
フィーギスも剣さえあれば護身程度は出来るが、結婚披露宴だったので会場に武具なんて持ち込めず、今は丸腰だ。それを好機と受け取られたか。
やがて中庭に出ると、この屋敷に来るまでにフィーギスを護衛してくれていた近衛騎士とこの屋敷の騎士が争っていた。向かってくる騎士をオーリムが薙ぎ払いつつ、安全地帯を探している。
「王っ! っ、クソっ! こんな時でも助けてくれないのかよっ⁉︎」
どうやら王鳥の応援は期待出来ないらしい。まあ人間同士の争いに大鳥は介入しない決まりとなっているから仕方ないだろう。
野外に出て広くなったので、オーリムは得物を剣から最も得意な槍に変えると、次々とやってくる敵を気絶させていた。
敵も多く、またその状況で防戦一方、更に敵を殺さずとなるとそろそろ厳しい物になってくる。フィーギスだって倒れた騎士から剣を奪い取ったものの、練習で使っていたものよりずっと重く、上手く扱えそうもない。ただの牽制用だ。
それも相手にバレていたのだろう。
「代行人共々死ねぇ! おまえなんか生まれるべきではない人間だったのだっ‼︎」
オーリムが手一杯の隙をついてフィーギスに剣を振り下ろそうとしたのは、立太子してから三年もの間、味方だと思っていたこの屋敷の当主だった。身分に媚びていたのだとしても、それなりに親睦を深めてきたつもりだったのだが。
その振り下ろされる剣と青空のコントラストを見ながら思うのは走馬灯ではなく、虚無感だった。
そんな事、言われなくてもわかっている。たまたま王鳥に認められたから暗殺の手が緩み、運良く生き延びているだけで、立太子しようが結局誰も――父すらも、自分を顧みる事はなかった。
そんな人間を、三年間も媚びへつらって、娘の結婚披露宴すらも利用してまで排除したいのか。もはや失笑しか湧かない。
ふと悲観的だった昔を思い出し、当時のように思ってしまった。今自分がいなくなっても、誰も困らないのではないだろうか。
「フィー‼︎」
だがそんなフィーギスの前に小さな男の子が躍り出る。出会った時よりは随分と良くなったものの同じ年なのに小柄で、自分こそが悪意の目から護らなければいけないと思っていたオーリムの背の向こうに――鮮血が飛び散ったのが見えた。
どうやら加減が出来なかったらしい。オーリムが元々立っていた場所に倒れている騎士数名とフィーギスを狙った当主から鮮やかな血が流れ、事切れていた。その事にようやく恐怖したのか、騎士達が遠巻きにし始める。
「そこまでだ」
それに終止符を打ったのはラトゥスと、ラトゥスが新たに呼んだ応援の騎士達だった。どうやら姿が見えないうちに彼は単独で動き、応援を要請してきたらしい。なんとも頼りになる側近だ。
それに比べて自分はどうだ? 護るべき代行人を危険に晒して手を汚させて、結局この場を制圧したのは側近の機転だ。
王太子でありながら何も出来ない自分が酷く情けない。何の為にここにいる?
