伴侶と婚約者 6
しばらく本を読み続けていたのだが、どさりと音がして漸く静かになった。どうやら王鳥と代行人の争いは、やっと納得のいく決着がついたようだ。
ソフィアリアは本を置いて立ち上がると、下に降りて床に伏せている代行人の側に寄ってしゃがみ込み、そっとハンカチを差し出す。
「お怪我はございませんか? 代行人様」
「……平気だ」
「それはようございました。ふふっ、随分と楽しんでらっしゃいましたね」
「楽しくない」
代行人は子供のような態度でそう返事を返すと同時にのそりと起き上がり、ハンカチを受け取って汗を拭く。少し離れたところでは王鳥がどこ吹く風で、呑気に羽繕いをしていた。
「紅茶の用意がございますので、執務に戻る前に旦那様も少し休憩なさってください。ソフィアリア様もどうぞ」
「あら、ありがとうプロムス。気がきくわね」
「……いつの間に名前で……?」
眉根を寄せ納得いかないとばかりに渋面を作る代理人に笑みを向け、プロムスに続いた。後ろから代行人と王鳥も着いてくる。
先程のスペースはソフィアリア用のソファしかなかったので別の場所に設置されたソファに腰掛ける。向かいに代行人が座り、後ろでは王鳥がまたピトリとくっついて来た。ソファの背もたれが邪魔なのか、羽織ったままの代行人のコートが気に入らないのか、不満気に「ピィ……」と鳴いてコートをグイグイ引っ張っていたが、代行人に睨まれて渋々大人しくする事にしたようだ。
香り高い紅茶をいただきつつ、いくつか気になっている事を聞いてみる事にした。
「王鳥様がこうして引っ付いてくるのは、ただ甘えているだけではなかったりするのでしょうか?」
先程本を読んでいたので半分答えはわかりつつもきちんと確認しておく事にする。ソフィアリアの仮説が合っているか間違っているか気になるのだ。
「少し違う。王……というより大鳥は伴侶を得ると、しばらく身を寄せ合ってお互いの『気』をその身に馴染ませるんだ。王はそれが人間であるセイド嬢とも出来るのか確かめたいらしい。……まあ甘えもあるみたいだが」
「『気』とは何でしょうか?」
「……魂? 魔法力……ではないな。個人の持つ力の資質というのだろうか。すまない、人の言葉で言い表わすのは難しい」
「いえ、ありがとうございます。充分ですわ」
半分合っていた。ソフィアリアが見たのは伴侶を得た大鳥同士はまず始めにお互い身を寄せ合うというものだったのだが、ちゃんと意味があったらしい。なんとなく理解出来る、思っていたより深い答えを得る事が出来た。
「という事はわたくし、王鳥様とはもう結婚しているようなものなのですね」
ふと思った事を口に出せば、代理人はつーっと視線を他所へ逸らしてしまう。
「王は婚約期間というのを全く理解してくれなくてな。私とは、その、来春になるが、王には付き合ってやってほしい」
「いえ、異論はないのです。この大屋敷に来ると決まった時には既に嫁入り気分でしたので」
「そ、そうか……」
照れているのかソワソワしてしまった代行人につられてか、ソフィアリアも少し気持ちがざわめいた。だが不思議と嫌ではない気分だ。
「えっと、話を戻すが、気を馴染ませる事が出来れば私や騎族達のように直接王や大鳥達の声を聞く事が出来たり、ある程度身を守るのに役立つ恩恵を与えられると思ったようなのだが、かなり難航しているらしい。手ごたえはあるが大鳥同士の何倍も時間がかかるとの事だ。下手をすれば数年かかるかもしれない」
「まあ! 契約していないわたくしにそのような幸福を授けてくれようとしてくれていたのですね。ありがとうございます。お時間はいくらかかっても構いませんわ。生涯お付き合いいたします」
思っていた以上に凄い事だった。身を守る恩恵はともかく、王鳥と直接対話出来るようになるかもしれないというのはとても嬉しい。楽しみが増えたなと思って笑みが浮かんだ。
「時間はかかるかもしれないがなんとかする。……それで、一番気を馴染ませるのに適したポイントが肩で、だからあのような暴挙に出たようだ。本当にすまない」
両膝に手をついてガバリと頭を下げるのでギョッとしてしまった。慌てて手を振り、フォローをいれる。
「頭をお上げください! 少し驚いただけですから大丈夫ですわ。でも、そうですね……。今後は肩を露出したドレスを着た方がよろしいでしょうか?」
クローゼットに数着用意されていたドレスにはそのようなデザインのイブニングドレスはなかったので、新たに仕立ててもらわないといけないのが少々気が引ける。あるものを着ないのも勿体ないと思ってしまうので、なんとか手直しをして再利用出来ればいいのだが。
だがここで王鳥は「ピ!」と嬉しそうな声で鳴いたのに対し、代行人は嫌そうに渋い顔をしてしまった。腕を組み、少し考えている。
「露出が多いのはちょっと……。それに、今の季節はいいが、冷えてくると辛いのではないか?」
「王鳥様と触れ合う時以外はショールやコートを羽織れば寒さは大丈夫ですわ。それでも気になるようでしたら、少々お手数をおかけする事になりますが一緒にドレスのデザインを選んでいただけないでしょうか?その方が王鳥様と代行人様、双方納得のいく形に収まると思うのです」
ソフィアリアの思い付く二人の妥協点はこのくらいだ。多忙そうな二人の時間をこんな事に使わせるのは申し訳ないのだが、ドレスを選んで貰うなんて婚約者らしいと少し気分が弾んでしまうのは確かだった。少し期待を込めてそう提案すれば、代行人は諦めたように溜め息を吐き、こくりと首を縦に振ってくれた。
「わかった。近いうちに手配しよう。……それまで我慢しろよ、王」
「ピッ⁈」
「我儘を言うな。いきなり服を破った王に拒否権はないからな」
「ビィ〜……」
スパッと抗議を切り捨てられた王鳥がしょんぼりしてしまったので、宥めるようにそっと撫でておく。手で触れたのは初めてだが、ふわふわというより滑らかで触り心地が大変素晴らしい。抵抗はないので、今度から定期的に触れても大丈夫だろうかと少し期待しておいた。