エピローグ〜なんて事ない三人の恋〜 1
「へぇ? 念願叶ってお姫さまと両想いになった途端さっそく朝帰りとは、リムも意外とやるものだね?」
大舞踏会から十日後の大屋敷の執務室。疲労の色が濃いフィーギスは定位置のソファに行儀悪く寝転びながら、愛しい婚約者のマヤリスから送られてきた手紙を、目元を綻ばせながら読んでいた。
この場所は定位置だがいつもと寝心地が違う。前よりふかふかと柔らかく広くなり、とても寝やすいソファに変わっていた。オーリムに尋ねると「気分転換」と素っ気なく言われたが、耳が赤かったので気を遣ってくれたのだろう。或いは、一連の事件の詫びのつもりなのかもしれない。
「あいつが手ぇ出せると思うか?」
「無理だろう」
フィーギスの向かいに座り、背もたれに腕を掛けながら、王城から持ってきた菓子折りをつまんで尋ねたのはプロムスで、二人の側面にある一人掛けソファに座って優雅に紅茶を飲みながらばっさり切り捨てたのはラトゥスだった。今日は執務室の主が居ないので、言いたい放題のやりたい放題である。
フィーギスが大舞踏会の後処理に追われ、ようやく少し手が空いたので王鳥の望んだ通り菓子折り持参で尋ねてきたところ、今日は運悪く外出の予定があったらしい。少しだけ話して、王鳥とオーリム、ソフィアリアの三人は飛び立ってしまった。
まあ急ぎの用事があった訳ではなく、安全にダラダラ過ごす為に来ただけなので主人が不在でも何も問題はない。せいぜいデートを楽しんでくればいいと、すっかり表情が緩んでしまっていた同じ歳の弟分に、エールを送るだけだ。
「んで? フィーの姫さんからはなんて?」
「んー。今回の事で随分と気を揉ませてしまったからねぇ。嫌なお願い事もしてしまったし、心配だから予定より早くこちらに来れるように段取りをしてるのだとさ」
マヤリスからの手紙には、どれだけ心配したか、今後も心配だという心配事が紙にびっちりと書かれていた。この様子だと、会ったら泣かれるかもしれないと申し訳なさで眉を下げつつ、最後にこちらに早めに来られるようにするという文字に心臓が跳ねたのは言うまでもない。
ニヤけそうになる口元を必死に引き締めながらプロムスに返事を返せば、短く「顔」と指摘されたので無駄な努力だったようだ。なら、諦めてユルユルの表情を晒してしまおう。
「王女殿下が来るまでに掃除を急がなければならないな」
遠い目をしてしまったラトゥスに苦笑を返す。そしてフィーギスも溜息を吐いた。
「そうだね。早急にやってしまおう」
「……そんなにやべぇのか?」
「まあね」
今回の事でフィーギスは大きな後ろ盾を失ってしまった。リスス・アモール公爵家は王鳥の寵を得たものの、子爵令息を婿に迎えた事により著しく弱体化し、公爵も引き継ぎが終われば騎士団長を辞して領地に引っ込む予定だ。島都でかの家の者の姿を見る事は、おそらくもうないだろう。
今はこれ幸いと権力を得ようと画策する家や、フィーギスを追い落とそうとする者が後を経たない。まあ、この程度愛しのマヤリスと幸せな未来を歩む為に乗り越えてみせようではないか。未来を諦めなくてよくなったフィーギスの気分は無敵なのだ。
それに、珍しく殊勝な王鳥からいい心付けを貰った。どうやら過去にしてきた事をソフィアリアにこっぴどく怒られたらしく、頑なに謝罪の言葉は口にしなかったものの、代わりにいい物を貰えた。正直、言葉なんかよりもよほど嬉しい。
胸ポケットから足の指程の紺混じりの黒い羽を取り出して、くるくると眺める。これがそのいい物だ。フィーギスとラトゥスに、あとマヤリスの分も貰った。王鳥はマヤリスと面識があるのだ。
「王の羽は便利だね。これを持っているだけで毒を察知出来て、他の危機察知能力も上がるだなんてね」
どうやらそういう力があるらしい。なんとも便利なものだ。王鳥が持つ事を認めた人にしか効果はないらしく、貰った三人以外にとっては飾りにしかならない。
ふと、ソフィアリアが王鳥の羽で出来た扇子を持っていた事を思い出す。羽一枚でこの効力なら、あれはいかほどの効力があるのだろうと思うとなかなか恐ろしい。ソフィアリアにも然程甘くないと言っていたが、充分過保護の部類に入ると思う。
「それを渡すから生き延びて必ず国王になれという事なのだろう。もう捨て身は許されないな」
「元よりする予定はないよ。これ以上マーヤを泣かせはしないさ」
