エピローグ〜なんて事ない三人の恋〜 2
「懐かしいな、ここ」
右手にセイドベリーのスティックパイが入った紙袋と持参したバスケットを持ち、左手はソフィアリアの手を繋いだオーリムの少し後ろを、ソフィアリアは歩いていた。
何故横並びではないのかと不思議がられたが、ここに来るならこれでいい。だって昔、初めてこの場所に訪れた時、ソフィアリアはラズにこうやって手を引かれて、ここに来たのだから。
――大舞踏会から十日後、ようやく午後の時間を丸々使えるようになったこの日。ソフィアリアとオーリムは王鳥の背に乗り、セイド領に来ていた。
馬車だと二日かかるが、王鳥に乗れば二時間もかからない。本気を出せば半分近く短縮出来るらしいが、オーリムのように慣れていても目を回すらしい。夜デートでそこそこ飛び慣れたソフィアリアでも、このくらいが限界なのだそうだ。
手を引かれてやって来たのは、ラズと一緒にスティックパイを食べたあの川辺だった。オーリムは特に懐かしいのか、目元を和らげ笑みを浮かべている。
バスケットから敷物を取り出し、あの木の下に敷く。オーリムとソフィアリアがそこに腰を下ろしたタイミングで、人気がないのを確認した王鳥も姿を現した。
いつものように背に回りたかったようだが木が邪魔で、不満そうに鳴いた後、渋々オーリムとは反対側のソフィアリアの隣を陣取る。
「実はね、昔、地面に直接座った経験がなかったから、ここに座ってビックリしたのよ?」
パイを二人に手渡しながら当時を思い出して小さく笑うと、オーリムは気まずそうに視線を逸らした。
「す、すまない……。俺はどこでも座れるから、そういうのに気が回らなかったんだ」
「ううん、ビックリしただけで嫌だった訳ではないわ。そういうものだって何でも受け入れてしまう子供だったもの」
今となってはいい思い出だ。初めて出来た人間のお友達と初めて地面に座って、肩を並べて美味しいラズベリーのスティックパイを一緒に食べる。スティックパイを夢中で食べる男の子の顔も、触れ合った肩の温かさも、今でもたまに夢に見るのだ。そのくらい印象深く心に残っていた。
「温かいうちに食べましょうか。いただきます」
「……いただきます」
「ピー」
そう言って一口齧る。このスティックパイは一緒に食べたあのお店のものだ。と言っても当時より質の良い材料を使っているので昔食べた時よりもずっと美味しくなり、同じ味ではないのだが、やはりあのお店のスティックパイは特別だと思っている。午後だと売り切れている時もあるが、ちょうど最後の焼きたての時間でよかったと思った。
「……美味しくなったラズベリーのスティックパイを、またラズくんにも食べて欲しかったの。夢が叶ったわ」
感慨深くて、幸せで、でも少し切ない。思わず目が潤んだからか、二人がそっと、こちらに体重をかけ、より接近してくれた。
「これも美味いよ。でも俺は、もうフィアの作ってくれるスティックパイで舌が肥えてる」
「ピー」
……それは二人とも、ソフィアリアの作るものの方が好きだという事だろうか? なんだかおかしくて、くすくすと笑ってしまう。
「お店と同じレシピよ?」
「それは、その、作り手の問題というか……」
ゴニョゴニョとそう言うオーリムを少し見上げると、照れているのか目が合わず、顔が赤い。この人は両想いになっても相変わらずなのだ。
食べ終わり、木の下で三人でのんびり過ごす。見上げた空はいい天気で、冬が近付いているので肌寒いはずが、王鳥が魔法でここだけ温かくしてくれていて、春のように居心地がいい。
ぼんやりしているとつい先程の事を思い出してしまう。
今日はセイド領に観光に来た訳ではなく、お墓参りに来たのだ。長い間ずっとラズくんとして弔ってきた、知らない男の子の。
