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【第三部番外編連載中】王鳥と代行人の初代お妃さま  作者: 梅B助
第一部 黄金の水平線の彼方
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兵士にも王子にもなれない『おれ』は 1

『あっ! さっきの人がお菓子はラズベリーっていう果物を使ったお菓子だって話していたわ! 果物と同じ色のドレスを着ているあなたは『ラズ』くんよ!』


 優しげな目をキラキラさせて『おれ』の事をそう名付けてくれた綺麗なお姫さまは、名前すら持っていなかったおれの全てだった。




            *




 物心ついた時からずっとこの薄汚れたスラムに住んで、境遇にイライラしつつなんとなく生きていた。


 勝手にくるくるうねり出す、たまに森で採れる栗というものと同じ色の髪は、洗わず適当な場所で寝転がるから常にギトギトとして埃が絡まり汚れていた。妙にギラギラしている、オレンジという果物と同じ色の瞳は色に反して生気がない。赤ら顔の肌はそばかすが散って(すす)だか埃だかで黒く、ずっと外にいるから日焼けしている。全体的に栄養不足で小さく、骨が浮いているが、このスラムではそれが普通だった。むしろおれは、長い棒に尖った石を括り付けて川で魚を捕るのが得意だったから、比較的マシな方だった。……といっても当時は食材を焼くという事を知らず、また火の起こし方なんて知らなかったから、美味しくもないのに生で食べて、よく腹を壊していたが。


 自分がどこに住んでいるのかも知らず、スラム近くの森や川で食料を探し、たまに店や畑で盗みも働いて暮らしていた。盗みは見つかると酷く折檻されるし、同じスラムに住む奴らは殺される事もままあるからあまりやらなかったが、一番美味しいものを食べられる手段だった。そうやって狭く汚い世界で生きていた。でも、そうやって生きる毎日に嫌気が差していたんだと思う。


 その日も川で捕った生臭い魚で腹を満たし、けれど何が悪かったのかグルグル鳴る腹を押さえながらスラムで寝床を探していたら、ふとこんな声が聞こえて、思わず聞き入る。


「あのでっけー家に住むジジイのせいで、俺たちはこんななんだってよ」


「美味い飯も自分達だけで食べるからって、ぜーんぶ持っていくらしいな」


「昼間来てたガキとジジイが話してたな。居なくなったらそのうち美味しい飯も綺麗な家も手に入るってよ」


「そのうちっていつだよ。今くれよ」


「だよなぁ」


 そう言ってゲラゲラ笑う少年三人の言葉を聞き、腹が痛くてイライラしていたおれは、思わずその大きな家というのを忌々しげに睨みつける。

 ここからでも見える、少し高い場所にある大きな家。あの家に居るジジイとやらのせいで、おれは、おれ達は、こんなふうに生きる事しか出来なかったらしい。その事に無性に腹が立った。


 村に行けば親に手を引かれて歩く同じくらいの子供も、美味しそうな物を当たり前のように食べる人も見かける。そうした人達はおれ達とは違い、綺麗で幸せそうだった。それが羨ましく、妬ましい。


「なんでも明日、そのジジイの馬車を襲って、村人みんなでやっつけるらしいな」


「へー。悪人をやっつけたら、俺達も美味い飯が食えるようになるかな?」


「オレは綺麗な家にあるっていう風呂というのに入ってみてぇ。村の奴らみたいに綺麗になれっかな」

「おまえクセェもんな」


「おまえもな」


 どうやら明日、その悪人という奴はやっつけられるらしい。そしたらおれもあの村の人のように、美味しいものを食べて、誰かに手を引かれて、綺麗になって幸せになれるのかなとぼんやり思ったところで急激に腹が痛くなり、その場をあとにした。


 ――結論から言うと、大して変わらなかった。


 あの話を聞いた次の日、馬車を襲撃し悪人はやっつけられ、あの家にはもう誰も居ないと計画を立てた村の子供と老人らしき人が確認したらしいが、詳しくは知らない。そちらに注目が行ったおかげで久々に盗みが成功し、上機嫌だった。


 おれの生活自体は変わらなかったが、盗みに入れる店があれから増えた。と言っても見つかったら折檻されるし、場合によっては死ぬ人がいるのは変わらなかったが。おれは相変わらず、森や川で食料を採り、汚いままスラムで生活していた。


 しばらく経った頃、連日魚で腹を壊していたおれはいい加減我慢出来なくなって、久々に盗みを働く事にした。しかしと、今着ている服を見る。

 最近新調した、死体から剥ぎ取った服は少しぶかぶかで派手な赤色だ。見つかる可能性が高いし、気に入らないからまた死体を見つけたら交換しようと思う。

 けれどまともなものを食べたかったおれは、盗みを決行する事にした。村に向かって、物陰から盗みに入れそうな店を選ぶ。


 狙いを定めたのは、いい匂いのするねじれた茶色いものを並べていた店だ。店番をしているのはおばさんが一人。しかも話していて、注意が逸れている今がチャンスだと思った。

 屋台の死角に隠れてコソコソとそれに手を伸ばす。あと少しというところで――


「こんにちは、お人形さん! 何をしてるの?」


 突然そう声を掛けられ、驚いて手を引っ込める。ばっと振り向いた先に居たのは、右肩で長い髪を薄い黄色と茶色の布で縛った、村に住んでいそうな綺麗な女の子だった。


「う……あ……」


 綺麗な女の子に話しかけられた事なんてなくて、ニコニコとまっすぐ見つめられて、そんな事をされたのは生まれてから一度もなかったから、赤ら顔を更に赤くして恥ずかしく思った。しかも、盗みを働こうとしている場面を目撃されたので尚更だ。思わず変な声を出す事しか出来ない。