――そこからはあっという間に事態が収束し、元凶であるこの屋敷の当主死亡、この家の爵位剥奪の方針でこの事件は終わりを迎えた。
「……大丈夫かい、リム」
その帰りの馬車の中。初めて人を斬って呆然としているオーリムにそう声を掛ける。
初陣で人を斬った兵士は恐慌状態に陥るそうだ。今は現実を受け止めていないのかぼんやりしているだけだが、泣き虫だったオーリムもそうなるのではないかと心配していた。
そしてこんな事になったのはあんな場所にオーリムを連れて行き、戦闘で役に立たなかったフィーギスのせいだった。その事実が重くのしかかる。
「……初めて、人を斬った」
「うん。……すまないね、全て私のせいだ」
「それはいい。王も今日はずっと手を抜くなって言ってたし、武器を扱うなら相応の覚悟はしろってずっと言われていた。それがたまたま今日だっただけだ。フィーのせいじゃない」
逆に励まされる始末だ。ますます自分の身の置き場がなくなって、引き絞られるかのように胸が痛む。
オーリムは窓の外、遠い空を眺めながら
「……人の命って案外簡単に消せるんだなって思ったんだ」
そうポツリと溢し、黙ってしまう。
王鳥に選ばれ鍛えられた代行人という絶対的強者であるが故の言葉に、フィーギスも、そして同じ馬車に乗っていたラトゥスも何も言えなかった。
――その後、オーリムは王鳥と共に姿を消した。
どこに行ったのかと心配していたら、とりあえず無事とそのうち戻る旨を王鳥が定期的に報告しに来てくれた。事情はさっぱり教えてくれなかったが、無事ならいいと待つ事しか出来ない。
オーリムが居なくなっている間にフィーギスはラトゥスと共に島都学園に入学し、ますます多忙を極める中、ある一つの考えが浮かんでいた。
悩んで、本当にそれでいいのか考えて、ラトゥスに相談したら当然のように止められたが、意思は固いと見做されると溜息を吐かれ、協力は出来ないが最後まで見届けるという条件で認められた。
そして半年後、王鳥とオーリムが無事に帰ってきた。
なんでも他国の戦場に乱入し、終戦に導いてきたらしい。どういう事だと困惑したが、どうも人を初めて斬ったオーリムへの王鳥の荒療治だったようだ。
おかげで毎日身の危険を肌で感じる羽目になって恐慌状態に陥る暇もなく、ありえないくらいの場数を踏んで、この国に居れば基本使う事もないであろう戦術を身に付け、戦闘慣れをして帰ってきた。
その国では食料不足だったらしく、また痩せ細っていたのを見てプロムスは怒っていたが。だが今回は普通に食事も摂れたので一季もかからない早さで平均的な体型に戻っていた。相変わらず小柄ではあったが。
そしてそれからすぐに、念願だったオーリムの故郷とお姫さまの正体が判明する。探し始めて三年半以上。簡単に見つかると想定していたはずが、随分と時間が掛かってしまった。それも自分達が見つけた訳ではなく、あちらから飛び込んできた形だ。
オーリムのお姫さまの名前はソフィアリア・セイド。セイド男爵家のご令嬢で、オーリムの一つ下の十二歳。
どうやら戸籍を届け出ていなかったらしい。書類上で存在していない人物だったなんて、なかなか見つからなかった訳だ。
ちなみにセイドに目星をつけた事はあったが書類上は嫡男と生まれたばかりの女の子しかおらず、またスラムはあるもののオーリムが言うほど酷い状況ではなく改善の見込みがあったので、素通りした。なんとも間抜けな結末だ。
そして思った通り、オーリムのお姫さまは身分の高くない男爵令嬢だった。それもセイドは男爵の中でも更に末席、父は貴族だが母は商家の娘で実家は既になく、貴族的な観点から見れば血統も微妙。生活や教養はおそらく平民並みだと予想される。
これからどんな人物か探りを入れるが、あまり期待出来ない。オーリムの優しかったという言葉を信じたいが、あれから四年も経っているし、子供の頃の話だ。変に身分に溺れやすそうだったり、過度にわがままに育っていない事を願うしかない。
目元を腕で覆って天井を仰ぎ、深い溜息を吐く。
「……どうする、フィー?」
