伴侶と婚約者 8
――『代行人様は王鳥様とは全くの別人』
言葉だけ見れば何を当たり前の事をと思うけれど、王鳥と代行人の関係だけは少し違う。
ソフィアリアの得た知識では、代行人は『人智を超えた力を身につけられる反面、人であった頃の意思がなくなり、謂わば王鳥の傀儡と化す』と書いてあった。それは領地で得る事が出来た知識でも、先程読んだどの本でも、その記述に相違はない。
だが実際ソフィアリアから見た代行人は、王鳥と言葉を交わして反発して、王鳥の傀儡であり意思だけは同一の存在だとは思えないような言動ばかり繰り返している。実際途中からソフィアリアは二人を別人であるかのように接していたが特に違和感はなく、全く気付かれなかった。
もちろん王鳥が二人いるかのようにわざと振る舞っていたり、そもそもその記述が間違っている可能性はあるだろう。だが、代行人の反応を見るとそうではなさそうだ。
別にそれが嫌な訳でも困る訳でもないので気にせず見ないフリという手も打てたのだが、結婚し、これからは共に歩むのだからはっきりさせておきたかった。これはソフィアリアの我儘だ。
代行人は膝に肘をつき、手で目を覆って深く溜め息をついた。そしてその体制のまま、言葉を発する。
「……やはり気付くよな」
「ええ。隠してるつもりでしたか?」
「いや、そうでも。それに結構知られているから、いずれどこからか噂を聞いてバレるだろうとは思っていたが、まさか会って二日で見抜かれるとは思わなかった」
それだけ言うと姿勢を正し、まっすぐソフィアリアを見た。
「同一の存在である、というのは表向きの事でしょうか?」
「いや、違う。実際今までの代行人は王鳥と同一の存在のようなものだった。何も間違ってない。……私だけ、自分の意思を残されたまま代行人をやっている」
「そのような事が可能だったのですか?」
その事実にきょとんとしてしまう。それが出来るのなら、何故今まで意思を奪って傀儡にしたのかと思ってしまった。
だが代理人は首を横に振った。
「出来ると言われれば出来る。でも調整が難しくまどろっこしいから普通はやりたくないらしい。それに、意思が残っても困る人間を歴代の王鳥は代行人に選んできている」
前半はともかく後半はソフィアリアが持っている知識ではわからない言葉だ。首を傾げつつ目線で続きを促すと、代行人は頷いてから足を組み、膝の腕で指を絡めて言葉を続けた。
「代行人がどうやって選ばれるか知っているか?」
「王鳥が役目を引き継いだ後、国中から自分の目で見て選んでくると本で読みましたわ。身寄りのない、物心がつかない年齢の孤児の場合が多いそうですわね」
その身寄りがなく物心がつかない孤児に意思が残ると困るとはどういう事なのか、よくわからないのだ。意思を奪うような真似なんてしなくても何も持っていないのだから、むしろ教育しやすいと思ってしまうのだが。
「大まかには合っているが少し足りない。一番の条件は王鳥と波長が合う事。……相性みたいなものだな。これがなければ意思の共有も何も出来ないから代行人には出来ない。次に周りの人間との関係性が薄く、先がないか、人道を外れている、またはその可能性がある事」
それには驚いた。思わず手で口元を抑えて目を見開く。
「実際瀕死の人間や先のない捨てられたも同然な病人、周りが手をつけられない程厄介で距離を置かれていた貴族の子息や犯罪者なども年齢性別関係なく、代行人に選ばれた事がある。……まあ実際は産まれて間も無く捨てられたような孤児が多いのは確かだがな。そういう社会的に爪弾きにされた人間を再利用している、との事らしい」
「再利用、ですか」
あまり命のある生物には使って欲しくない単語に悲しい顔をしたからか、代行人も嫌そうに顔を軽く俯けた。そして一度息を吐き、言葉を続ける。
「彼らなりの慈悲のつもりなんだ。本当は波長さえ合えば誰でもいいのに、わざわざいなくなっても困らない人間を選んでいる。大鳥は思っている以上に上に立つ強者で、人間に対して興味がない」
「人間と動物のような関係に近いのでしょうか?」
「ああ。食べたりはしないが邪魔だと思えば容赦はしないし、遠目で愛でたり愛玩用に飼ったり……もう少し冷淡だが、わりと近いかもしれないな」
そう言われると色々納得がいく。共存しているというわりにあまり関与しようとしないのは、そもそも認識の違いがあるかららしい。
人間だって動物の縄張り争いに介入しないが、家が荒らされたら追い出したり駆除したりはする。可愛いと思えば戯れに撫でて餌をやるし、気に入れば飼う。大鳥から見ればその対象が人間なのだろう。
「もしかして、大鳥様ってこの聖都以外にも……わたくし達が知ってる以上に沢山いらっしゃいます?」
「世界中にいるし、そもそもこの世界にいる事が稀なんだ。多くは別の世界に住んでいて、この世界には遊びにきている感覚らしい。このあたりは人間の理解の範疇を超えるからかあまり話したがらないが、冷静に考えればゾッとする話だな」
「そうですね……わたくし達は何も知らず、今の関係のままが一番いいのかもしれません」
人間を安易にどうとでも出来る存在が目に見えない世界にたくさん居て一方的に界を跨いで行き来するだなんて、人によれば恐怖を感じる事だろう。
人の心は案外弱い。目に見えない恐怖なんて知らないままでいた方が幸せかもしれない。
――ふと、人間から見た王鳥妃の事ばかり考えていたが、大鳥から見た王鳥妃はどうなのだろうと少し考えて、なにかヒヤリとしたものを感じたので深く考えるのをやめた。王鳥に並んで敬意を払われるのも疎まれるのも、ただの人間であるソフィアリアには手に余る事だ。
