伴侶と婚約者 7
「まだお時間は大丈夫でしょうか?」
「問題ない。急ぎの仕事は片付けてきたので付き合おう」
「ありがとうございます。勉強を始めたばかりなので見つけきれていないだけなのかもしれないのですが、どうしても先に知っておきたい事があるのです」
これは急ぎだが、正直答えてくれるかは自信がない。なんとなく徹底的に隠蔽されているかのような印象を受けるので、昨日来たばかりのソフィアリアに教えてくれるとは思えないのだ。
しかし聞かない訳にもいかないので居住まいを正して、まっすぐ代行人を見つめる。
「自力ではどれだけ探しても『王鳥妃』の痕跡が見当たらなかったのですが、王鳥妃という存在の事をよろしければ教えていただけないでしょうか?」
領地で勉強した時からずっと気になっていたのはこの質問だ。代行人に訴えた通り、調べても『王鳥妃』という存在だけが全く見つからなかったのだ。自分がその『王鳥妃』を継いだ今、出来れば知っておきたいと思った。
だが代行人は切実なソフィアリアを見てもギュッと眉根を寄せ困ったように目を泳がせる。言葉を選んでいるのか言いたくないのか、組んだ足や握りしめた拳を無意味に組み直したり忙しなく動かすだけで、なかなか口を開いてはくれなかった。
そんな様子に、結局折れたのはソフィアリアだった。
「……あの、申し訳ございません。少々出過ぎた真似でしたね。いえ、いいのです。過去に倣わずとも、わたくしはわたくしのやり方で精一杯務めさせていただきますわ!」
空気を軽くするよう笑みを浮かべ、わざとらしくむんっと胸の前で拳を握りしめ気合いを入れてみる。
が、それで流してくれなかったのか微妙な空気が流れていた。こうなればもうどうにでもなれとヤケクソ気味に、もう一度食い下がってみる事にする。正直、全く知らないというのも不安なのだ。
「あの、ですが引き続き探りを入れる事だけはお許しいただけますか……?」
「……必要ない。無駄だ」
きっぱりと拒絶されてしまった。少々傷付いたのを気付かれたのか、代行人は目を見開いて慌てた様子で首を横に振る。
「ちっ、違う! あっ、いや、すまない……。その、絶対見つからないから探しても意味はないという事でっ!」
「それは、王鳥様と代行人様にしか伝えられていないからというでしょうか……?」
歴代の王鳥と代行人だけの口伝や記憶にのみ残されているのかもしれない。なら資料がないのは納得がいく。
のわりにはソフィアリアは大屋敷で隠される事はなく暮らしているし、貴族社会にもある程度広まっているらしいと耳にしたので少々違和感があるが。
だが代行人は首を横に振って、言いにくそうにおずおずと語ってくれた。
「そういう訳ではない。……居ないんだ」
「……居ない?」
「そう。セイド嬢が歴史史上初の、初代王鳥妃になる」
思わずピシリと固まった。いや、その可能性を考えていない訳ではなかったが流石にないだろうと真っ先にその考えは除外していた。
「今まで王鳥や代行人は伴侶を持つ事なく、全員が血を残す事もせず生涯独身のまま役目を終えている。王鳥も代理人も世襲制ではないので意味はないからな。だが王は、人間である君を妃にと望んだ。……だから前例がないんだ」
そう言った代行人も途方に暮れているかのような困った顔をしていたので、逆にソフィアリアは落ち着く事が出来た。言葉を噛み締め、脳内で今の状況を必死に整理する。
「それは……大変ですね」
口に出たのはそんな月並みな事だった。代行人も眉を八の字に下げ、こくりと頷く事しか出来ないようだ。
王鳥は圧倒的な力を持つ大鳥と人間を繋ぐ架け橋として、地位だけは国王陛下よりも上に居る。王鳥と同一の存在とされている代理人も王鳥と同じ地位か、王鳥と国王陛下の間くらいの立場に立っていた筈だ。
が、王鳥は人の政治に関与せず、大鳥に害意さえなければ口出ししない特殊な立ち位置にいる。この国で共存してはいるが、国を支えるというより神様的存在の大鳥のまとめ役と言った方が正しいのかもしれない。