今回の事で充分懲りた。そもそも人間が大鳥を利用する計画を立てる事自体無謀だったのだ。真剣に計画を企てたつもりなのに全て見透かされて軽くいなされる。今となっては恥ずかしい限りだ。
――そう。全て見透かされて軽くいなされたのだ。たしかに少々穴はあったが、それなりの計画を立てたつもりだったのに。
思わず思い出してしまい、すっと目を細める。内政のゴタゴタもだが、もう一つ、早急に解決しておきたい問題が出てきた。
正直あんな事があった後だから、疑うような真似をしなければならないのが心苦しい。が、王太子という公人として、見過ごす事など出来はしない。
「ラス。何か彼女の情報は掴んだかい?」
徐にそう聞いても何の事だか察してくれたらしく、だがラトゥスは溜息を吐いていた。なんだか疲れたような気配を感じる。
「セイド領で探りを入れると、彼女の弟に即嗅ぎつけられて妨害される。あの察知能力の高さははっきり言って異常だ。ついでにペクーニア領は善良だが、内部の情報はさっぱり掴めない」
「へぇ? さすがセイド嬢の周りと言った所かな」
予想通りだった。
ソフィアリアの周辺は彼女も含め、どこか不自然だ。悪巧みをしている訳ではないと思うが、自国内でそんな事をされれば気になってしまう。だからずっと探りを入れているのだが、結果はご覧の有り様である。
「ロムは何か掴めたかい?」
「むしろ掴まった。何の素振りも見せなかった筈なんだがな。けど、そのまま一歩引いた所からずっと監視していてほしいんだとよ。ほんと、ソフィアリア様は何者なんだ?」
プロムスもバレてしまったらしい。こちらも予想はしていたが、溜息を吐く他ない。疑念は増すばかりだ。
オーリムはともかく、王鳥はプロムスをソフィアリアの事を探る密偵として使っている事はバレているだろう。思う存分探せと言った通り、止めるつもりはないようだ。そしてソフィアリア本人も感づいていて、けれどそのまま見張っていてほしいと言う始末。
本当に、ここまでしてやられるとは。
「『近いうちに一度対峙する事になるけど、全てが終わって許せると思ったのなら、友達になってほしい』」
「……ソフィアリア様の言葉だな」
「そうさ。大舞踏会のお詫びとして、三人に何か望みはないかと尋ねたのだよ。リムはコテンパンにしたいからと言って武術による練習試合を。王からは詫びと言えば菓子折りという事で、珍しいお菓子を頼まれた。そして、セイド嬢はこのお願いだ。まったく、本当に参ってしまうよ」
対峙するとは何なのか。彼女は何を隠して、何をする気でいるのだろうか。
それを考えると眉根が寄った。見下している訳ではないのだが、男爵令嬢でしかない彼女に振り回されている現状にもモヤモヤが募る。自分は優秀だと認められ自覚しているのにも関わらずこの体たらく。はっきり言って自分が情けないのだ。
それでも、これだけは絶対看過出来ない。
大舞踏会終わりのあの日、おそらくフィーギスにだけ聞こえるように、王鳥はとんでもない事を口にした。
「ラス、ロム。これは他言無用で頼むよ。――『王鳥妃は王鳥の寵愛があれば誰にでもなれるものではない。今代も、そして次代以降も絶対に譲れない条件のもと、選ぶ。この条件はそなたにのみ伝えておくから、王族にのみ継承させるのも、揉み消すのも、好きにするがよい――王鳥妃は、女王の素質がある者のみを選ぶ。これが人間より上位の存在である大鳥の上に立ち、王鳥と並ぶ為の必須の条件である』」
言われた言葉をそのまま口にすれば、プロムスもラトゥスも息を呑む。フィーギスも聞いた時、ヒヤリと悪寒が走ったものだ。
「……王妃ではなく?」
「王妃ではダメなんだろうね。王鳥妃になれるのは私のように、王鳥に認められた『次代の王』だ」
「マジかよ……」
口元に笑みを浮かべつつ、だが目は笑っていなかった。笑えなかった。
フィーギスはソフィアリアを、王妃教育相当の勉学を修めた女性だと思っていた。だが、それでもまだ侮っていたらしい。
思えばフィーギスと渡り合えているのだ。その可能性も充分にあったのに、それはないと先入観で否定し、見落としていた。
ソフィアリアが身に付けているのはおそらく帝王学相当。だが彼女はこの国では王位継承権が与えられない女性で、ただの男爵令嬢だ。
何故、どうやってそれを身に付けたのか。彼女は何者なのか。ますます謎が深まるばかりだった。
一季半前の執務室で王鳥の言っていた言葉を思い出す。当時はこんな意味だと思いもしなかった。
――『思う存分、正解を見つけるまで探せばいい。だが、忘れるな。余はあれを、妃に選んだのだ』