「どうするも何も、きちんと教えてやるさ。私はリムから生きる理由そのものなお姫さまを、都合が悪いからと言って隠すような真似は出来ない。それに、王にはバレるよ」
「そうか。……フィーの言った通りになりそうだな」
ラトゥスの視線を感じ、腕の隙間からチラリとそれを見て、ふっと口元に歪んだ笑みを浮かべた。
「……せめて弁えのある、大人しいご令嬢であったらいいね」
「今調べさせている。一週間もかからないはずだ」
「へえ〜。さすがだね」
ラトゥスは多忙を極めるフィーギスの代わりにオーリムの故郷とお姫さまを主立って探してくれ、その時に独自の情報網を得たらしく、情報収集が得意になっていた。案外ラトゥスは人望を集めるらしい。
このまま側近として、情報が必要な仕事を担ってくれるそうだ。王侯貴族は情報命なので非常に頼りになる。
――そして約束通り一週間後、簡単ではあるが調べてきてくれた。
ソフィアリア・セイド。十二歳。ミルクティー色の髪に琥珀の瞳。顔立ちは男爵令嬢ながら非常に整っており、人好きのする優しげな垂れ目。
セイドの領地を毎日隈なく散策し、村人の声を直接聞き入れて領主に話すらしく、非常に慕われている。村人達の間では領主や次期領主よりも有名なようだ。
人柄は温厚で気遣いが大人顔負け。稀に弟と思われる似た顔立ちの男の子と、友人と思われる女の子と一緒に村に視察に来る。友人は特徴から隣領に住む弟の婚約者だと思われる。
ざっと見た感じ、今現在は問題なさそうだ。たまに権力を得た途端豹変するような子もいるが、その類でない事を祈ろう。
強いて言えば、ご令嬢のわりに随分と精力的に動く子なのだなと思うくらいか。一時期没落寸前だったので、家族総出で動いて領地を立て直しているのかもしれないとあたりをつける。現にセイドはここ三年程で右肩上がりだ。
その調書をオーリムに見せ、発見を報告したら泣きそうな顔で喜んでいた。王鳥にやっと見つけたかと言われたので、そう言うのなら当たりなのだろう。
調書を食い入るように見つめるオーリムの表情を、穏やかな気分で見つめる。こんな事ならもう少し時間をかけて簡単な姿絵でもつけてやれば、もっと喜んでくれたかもしれない。
三年前、王鳥の言葉に屈し泣いているオーリムを見捨てて説得を諦め、国を護る事を選んだ事。そして半年前のあの事件。その罪滅ぼしが少しでも出来ただろうか?
「……さて、名残惜しいが今日はこれで失礼するよ」
「ん? もうか? 来たばっかじゃん」
「私は今、これが地獄かと思うくらい忙しいからね。それだけは早く渡したくて来たんだが、おかげで今日は徹夜なのさ」
「そっか。フィーもラスも、あんま無理すんなよ」
そう言ってプロムスにラトゥスと二人、子供のように頭ポンポンされる。すっかり成長期に入ってぐんぐん背が伸びている彼は、今じゃ顔は見上げる位置だ。
昔から兄のようだと思っていたが、今は本当に頼もしい。或いは父とはこういう人を言うのかもしれない。父なんて縁遠いから詳しくは知らないが。
「フィー、ありがとう」
そう言ってキラキラした笑顔でお礼を言ったオーリムに、笑みを向けて別れる。あれだけの情報であんなに喜んでくれるなら、もう充分だ。
あとは――
「……ラス。私は今日からなりふり構わずに、支持率を上げる為に動くよ」
すっと表情を消して、後ろにいるラトゥスを振り向かずに、前を向いたままそう宣言する。
「そうか。なら、僕はその事だけは協力しよう。僕の力、使いたければ遠慮なく使えばいい」
その声音は相変わらず淡々としているが、フィーギスにとっては昔から何よりも心強い。思わず口角を上げ、そっと目を伏せる。
「勿論。頼りにしているよ」
――これが誰にも望まれていなかった王族であるフィーギスが、誰よりも王族らしく誇れる生き様だと信じていた。
フィーギス殿下の転機のお話でした。
襲撃事件は王鳥も見越してましたが、オーリムに実戦経験を積ませる事と、フィーギスの側から敵を排除と護る為にあえて見逃しましたという裏話。そんな事誰も気付きませんが。
戦場に放り込んで云々というのは当初ただの例え話でしたが、せっかくなので実際にあった出来事にしました。スパルタな神様です。