そんな地位ばかり高いがこの国になくてはならない存在故に要望があれば突っ撥ねる事も出来ず、応えなければならない王鳥の妃である。
しかもその妃があろう事か地位の低いただの男爵令嬢。前例もない為扱いの難しさは察して余りあるというものだ。誰が悪いというものでもないのだが、少しだけ申し訳ない気持ちになってしまう。
そんな嫌な気分を吐き出すように胸に手を当て、一度大きく深呼吸をした。そして気を取り直し、ふわりと微笑んで見せる。
「王鳥妃は次代以降も任命される可能性はあるのでしょうか?」
そう尋ねれば代行人は王鳥を仰ぎ見て、すぐソフィアリアに視線を戻し、言った。
「わからない。その時代の王鳥次第という事だ。王鳥は能力や記憶は引き継ぐが、基本的に別個体だから性格も違う。王が今代限りと制限しても、好奇心の強い王鳥が生まれれば安易に破棄するのが目に見えているらしい」
「そのあたりは人間と同じですのね」
それを聞いて、なんとなく自分のやるべき事が見えてきた。
「……わかりました。では微力ながら、わたくしは次代の王鳥妃が誕生した際に困る事がないよう、しっかりと基盤を整える事に生涯を捧げますわ」
祈るように手を胸の前で組んで笑みを浮かべ、そう決意した。正直かなり厳しく難しい事だとは理解しているし、ソフィアリアが間違えば被害を受けるのは自分ではなくまだ産まれてすらいない次代の王鳥妃や国だと思うと、事の重大さに恐怖すら感じる。
けれど、ここでやるべき事、居ていい理由が出来たのは正直嬉しかった。領地にいた頃から貴族令嬢らしく淑やかな生活を送るより、自分で考え、行動を起こす事の方が気が楽だった――そうしなければ生きていけなかったとも言えるのだが。
ソフィアリアは目標が出来て気持ちが上向きになったのだが、代行人はそうは思わなかったらしい。罪悪感に苛まれたような、酷く暗い表情をしていた。
「無理はしなくていい。……すまない、こんな事に君を巻き込んでしまって」
俯き塞ぎ込んでしまった代理人を安心させるよう首を振って、立ち上がり、彼の側に跪くとそっと左手を取り、ソフィアリアの両手で包み込む。
「代行人様が気にされる事は何もありませんわ。元々わたくしは貴族です。民の生活を護り発展させる為の駒となるべく、血税で生かされてきました。思っていたより大事になった感じは否めませんが、わたくしのお役目は何も変わりません。ですから、そんなに気に病む必要はないのですよ」
俯いてしまった顔を下から覗き込むようにして優しくそう諭せば、少し気が楽になったのか代行人はゆっくりと顔を上げる。暫しそのまま見つめ合い、大丈夫だと安心させるよう笑みを絶やさなかった。
「それに、もしかしたらここに来た事でわたくしは助けられたのかもしれません」
先に視線を逸らしたのはソフィアリアだった。浮かんだ考えにふと自笑するかのように顔を伏せ、表情に憂いを帯びる。
「……セイド嬢?」
「いえ、なんでもありませんわ。わたくし、頑張ります。王鳥妃という役割も、未来の夫であるあなたを支える事も」
だが明るく見えるように表情を取り繕い、誤魔化すようにそう言えば、『未来の夫』という単語に反応して代行人はボンっと瞬間的に顔を赤くした。今更手を握られている事に気付いて意識したのか、チラチラとそれを見つつも視線を泳がせている。
先程の王鳥とのやり取りを見ていて気付いた事だが、感情を悟られないよう落ち着いた無表情を装っているけれど、本来の代行人はわりと感情豊かで照れ屋なようだ。年頃の少年らしい反応に思わずくすくす笑ってしまう。
あまり意地悪するのも良心が痛むので手を離して席に戻った。すっかり冷め切った紅茶を飲みながら、せっかくなので一番気になっている質問も、この際ぶつけてみる事にする。
「最後にもう一つだけよろしいでしょうか?」
「な、なんだ?」
腕を組んで何を言われるのかとソワソワしている彼を見つめつつ、そっとティーカップを置き姿勢を正す。
「代行人様は王鳥様とは全くの別人ですね?」
ソフィアリアのその言葉に代行人は目を見開き、表情を強張らせた。