「……話を戻すが、私は王に選ばれた当時、別に死にかけていた訳でも重犯罪を犯していた訳でもない、九歳になる薄汚れたただの……孤児だった」
「物心がつかない年齢でもありませんね」
一瞬何を言い淀んだのか気になったが、話をこれ以上逸らして時間を取らせるのも申し訳ないのでまた今度にする事にした。それよりも彼が代行人に選ばれた経緯の方がよほど気になる。
「ああ。だが王は波長が合うだけで代行人になり得ない私を選んだ。――人間としての私が気に入ったからという、ただの好みだけで」
悲痛な顔をしているが、それはいい事なのではと思い首を傾げた。王鳥に人柄を見初められて任命されるだなんて、むしろ栄誉ある事だと思うのだが。
「そうでしたのね。人間として気に入って選んだのに意思を奪ってしまっては意味がありませんし、王鳥様が難しい調整をしてまで代行人様の意思を残した理由に納得がいきましたわ。そう悪いお話でもないのでは?」
「代わりに私は王鳥の記憶や知識、魔法を行使する能力の大半を受け継いでいない。必要があれば王に願う必要があるんだ。代行人としても半端で、王が私を一方的に乗っ取る事は可能だが、その間私の意識は基本的に眠りにつく。私が深く意識すれば王の目線でものを見る事は出来るし、騎族達と同じように王や大鳥と意思の疎通が出来、身体能力は人よりも優れているし魔法の行使も可能だが、それだけだ。その程度騎族でも出来る。代行人に選ばれたクセに人間にも代行人にもなりきれていない、半端者なんだよ」
痛みを堪えるようにギュッと目を瞑って結んでいる指を強く握りしめていた。そんな痛ましい様子に悲しくなるが、ソフィアリアは首を振って気分を改める。
「ご苦労なさったのではありませんか?人の身であり意思を持ちながら代行人として振る舞う事で妬みや蔑み、恐怖の目を向けられた事もあったかと思います」
「そうだな。特に代行人継承の儀式を終わらせたのに小汚いガキのままの『俺』を見る貴族の目はなかなか滑稽だったよ。……あんなのどうでもいいけど」
くっと歪んだ笑みを浮かべる姿がますます痛ましい。貴族の目がある場所でそんな儀式があるなんて知らなかった。ソフィアリアが聞いた事がないのなら、おそらく国の重鎮――高位貴族のみ集めて執り行われたのだろう。九歳の子供が受け止めるにはあまりに辛かった筈だ。
――だってたった一人に向けられただけのソフィアリアすら、当時は深く傷付いたのだから。
「それに――」
そう言ってぼんやりと、ここではないどこか遠くを、一瞬泣きそうな目で見つめた眼差しが妙に心に残った。だが頭を振ってすぐ消してしまう。
……もしかしたらただの人間だった頃、何かあったのかもしれないなと思った。そして代行人になった事で手放し、諦めなければならなくなったものがある。そんな気がした。
今は無理でも、いつか話してくれたらいいなと思う。嫌な事は共に背負って、解決出来そうなら行動を起こすくらい、この人の為なら出来る気がした――たとえそれが女性関係であろうと、それで痛むのはソフィアリアの心だけだ。
「わたくしはまだ代行人様が代行人様らしいお仕事をなさっている姿は拝見しておりませんので滅多な事は口には出来ませんが、少なくとも王鳥様には愛され認められているではありませんか」
「……王に?」
何故そこで不思議そうな顔をするのだろう。王鳥の目を見れば一目瞭然なのに、この人は気付いていないのか。
「ええ。代行人様も王鳥様の事がお好きでしょう?」
「そりゃ、嫌いじゃない。……振り回されてばっかでムカつくけど」
「あらあら。……なら、大丈夫ですよ。他の誰でもない王鳥様と相思相愛で認められていらっしゃるのですから、誰にも半端者なんて言わせませんわ。王鳥様が一番の味方だなんて、心強いではありませんか」
少し仮面を剥がせたのか、言葉遣いが荒くなってきたなと思った。きっとそれが素なのだろう。それがなんだか嬉しくて笑みが深まってしまう。
「それに、これからはわたくしも一緒ですわ。出会ったばかりであまり頼りにならない婚約者ですが、出来る限りで精一杯あなたを支えます。一緒に頑張りましょう?」
そう言って手を差し出せば、代行人はぼんやりその手を見つめていた。
何を考えているのだろう?見惚れてほしいとまではまだ思っていないが、少しでも好感を抱いてくれたのなら嬉しいと思うのは少し厚かましいだろうか。
「……セイド嬢は強いな。わかった。なら私は君を護れるよう、立派で相応しい男になるよ」
そう言って猫のような目を優しく細めて見せた笑顔に、思わずギュッと胸が締め付けられた。握り返された手は自分と違って大きくて、武器を扱うからかどこか硬いと性差を意識してしまう。
ふわふわ心地いい気持ちのまま、しばらく手を握ってニコニコ笑い合っていた。
「ピッ」
不意にずっと静かだった王鳥がスリっと頬を撫でるよう、頬を擦り寄せてくる。どうやら仲間外れにされたように思えてご立腹らしい。
「ふふっ、忘れてないですよ、王鳥様。もちろん三人で頑張りましょう? よろしくお願いしますね」
「ピ〜ピッ!」
そう言うと機嫌よさそうに甘えてくる王鳥とは対照的に、代理人は眉根を寄せ解せないとばかりに渋面になっていた。なんとなく二人は心の中で言い争いをしている気がする。
そんなソフィアリアの伴侶と婚約者の様子が微笑ましくて、しばらくくすくすと笑ってしまうのだった。
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