ソフィアリアの侍女教育
「認められない二夫一妻1」でダイジェストで飛ばされた頃のお話。ソフィアリア視点。
「あら? 今日は随分と広場が賑やかなのね」
大鳥達へのお披露目をした翌日。朝食を終えていつものように温室へと赴くと、昨日まではガランとだだっ広い芝生広場でしなかった窓の外は、今日は大鳥達が思い思いに過ごしていて思わず顔が綻んだ。
「いつもこんな感じです。……今までより大鳥様の数が多いよう見受けられますが」
「ご挨拶待ちかしら? なら、お昼は広場に顔を出さないといけないわね」
「かしこまりました」
少し視線を感じたので窓に向かって手を振り、午後の予定を立てながら、ソフィアリアはいつものスペースへと向かう。
「おはようございます、王様」
「ピ!」
今日はもう来ていたらしい。視線が優しく、側に来るのが待ち遠しいと言わんばかりの雰囲気を感じたので、本棚――書庫から大鳥に関する本を選んで、棚ごと運び込んでもらった――から数冊抜き取り、王鳥を背凭れにしてベンチソファに腰を下ろす。肩口に擦り寄ってくるのが可愛い。よほど肩が好きらしい。
ソフィアリアは昨日の夜に準備しておいた見本用紙を再度確認し、新たに書き加えたりしながら、ふと側でそわそわしているアミーを仰ぐ。
「誰か来てくれるといいわね」
「一人、友人は確実に来ます。あとは、その、わかりませんが」
「一人来てくれるだけでも上々よ。来たばかりの貴族で王鳥妃から教育を受けるなんて、萎縮して当然だわ」
そう。今日は一昨日の夜にアミーに言った通り、侍女教育をする事になっていた。事前にメイドや下働きの女性達を集めてメイド長には説明してもらっていて、今日がその初日だ。
どうせなら全員順番に強制参加にしようかと提案されたが、ここで働く分には過分な教育になるし、みんなが勉強熱心という訳でもないだろう。何より来たばかりのソフィアリアに不信感があって当然で、お貴族様の道楽に付き合う義理はないと思われるので任意参加にしてもらった。基本的に平民は貴族を毛嫌いしている傾向があるのだ。
ここで勉学を受けるなら仕事は免除になり、お給料もそのまま出るとはいえそんな感じなので、人が集まるかはあまり期待していない。元々誰も来なくてもアミーに教えるつもりだったし、希望者だけでも充分だと思っていた。
「失礼しまーす」
と、元気よく入ってきた若い女性を先頭に、あと二人入ってくる。その事に少し驚いて、でもふわりと笑った。
「こっちよ」
「……王鳥様?」
声を掛けて手招きしたが、ソフィアリアの背に王鳥が居ると気が付いて、三人は頰を引き攣らせている。その表情を少し寂しく思いながら、安心させるように優しく微笑んだ。
「王様も一緒だけれど許可はもらっているから大丈夫よ。気にしなくてもいいけれど、でも王様は人間がとてもお好きだから、仲良くしてくれると嬉しいわ」
「ピ」
「はあ……」
困惑させてしまったらしい。無理もない事だ。
貴族に教えを乞うのもあれなのに、神様の御前で勉強なんてなんの冗談だと思うだろう。けれど、王鳥は怖がる理由もない優しい神様なのだから、いつか慣れ親しんでほしいと思っていた。側でソフィアリアが普通に接していれば、少しはそれが伝わるだろうと期待するしかない。
改めて側に寄ってもらい、立ち上がる。
「今日は集まってくれてありがとう。とっても嬉しいわ。昨日ご挨拶はしたけれど、あらためて自己紹介ね。わたくしはソフィアリア。元は貴族だけれど生活は平民と変わらなかったから、ただの小娘のように接してくださいな。出来ればソフィと呼んで仲良くしてくれると嬉しいわ」
おへその前で手を組んで綺麗な礼をして見せる。ほうっと見惚れさせたが、この礼は身につけてもらいたい。
視線で自己紹介を促す。まずは先頭を歩いていた、三人の中で一番若い子だ。おそらくアミーの友人とは彼女の事だろう。
「あたしからですね。あたしはベーネです。メイド歴三年目で、この大屋敷では新米な方かな。アミっちに誘われたのもあるけど、紹介状目当てで来ました!」
随分と明るく素直で、きっぱりした子だなと好感を抱いた。ソフィアリアを真似てした礼を見て少々作法が危ういと思ったが、そこを直せばいい侍女になりそうだ。
「よろしくね、ベーネ。紹介状目当てという事は、どこかに転職希望なのかしら?」
「あー、そういう訳じゃなくて、むしろお給料がいいのでここで永久就職したいんですけど。うち、弟妹が多いんですよ。今の所大丈夫そうですけど、そのうち誰かやらかさないかなーって心配してて」
困ったようにヘラヘラ笑うベーネに、それは心配だろうなと思う。この大屋敷は身内が犯罪を犯しても中に入れなくなってしまうのだ。もちろんその地点で解雇されてしまう。