「……わたくしはずっと、あの子をラズくんだと思って、弔っていたわ。知らない人に別人の名前で呼ばれて、知らない思い出を一方的に語られて、とても迷惑していたでしょうね」
ふっと痛まし気に微笑む。今日はあのお墓に、その事を謝罪するのが第一の目的だった。
ラズではない人をラズと呼び止め、亡くなってしまう原因を作っただけでは飽き足らず、死後もラズとして長い間弔ってきてしまった。その事が申し訳なく、心苦しい。
本物のラズに会えた事はとても嬉しかった。思い出の男の子とは知らずにオーリムに恋をして、両想いになれて幸せだ。その気持ちは本当だけれど、だからといって知らない子を身代わりのように扱い、犠牲にしていい訳がない。むしろ更に罪を重ねる結果となってしまっていた。
いつもそうだ。自分が幸せを感じる裏で、知らないうちに他人を傷付けている。知った時にはもう取り返しのつかない事態へと陥って、どうする事も出来ない。それが酷く、苦しかった。
「――――本当か?」
重苦しい沈黙の中、オーリムが王鳥を見上げ、驚いたように目を見張る。ソフィアリアも同じく王鳥を見上げたが、さすがに前後の会話がないのでわからなかった。
「王様はなんて言っているの?」
「あっ、すまない。……王は元々、あいつを代行人にする為にここに来たんだと」
それを聞いてソフィアリアも驚いた。目を丸くして、思わず王鳥をじっと見てしまう。王鳥はソフィアリアを見下ろし、その瞳はどこか哀愁が漂っていた。
「けど途中で城に向かう俺を見つけて、気に入ったから変更したんだとさ。……おそらくあそこでラズとして眠っているのは、俺から服を殴り盗っていった奴だと思う。スラムでも特に有名人で、相当な悪さを働いていた奴だったから、波長が合うなら代行人として選ばれる可能性が高い。……けどさ」
そう言って俯いてしまったオーリムの左手をそっと握り、肩にもたれかかる。オーリムも痛みを堪えるように、ギュッと握り返してくれた。
「服を盗られて、代行人と命と交換じゃ、わりに合わないよな」
サァッと強い風が吹いた。まるで肯定と言わんばかりのそれが、二人の髪を踊らせる。
――運命を変えたのは、そんな些細なきっかけがはじまりだったのだろう。
あの日、ラズが墓石の下で眠る男の子に服を盗られなければ、まっすぐソフィアリアの暮らす屋敷に向かい、数時間後には屋敷から飛び出したソフィアリアと再会し、謝罪し合い、あっさりと和解出来たはずだ。そうなれば王鳥の目に留まる事もなく、お姫さまを自称する男爵令嬢とスラムに住む男の子は普通に幼馴染として同じ時間を共に過ごし、そして惹かれ合って……そこから先は身分の違いがあるので、いずれ別離を迎えたのだろう。
あの子も亡くなる事はなく代行人として連れて行かれ、何が変わるでもなく従来通りの代行人として自我を無くし、王鳥はそんな代行人を操ってあの大屋敷で過ごしたのだと思う。
大鳥が護る平穏な島国の片隅で起こったよくある悲恋話と、変わり映えのない安寧を大屋敷から護る日々で終わるはずの三人は偶然出会い、その恋を成就させる為に、本来代行人になるはずだった男の子を犠牲にし、王鳥と代行人としての在り方を変え、王鳥妃という国の、人間の命運すら変えかねない新たな身分を作ってしまった。その衝撃は凄まじく、既にいろんな方面に多大な犠牲を払ってしまっている。
自らが望んだ結果ではないが、無意識である分罪深い。三人の幸せは、多くの犠牲のうえで成り立っていると言っても過言ではないのだろう。
本当に、なんて事ない恋だったのだ。大屋敷で過ごすうちに二人の旦那様を意識したソフィアリアと、名前をくれた女の子に憧れを抱いたラズ、そんなラズを気に入り、ラズを通してソフィアリアに愛情を向けた王鳥という、三人の淡い初恋だった。その初恋を成就させる為に、それだけの犠牲が必要不可欠だったのだ。