「お話しした! お菓子がほしいの?」


 首を傾げて見つめられ、お菓子とは何か知らなかったが、驚いた赤い顔のままコクコク頷く。

 女の子はにっこり笑うとおれの汚い手を躊躇いもなく取り、その事に驚いたおれはその手に集中してしまい、女の子が何をしているのか気にならなかった。


 しばらくぼーっと握られた手を見ていたら、そのまま歩き出したので、店から遠ざかっても気にせずそのままついていく。

 ふと顔を上げると、女の子はキョロキョロとあたりを見回しながら歩いていた。


「……何、探してるの?」


 それが気になったのでおずおずと声をかけた。あまり人と話した事がなく、しかも相手は綺麗な女の子だったので、それだけでもとても勇気がいった。女の子はキョロキョロしたまま答えてくれる。


「お座り出来るところよ!」


「それなら、こっち」


 よくわからないが座りたいらしい。この近くにはおれが魚を捕る場所があったので、そこに案内しようと逆に女の子の手を引いて歩き出す。


「お人形さん、すごいのね!」


 知らない単語でそう言われても困ってしまい、首を傾げる。


「そのお人形さんって何? おれは人間だけど」


「人間なの?」


 そう言われて少しムッとしてしまったが、綺麗な女の子から見たら薄汚いおれは人形とやらに見えたのだろう。それが何かは知らなかったが、おれだって女の子と同じ人間だ。


 話しながら歩いていると、やがて村外れの川のほとりに着いて、いつも休憩している木の下に腰掛ける。地面に座った事がないのか綺麗な女の子は一瞬不思議そうな目をしていたが、当たり前のように隣にピッタリとくっ付いて座ってきたのでビクリと肩を揺らし、女の子を凝視してしまった。

 誰かに触れられた事がなく、しかも汚いおれなんかに触れて汚れないかと心配したが、この女の子は全く気にした様子はない。その事に気持ちがふわふわしたが、それが何かはわからなかった。


「はい、どうぞ!」


 そう言ってさっき盗もうとしていた、ねじれた茶色いものを一つ差し出されたので、困惑しながらも受け取った。手の方に集中していたが、間違っていなければこの女の子はあの店のおばさんと話し、買っていた気がする。お店のものを盗まず食べるのは生まれて初めてだ。食べても折檻される心配がないとは、なんて幸せなのだろう。

 とりあえず一口齧ってみれば、甘くてサクサクしていてとても美味しい。目をキラリと光らせて、つい黙々と食べ進めてしまった。


 女の子も「いただきます」とよくわからない事を言って食べ始めていた。ニコニコしていたので、彼女も美味しいと思ったのだろう。同じ気持ちなのがなんだか擽ったい。


「『いこくのこうきゅうひん』ではないけど、これもとっても美味しいわね!」


 そう言われてもそれが何かはわからなかったので首を傾げて、でも美味しいという言葉には同意だったのでコクコクと頷く。この女の子は先程から知らない単語を多く話すから、とても物知りなのかもしれない。何も知らないおれは恥ずかしく、少し悔しかった。けれど物知りになる方法なんて知らないから、どうしようもない。


「ごちそうさま!」


 食べ終わってそう言っていたので、おれも首を傾げつつ、小さな声で


「……ごちそうさま」


 と真似をする。何かを食べ終わったらそう言うのだろうか。今度からそうしよう。


 女の子はこちらを向き、ニコニコして見てきた。見つめられている事が恥ずかしくて赤くなってしまい、でも女の子の顔から視線を外す事が出来ない。このまま一生見ていられるのではないかと思った。

 と、急に手をパンっと合わせたので、音に驚いてビクリと跳ねてしまう。この子は突拍子もない事をよくするようだ。


「そうだわ! ソフィ、あなたのお名前をまだ聞いていないわ。あなた、お名前は?」


 キラキラと楽しそうな目で名前と言われても困る。誰にも呼ばれないおれはそんなもの持っていないし、当たり前のように持っていると思われているのが面白くなくて、ついプイッと顔を背けてしまった。


「ない」


「お名前ないの? なら、ソフィがつけなくちゃ!」


 唇に人差し指を当てながら、ジロジロとおれを観察してきた。そんな女の子に困惑していて、でも名前をつけてくれるというその言葉に期待して、女の子の綺麗な瞳をドキドキしながら見つめしまう。


「あっ! さっきの人がお菓子はラズベリーっていう果物を使ったお菓子だって話していたわ! 果物と同じ色のドレスを着ているあなたは『ラズ』くんよ!」


 パッと明るく笑ってそう言う女の子に、強く衝撃が走る。ラズ……それがおれの名前になったと、歓喜に心が震えた。


「ドレス? ……ラズ」


 名前を飲み込むように言葉に乗せて、その特別な自分の名前を心に刻むようにコクンと頷いた。女の子はそんな様子を嬉しそうに見て、目を細めて笑うと、おれ――ラズの右手を取って、ぶんぶんと握る。


「ラズくんも今日からソフィのお友達ね! ソフィはね、ソフィアリアっていうの! お年は八歳。よろしくね!」


 ――そう名乗った『ソフィアリア』という女の子のキラキラ眩しい笑顔を、ラズは一生忘れない。

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