「あらまあ、それは心配よね。なら、わたくしもしっかり指導出来るよう頑張るわ。あなたは?」
「はい、はじめまして、ソフィ様。私はモードです。メイド歴は内緒ですが、私は侍女として、いつかソフィ様についてお城へ行く事が夢ですわ」
隣のモードは落ち着いていて、とても美人だ。作法を少し修正して教養を身に付けるだけで、様になりそうである。
それはそれとして、気になることを言われた。
「王城に上がりたいのかしら?」
頰に手を当て、少し困ってしまう。確か年に何度かソフィアリアも参加しないといけない行事があると言っていたし、その時はソフィアリアにも身支度の為に侍女をつけてもらわなければならないが、はたしてここから連れて行けるだろうか。それに、ソフィアリアにもそこまでの侍女教育が出来るのかという不安もある。
「はい! 私、美容やファッションに興味があり、ソフィ様や他の方のドレスを見たり着付けたりしたいのです。ですが私、平民で教養もなく諦めていたのですが、これはチャンスだと思い、受けにきました」
「まあ! 頼もしいわ。ならその夢を叶えるお手伝いが出来るよう、わたくしも頑張るわね」
言われてなるほどと思った。とても美人だから美容方面に詳しいのだろう。ソフィアリアは疎いので、逆に教えてもらいたいくらいだ。恋をした今、もっと綺麗になって旦那様達に喜んでほしいと思う気持ちもあるのだ。
なら、せっかくだからモードの為にも登城が許される侍女を育てようではないか。平民出身の侍女を登城させるとなるとなかなか大変だろうが、そのくらい高望みしてもいいと思う。夢は自由だ。
最後の一人に目を向けると、彼女はフワッと柔らかく笑った。
「はじめまして、ソフィ様。私はパチフィーです。私は特に希望はないけれど、せっかくソフィ様のご提案なのに、みなさんあまり参加に意欲的ではないのが勿体無いなと思って来ました」
ふわふわ喋るパチフィーはこの中ではおそらく最年長で、どうやら気を遣ってくれたらしい。その優しさと雰囲気がどこか母を彷彿とさせて、少し目が潤んでしまう。
「ありがとう、パチフィー。そう言ってくれて嬉しいわ。なんだかわたくし、あなたととても気が合いそう」
「ふふふ、娘のような子にそう言ってもらえて、嬉しいわ〜」
思わず母恋しさにギュッとしたくなる衝動を耐え、みんなを眺めて頷く。まさかはじめから四人も教える事になるとは思わなかったが、やる気のあるメンバーが集まってくれてとても嬉しかった。
「これからよろしくね。ではさっそくだけれど、まずは三十分間、歩く事から練習しましょうか」
そう言って白紙のノートを一冊ずつ配った。配られた四人は首を傾げているが、大事な事なのだ。
「歩く事、ですか?」
「ええ、そうよアミー。この大屋敷だとあまり機会はないけれど、侍女って基本的に主人に同行するから、常に人に見られるのよ。付き従う侍女の質が主人の質にも繋がるから、礼儀作法はきちんと身に付ける必要があって、歩き方一つでも洗練されていなければお話にならないの。だから、まずは綺麗に歩けるように練習からね」
お手本として分厚い本を頭に乗せ、歩いてみせる。小さな頃からたくさん練習させられたので、このくらいは簡単なものだ。
「へえー、出来そう」
そう言ってベーネは頭に乗せようとして……まず乗せる所から苦労していた。他の三人も乗せられはしたが、一歩踏み出すのにも苦労している。ソフィアリアが簡単にやってしまったからわかりにくいが、案外難しいのだ。
「……あの、ソフィ様? ここからどう歩けばいいでしょうか?」
「まずは本を乗せた頭の先から首、身体、腰、足、踵まで直線を意識するの。特に首が前に傾いていたり、背が丸まっていたりすると絶対に落ちてしまうわ。目線はまっすぐ遠くをキープして、足元は見ない事。そのままこのスペースの端と端を三十分間、歩く練習からね。頑張って」
ニコリと笑って放置し、先程本棚から選んだ大鳥に関する本に視線を落とす。たまに視線を向けて、気になった所は口頭でアドバイスしてあげた。少し勉強していたのかモードはそこそこ飲み込みが早く、逆に元気なベーネは苦労しているようだ。これで挫折してしまわないか少し心配になるが、目を見るとやる気がみなぎっているようだから大丈夫だろうと期待するしかない。多分彼女は気が強く、負けず嫌いなのだろう。
苦労しつつも三十分経ったので用意したテーブルに座ってもらい、少し休憩してもらう。ソフィアリアが紅茶を淹れると慌てていたが、これくらいサービスだ。
王鳥が気を利かせたのか氷を魔法で出してくれたので、濃く作って氷を入れ、アイスティーを作る。この国では氷はとある領地でしか取れないのでとても貴重で、高位貴族しか使わない。ソフィアリアも知識として持っていたが、初めて見たなと思った。
「冷たっ! これが氷なのか〜。あたし、初めて見ました!」
「冷たい紅茶も美味しいですわね。ありがとうございます、王鳥様、ソフィ様」
おそらくプロムスから出して貰うのだろうアミーを除いた三人は目を輝かせていたので、気に入ってくれたようだ。王鳥もどこか誇らしげな表情をしていたので、お礼を言って撫でておいた。
ちなみに先程から温室内部を窓から覗くようにじっと見つめている大鳥――アミー大好きなキャルがいる。人間は氷で喜ぶと知って、あとで大量に出したりしないか少し心配だった。……まあ、案の定な事になるのだが、今はまだ知らない事である。
気を取り直して、四人の前に紙とペン、インクを並べる。
「ところで、読み書きや計算ってどのくらい出来るかしら?」
アミー曰く、島都の平民は教会に行けば誰でも教えてもらえるらしい。基本的に子供のうちに行くらしいが任意なので、日常生活で使う程度を覚えれば通わなくなる人が大半なのだとか。
「私はロムと一緒に貴族の基礎教育程度まで習わされました」
「マジで? アミっちヤバ。あたしは基本の読み書き計算くらいまでですねー」
「私もそれくらいですわ」
「私は昔、少し代筆の仕事をしていた事があるので読み書きは得意ですが、少し計算は怪しいわね〜」
色々なようだ。少し大丈夫かなと思いつつ、まあしばらくは簡単な読み書き計算さえ出来ればどうにでもなるだろう。
「もう少し余裕が出てきたら貴族の基礎教育くらいまでは覚えてもらう事になるわ。大変だけど頑張ってついてきてくれると嬉しい。でもまずは、文字を綺麗に書く練習と、ついでに言葉遣いも直しましょうか」
笑ってそう言い、目の前の紙を見るように促す。視線を向けた事を確認して、説明する事にした。
「四人全員別の挨拶の言葉が書かれているわ。時間がかかってもいいからそれを見本通りに書くよう意識して、書き終わったら十回、丁寧に文字を読むの。詰まらないように、伸びないよう一文字一文字を丁寧に、はっきりとを意識してね。それが終わったら左隣の人に紙を回して、回されたものをまた文字を書いて読んで、その繰り返しを三十分間頑張りましょうか」
「はーい質問です。なんで回すんですか?」
「人に見られると思うと気が引き締まるでしょう? 前の人が綺麗に書いていると、下手な文字で書くのは恥ずかしいって思うじゃない」
「そういう意味があったんですねぇ。確かに、気が抜けないわ〜」
各々の紙に書いていくのも悪くないとは思う。けれど、どうしても気が抜けていって、癖がついていってしまうのだ。そこで人目に晒す事を意識すると、気を抜けなくなる。回すのはそれが狙い目だった。
手紙の代筆は侍女としての仕事ではありがちだ。もちろん全てではないが、縁遠い人のお茶会の返事などは代筆で済ます事も多い。もちろん文字一つとっても人に見られるので、綺麗な文字を書けるというのは必須事項だった。
せっかくなのでよく使う挨拶文を使い、発声練習もしてもらう事にした。発声一つでも主人の質を測られる道具にされるので、気を抜けない。自分の教養が主人の質に繋がるので、侍女になるのはとても大変なのだ。
「気を抜けなくて大変よね。これが終わったら一度ゆっくりお茶休憩でも入れましょうか。料理長に頼んで小さなカップケーキを用意してもらっているから、もうひと頑張りよ」
途端、キラリと目を輝かすのだからくすくすと笑ってしまう。みんな甘い物には目がないらしい。
まだまだ始めたばかりで易しい方なのだけれど、頑張ってついてきてくれるといい。ご褒美として小さなスイーツも毎日頼まないとなとのほほんと思っていた。
――そこからこの勉強会が評判になり、温室が賑わうのはそう遠くない未来の話。
更にこの初期メンバー四人の頑張りが認められ、必要最低限の礼儀作法を試されて登城の許可が下りたのは、勉強会を始めてわずか一季半の事だった。
本編でカットした侍女教育のお話と大舞踏会についてきたものの出番が少なかった侍女三人との出会いのお話。
こんな感じでソフィアリアが大屋敷に馴染んでいくほのぼのパートを予定しておりましたが、思っていた以上に長くなってしまい丸々カットしました。無念……!
補足ですが、登城を認められたのは歩き方、話し方、礼などの必要最低限の見た目の作法だけであって、教養はまだまだです。紹介状もまだ先です。流石に約135日じゃどうにもならないと思うの……。
アミーはもちろんの事、この三人の侍女も今後もたまに出るかと思います。