重く、苦しい恋だ。背負うには辛く、幸せの中に容赦なく影を落とす。けれど引き返す事なんて、もう出来ない。
「……苦しいけど、幸せになりましょう? たとえこの先何があっても、わたくしはずっと、王様とラズくんの側にいるわ。辛くなったらどうか、わたくしに凭れて休んでくださいな」
淡く微笑んでそう言えば、二人ははさっそく体重を掛けて寄り添ってくれた。左右から凭れかかってくれるから、ソフィアリアは決して倒れる事はない。
「……フィアが疲れたら、その、俺がちゃんと抱える。――――王は苦しまない。背中を支えてやるから、最後は倒れかかってこいだってさ。元凶なのに、最後になるまで許してくれないんだな」
「王様らしいわ。……確かに王様が全てのはじまりだけれど、わたくし達がこうしていられるのは王様のおかげだもの。ありがとうございます、王様。たくさん撫でて差し上げますから、頑張った後はどうか甘えさせてくださいませ」
「ピ!」
それでいいらしい。こんな関係に幸せを感じて、くすくすと笑う。
史上初の王鳥と代行人への嫁入りは、きっとこれからも大きな影響と被害を出してしまうのかもしれない。どんなに辛く苦しくても、もう立ち止まる訳にはいかない。三人で支え合って、これからも生きていくだけだ。
三人の心に刻むように、風に吹かれながら沈黙が場を支配する。風が止んだのは、しばらく経ってからだった。
「さて、そろそろ帰りましょうか? お土産にセイドベリーを買っていく?」
「勿論買っていく」
「ピ!」
「本当にお好きなのねぇ」
手を口元に当てて笑ってしまう。オーリムは口元をモニョモニョさせながら、王鳥を睨みつけていた。
「思い出の食べ物で好物だからな。俺が好物だと王もそうだし、王は遠慮しないからまた食べ尽くされる」
半笑いのオーリムは、まだ十日前の事を根に持っているようだ。久々のセイドベリーのパイを一口しか食べられなかった恨みは相当深いらしい。ちなみにその間セイドベリーを使ったお菓子は何度か出したが、案の定取り合いになっていた。たくさんあったセイドベリーも結局一回しか侍女達に出せず、ほとんど二人に食べられてしまったのだ。
これは早急に、大屋敷でも栽培を開始しないと思っているのだが、残念ながらセイドベリーは初の王鳥妃の実家で名前が入っているからという需要を見込んで、現在ペクーニア商会管理のもと、量産体制に入っているらしい。先日の荷物は苗が手に入るのはもう少し先になるという詫びのセイドベリーだった。
「今度はわたくし達の分も残しておいてくださいませ」
「……努力する」
「ビー」
ものすごく嫌そうな顔をされた。さすがにそれは酷いと苦笑してしまう。
「あー、家には帰らないのか?」
話を逸らす為か、ここから見える屋敷の方を見てそんな事を言い出すオーリムに、ムッと頰を膨らませた。オーリムから離れ、王鳥の白くてふわふわな羽毛に抱きつく。
「王様、ラズくんったら酷いんですよ? わたくしの帰る場所はもう大屋敷ですのに、実家に帰そうとなさいますの」
「ピーピ」
慰めるように器用に嘴の先で髪を梳いてくれた。その優しさがとても心地いい。
後ろではオーリムが、離れてしまった事とソフィアリアの言葉に青くなってオロオロしていた。いい気味である。
「ちっ、違っ⁉︎ 実家に帰られたら俺も困るし、帰られたら攫うしかなくなる。ただ、せっかく近くまで来たのに寄って行かないのかと、思ってだな……」
オーリムもソフィアリアと引っ付きたいのに、きっかけがないと抱き寄せる勇気もなくて、どうすればいいのかと手を閉じたり開いたりしている。さり気なく凄い事を言われた気がするが、本人は何を言ったのか自覚しているのだろうか?
