水平線の彼方にあったもの 2
王城を後にして二時間、ソフィアリア達はいつものように空のデートに興じながら、楽しく雑談をして過ごしていた。
「フィア、眠くない?」
「全然平気よ! みんなが寝静まった夜中のデートで、いつも以上にワクワクしているみたい! リム様は?」
「俺も。けど、少し腹が減ったな」
言われてみればそうだ。気分が高揚していて気付かなかったが、ソフィアリアも少しお腹がすいている。
「そう言えば夕方から何も食べていないわね。……あのね、実は今日の分のお菓子、用意してあるの」
そう打ち明けると、オーリムは不思議そうに首を傾げた。
「……そんな暇あったか?」
「どうしても作りたかったから、早起きして作っておいたのよ。今日食べられるとは思わなかったけど、よければどうかしら?」
「ありがたくいただく。王、一度帰ろう」
「ピピー」
その言葉を合図に王鳥は旋回して、大屋敷の方へと戻っていく。
大屋敷に着くといつものベンチの側で降ろされたので、ソフィアリアは二人に断ってから、自室へと戻る。と――
「あら?」
部屋には見覚えのないバスケットが置かれていた。中身はまだほんのり温かいバケットサンドと紅茶で、帰ってきたアミーか誰かが、気を利かせて用意してくれたのだろう。その優しさに笑みが溢れる。
それと今朝作った物を持ち、ふと思い立って髪をほどき、いつも通りの右肩で緩く纏めて前に流し、リボンをつける髪型に戻す。ティアラを付け直し、お花は布で仕切って籠に入れた。
慌ててベンチに戻ると、オーリムと王鳥はