初めての晩餐
「大鳥へのお披露目と鳥騎族」5と6の間。ソフィアリア視点。
大屋敷に来て三日目。大鳥達へのお披露目という大仕事を終え、挨拶をして回ったソフィアリアは肉体的には疲労困憊だが、それ以上に気持ちが弾んでいた。鼻歌でも歌い出しそうな幸せな笑顔を抑えきれなくなっている。
「……楽しそうですね」
「ええ! だって今日は初めてリム様とお夕飯をご一緒出来るんだもの」
自室で軽く身なりを整え、食堂に向かう途中でアミーに淡く微笑まれながらそう言われたので、正直な気持ちを答える。ソフィアリアがご機嫌なのは、それが理由なのだ。
「到着してからずっと、夕飯時は部屋で放置されていましたからね」
「仕方ないわよ。一日目は気を遣ってくださって、昨日はフィーギス殿下達がいらっしゃったんだもの。お客様の事は優先してくれないと困ってしまうわ」
確かにセイド領にいた頃は家族みんなで夕飯を食べていたから、アミーが話し相手になってくれたとはいえ、部屋で一人で摂る食事は寂しくなかったといえば嘘になるが、お仕事や来客の邪魔をする程聞き分けのない人間ではないつもりだ。理由があったのだから放置されたとは思っていない。
――それに、ソフィアリア的にはむしろ今日が初めてでよかったとすら思っていた。
食堂に着くとまだ誰もいなかったので、定位置に座ってアミーの仕事の邪魔をしない程度に話して待っていた。気分的には手伝いたいのだが、お仕事を奪う訳にはいかないので我慢だ。こういう貴族らしい態度は知識として持ち合わせているが、なかなか慣れないなと思う。
しばらくして勢いよく扉が開き、少し慌てたようにオーリムがやってきた。
「すまないっ、遅くなった」
行儀が悪いとプロムスに呆れられているが、急いで来てくれたとわかるのでソフィアリア的には少し嬉しい。ふわりと笑って首を横に振る。
「そんなに遅くないわ。もしかして、リム様のいつものお夕飯の時間より少し早かったかしら?」
「いや、いつもこれくらいだった。フィアは?」
「セイドではもう少し遅いくらいだったけど、寝る前にお腹が空くのが嫌な弟に合わせた結果だから、わたくしはこの時間で大丈夫よ」
そう伝えておくと少し不思議そうな顔をして、けれど首を縦に振って理解してくれる。席につき、料理が並べられるのを他愛もない話をしながら待っていた。
やがて料理が並べられると、二人揃って手を合わせる。
「「いただきます」」
そう言って食べ始めるオーリムは所作がとても綺麗だ。それに、身長差はそこまでなく、成長期特有の線の細さなのに、ソフィアリアの二倍以上の量をペロリと平らげていくから、男の子とは不思議だなと思ってついつい視線を向けてしまう。
まあオーリムは見た目は細いが武術を嗜んでいるからか、意外と身体が硬くガッシリしているのだとよく抱えられるが故に知ってしまった情報を思い出して、慌てて食事に集中する事にした。恋をしてからというもの、思考がどうにもはしたない。
ソフィアリアはまず、温かいままの野菜スープからいただく。固すぎず柔らか過ぎない絶妙な煮込み具合の野菜とお肉に、ソフィアリアは今まであまり食べた事のない味の透明なスープが絶品だ。おそらく多くの食材が煮込まれて出来ているのだろう。ソフィアリアの家では安上がりでお腹に溜まりやすい豆やじゃがいもを使った大味なスープが主流だったので、繊細な味のスープというのは新鮮に思えた。
「今更だが、この大屋敷で出る食事はフィアの口に合うだろうか?」
「とても美味しくいただいているわ。どうして?」
「俺はここ以外は夜会に行くくらいしか機会がないから詳しくは知らないが、ここで出る食事は貴族らしくないとフィーが言っていた。それが好きらしいが」
不安げにそう言うオーリムの言葉になるほど、と思う。
この三日間過ごして思った事だが、この大屋敷の食事は平民と貴族のメニューがいい具合に混合している。パンに使われている小麦は上質らしく、貴族の食卓にあがる白パンで、なのに地面から収穫出来るものは下賤な食べ物だという風潮があって貴族はあまり食べる事のない野菜が普通に使われている。
平民がよく使う豆や卵、加工品も使われているが、貴族のように魚や肉も毎日食べられているし、そして食後のデザートだって出てくるのだ。
この大屋敷では毒殺の心配がないので毒味も挟まない為、出来立ての熱々で食べられるのも特徴的な事だろう。一応位は王族より上であるのに、こうして温かい食事を食べられるのは幸いとしか言いようがない。
ソフィアリアはニコリと笑い、せっかくだからソフィアリアの家の事を話しておく事にした。恥ではあるが知ってほしいと思ってしまったのだ。
「わたくしね、貴族らしい食事というのを食べた事がないの」
そう言うと不思議そうな顔をされたから、思わず苦笑してしまう。でも仕方ない。ソフィアリアは男爵令嬢だったのだから、末端とはいえ貴族である筈なのだ。
「昨日リム様にもお話した通り、わたくしの実家だったセイド領はかなり荒廃してしまっていたわ。……わたくしのせいで。だから少しでも領地を立て直す為のお金に回す為に、かなりの節制をしていたの。粗雑な小麦を使った石のように固いパンがあれば御の字、それより安く、お腹も膨れるじゃがいもを使って嵩増しした料理と安い豆類が中心で、痛みかけのくず野菜やフルーツを少々。お肉とお魚は加工品が一季に一度の贅沢品で、たまにパンは諦めてお菓子を作れば、とても喜んでもらえたわ」
懐かしくてふふっと笑うとオーリムは目を瞬かせ、平民のアミーとプロムスから見てもあんまりな食事メニューに憐憫の目を向けられてしまう。無理もない事だ。
このビドゥア聖島は狭い島国だが、神様である大鳥が住んでいるからか他国よりもずっと農作物には恵まれており、病気知らずで基本的には豊作になる傾向がある。
理由はよくわからないが、土地によってこの環境で育つ筈のない作物が普通に育ったり、異常に成長が早く大量に収穫出来たり、味が変わったり腐敗が遅くかったりと不思議な成長を遂げる場所が数多くある。ソフィアリアが住んでいたセイド領では、腐りにくく甘みの強いラズベリーが収穫出来るのがそれだ。もちろんセイドベリーは誇りだが、芋類や野菜の大量生産が出来る他の領地は少し羨ましかった。飢える事がないからだ。
そういう感じなので他国からの輸入に頼らなくても食糧に困る事はまずなくて、海に囲まれた島国だから魚も多く、畜産もしっかりしている。そんな国で食べ物の節制を余儀なくされるのは、相当な事なのだ。その相当を、家族や領民に強いてしまっていた。
「ここ二年でそれも随分ましになって普通の食事を食べられるようになったけれど、それでも節約を考えた平民って感じだったかしら? だからここに来て、随分贅沢な食事をしているなって思っていたの」
だから気にしないでほしいと、むしろ感謝を込めてふわりと笑うと、オーリムも安心してくれたのか不安げだった表情を崩してくれた。少し優しいその表情に、思わずドキリと胸が高鳴る。
「……俺も今はすっかり慣れてしまったけど、来たばかりの頃はご馳走が並べられて、これが普通だと言われて驚いた」
「リム様も?」
「ああ。俺は孤児といってもロム達みたいに施設で育った訳ではなくて、良いように言えば自給自足で暮らしていたから。森や川で食料を探して細々と食い繋いで、その、いけない事だけど、盗みもやった」
恐る恐る、嫌われないか伺うような告白と視線に、ソフィアリアは思わずギュッと眉根を寄せて悲しくなってしまう。
盗みは絶対に良くない、完全な犯罪だ。相手にどんな同情の余地があったとしても盗まれた方にも生活がかかっていて、盗まれた分の損失を取り戻すのに、盗まれた分の数倍を追加で売り上げなければならないのだ。だからソフィアリアには安易な気持ちで仕方がなかった、なんて言えない。
けれどオーリムは悪意を持てる人間ではないと知っているから困ってしまう。あえて言えば、そうさせた環境のせいだ。
オーリムがどこに居たのかは知らないが、代行人になったらしい八年前は王位継承問題で情勢が荒れていた。それこそ、小さなセイド領にスラムが出来る程荒廃していても、国から見逃される程に。だからどさくさに紛れて重税を課し、私欲を満たしていた領地もあったと聞く。きっと彼はそういう場所で生まれ育ってきたのだろう。
何も言えないが、首を横に振って笑みを浮かべる。ソフィアリアが出来る精一杯を受け取ったオーリムはほっと力を抜いたから、これでいい。
少し話を逸らすように、気になった事を聞いてみる事にした。
「リム様は釣りがお好きなのかしら?」
「いや、した事ないが」
不思議そうにそう言うオーリムに、逆に不思議そうな表情を返し首を傾げる。
「川で食料を調達していたと言っていたから釣りがお好きなのねって思ったのだけれど」
釣りではない、川で調達出来る食料とはなんだろうと考えたが、残念ながらソフィアリアには経験がないので思い浮かばない。目で尋ねると、ああと納得したように教えてくれた。
「そんな大層なものではない。長い棒の先に尖った石を括り付けて、それで魚を刺して捕まえていた」
「それは、かえって難しくないの?」
「俺はそうでもなかった。けど、他にやってる奴は見た事ないな」
そうだろうなと思い頷く。経験がないのでわからないが、川で泳ぐ魚は動きが素早くそんなに大きくもないから、それを槍のようなもので一突きなんて相当難しそうに思える。今も槍を振っているし、小さい頃から長物を扱う才能に恵まれていたのだろう。
「……森で食べられる物を探すより手っ取り早くて楽だったけど、俺はあまり魚が好きじゃなかったからやりたくなかった」
「あら? お魚がお嫌いだったの?」
「今は焼けば好きだ。けど当時は焼くなんて知らなかったから、そのまま齧り付いていた。生臭くて、腸は苦くて骨もよく喉に詰まらせてたし、たまに腹を壊すから、腹は満たせるが嫌な事も多かったな」
「まあ……」
そんな思いをしなければ食事もままならない環境だったなんてと、ますます憐憫の情が濃くなってしまう。育った環境はセイド領にあったスラムのように、とても劣悪だったらしい。連鎖的にスラムの事も思い出してしまい、領民に申し訳なくなった。
ソフィアリアの言葉に同情を感じ取って、オーリムは苦笑する。
「だから今も生だったり、姿焼きで出されると一瞬躊躇する。腹を壊して痛い思いをしていた事に対するトラウマなんだろうな。食べると普通に美味いんだが」
「ではリム様はお魚よりお肉の方がお好き?」
「まあな。フィアは嫌いな食べ物とかはないか?」
「食べられる物ならなんでも食べるわよ。贅沢言っていられなかったもの。食べられる野草だって、見分けるのは得意よ」
「俺も、あまり種類は多くないけど少しだけ覚えてる」
思わぬ共通点にお互い目を輝かせてくすくすと笑う。お互いの事を知る、なんて事ない穏やかな時間がとても心地よかった。――部屋の隅で控えているアミーとプロムスから向けられる眼差しが、とても可哀想なものを見る眼差しだとしても。
「うっかり路頭に迷っても、わたくし達なら三人で充分暮らしていけそうね?」
「フィアを路頭に迷わす真似は絶対にしない」
軽口のつもりだったのだが、真剣な表情でそんな事を言うものだから、思わずキュンときてしまった。緩みそうになる頰を必死に引き締めるが、気持ちは多幸感でふわふわしていて、少し顔も赤いと思う。
まあ冷静に考えて王族より上の位で、この国の護り神である大鳥の関係者が路頭に迷う事はあってはならないだろうが。
話しながら食べていて、最後のデザートに手をつける。もうすぐこの楽しい時間も終わりのようだ。
「わたくしね、リム様と食べるお夕飯が今日が初めてでよかったなって思うの」
だからせめて、この気持ちだけは伝えようと思った。
「す、すまない、長くほったらかしてしまって……」
「そんな風に思っていないから気にしないでくださいな」
ふわりと笑うとオーリムも淡く笑い、遮った言葉の続きを促されたので、幸せそうな熱い眼差しを送ってみせる。ソフィアリアの気持ちが、少しでも伝わってくれればいい。
「昨日と違って今日は、王様とリム様に恋をしていいと許可をもらっているんですもの。好きな人と好きだって気持ちを隠さずに一緒にお食事を出来るって、とても幸せだわ」
不意打ちのように気持ちをぶつけられて、オーリムは目を見開いて真っ赤になってしまった。そんな表情を見られたのでソフィアリアは満足だ。
これからはこんな幸せな時間が、なんて事ない日常になればいい。
「覗き行為」で夕飯一緒に食べたいと言っていたので。
もう少し軽い感じにするつもりでしたが、ふとこの二人のセイドでのお食事事情悲惨じゃない?と気が付いたので、それで盛り上がる可哀想なお話になりました。
こんな二人ですが、この国では王族より高貴です。涙ちょちょぎれますねぇ〜……。
あと今更ですが、世界観設定はそこそこ凝りましたが、ベースは近世ヨーロッパ風の何かくらいな漠然としたイメージしかありません。
一応お食事事情とかは調べましたが、間違っていても見逃してやってください。