少し意地悪し過ぎたかなと王鳥の胸の中でくすくす笑っていると、ちょんちょんと肩を突かれる。笑い過ぎて浮かんだ涙を拭いながら上を向くと――
「ピ」
唇に、固いものが触れた。すぐに離れてしまったが、目の前には大好きな王鳥の顔が間近にある。その瞳は熱っぽく、甘い。これは……
「あら? あらあらあらっ!」
両手で頰を挟み、赤くなりながら満面の笑みを浮かべてしまう。これはもしかしてもしかしなくても、大好きな王鳥から唇にキスを贈られたのではないだろうか。胸の多幸感で、気持ちがついふわふわしてしまう。
が、そんなソフィアリア達とは裏腹に、後ろでは絶望感が漂っていた。幸せに浸る事に夢中なソフィアリアはその事に気付かない。
「っ! 王っ‼︎ 何をっ、なんてことをっ⁉︎」
「プピ」
「ふざけるなっ……! 俺だってまだだったのにっ、勝手に先越しやがってっ……‼︎ こればっかりは、絶対許さないからなっ‼︎」
「ピー」
いつもの喧嘩が始まった。今日は特に激しいようだ。が、ふわふわ気分に浸っているソフィアリアはそんな二人を諌める余裕がなく、ニコニコしながら幸福に満たされていた。
そのまま時間が過ぎ、各々の熱も何とか冷めた頃。今日も惨敗し、惨敗した事に今日は特に酷く落ち込むオーリムは、膝を抱えて顔を埋めてしまっていた。王鳥はオーリムの様子を気にする事もなく、呑気に羽繕いをしている。
「元気を出してくださいな」
「無理」
「ラズくんがなかなか手を出してくれないんですもの。王様にもずっと言われていたでしょう?」
「うぐっ、そ、うだけどっ……」
やっぱりそうだったらしい。思わず笑ってしまう。
両想いになって十日。毎日夜デートの度にそれっぽい会話はしていたようだが、どうしても照れを克服出来ないオーリムは、キスはおろか王鳥に乗る時じゃないと抱き寄せる事も出来なかったのだ。ちなみにようやく手を繋げるようになったのも、ほんの三日前である。
「大舞踏会の時にはしてくれたのに」
「あの時は、その、場の雰囲気というか……」
すっかりイジイジしてしまった。これは、もっと時間がかかりそうだなと困ったように笑うしかない。
ふと名案を思いつき、パンっと手を合わせる。その音にようやく顔を上げ、すっかりしょげてしまっているオーリムに提案してみる事にした。……多分許してくれなさそうだが。
「わたくしからしても?」
「いい訳ないだろっ⁉︎」
やっぱりダメらしい。わかっていたが、しょんぼりして俯いてしまう。
「……フィ、フィア」
「なあに?」
少し顔を上げると、一瞬額に柔らかいものが触れた。額を両手で押さえながら目を見開いてオーリムの顔を見ると、ソフィアリアより赤い顔をしたオーリムが、必死に目を逸らさないよう耐えている。
「こっ、これで今は、許してほしい……」
「ラズくん……」
じわじわと頰が緩み、嬉しい気分のままその胸に飛び込んだ。少し離れた距離を縮めるよう、王鳥もついてくる。
「うっ」
抱きつかれたオーリムは更に赤くしながら、手を少し彷徨わせて、優しく……というよりそれが限界らしく、そっと肩に手を添える風にしていた。
「ふふふふふふ、あらっ、ダメねぇ。頰が締まらなくなってしまったわ。はぁ〜、幸せだわ」
「そ、そうか。うん、よかった」
「ええ! ゆっくり三人で、幸せになりましょうね」
見上げて笑顔を向けると、オーリムも真っ赤のまま、ふわりと微笑んでくれる。幸せそうなその笑顔は、最近見られるようになった大好きな表情だ。
「ピー」
楽しそうにそう鳴いて髪を梳いていた王鳥の真似をして、オーリムもゆっくり髪に指を滑らせる。触れる事も照れてままならないオーリムの、今出来る精一杯の勇気なのだろう。
けれどそれでもいい。急がなくても、三人の恋はまだまだ始まったばかりなのだから――
第一部〜黄金の水平線の彼方〜 完
第一部〜黄金の水平線の彼方〜これにて完結です。ここまでお読みいただき本当にありがとうございました!
詳しいあとがきは活動報告にてさせていただきますが、第一部の目標は世界観の説明と、タイトルの三人が相思相愛になる事でした。無事目標達成出来たかなと思います。
第二部は現在執筆中です。第一部程長くない予定なのですが、さてどうなる事やら……。
第二部では不穏な雰囲気を出しているソフィアリアの秘密の解明と振り回されて終わったオーリムを活躍させる事、二人の傍観者ポジション感を出している王鳥との距離を縮める事を中心に、第一部ではあまり触れなかった大鳥と鳥騎族の事をもっと掘り下げる予定です。バトルかけるかな〜。あともっとイチャイチャ書きたいです。せっかく両想いになれたし。
全て書き終えてから投稿したいと思いますので、その間第一部でカットしたほのぼの(予定)番外編をお楽しみください。週2投稿予定です。
ブックマーク等大変励みになりました。感謝感激雨あられです♪ありがたや〜と拝み倒しました。人と比べると微々たるものかもしれませんが、自分が想定したよりはたくさんいただけたので足がガクガクしております。
自作を誰かに読んでいただける、こんなに幸せな事はありません。
最後によろしければ評価等していただけますと、膝から崩れ落ちて咽び泣きます(小声)
では、また番外編や第二部でお会い出来る事を祈りつつ。ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました!




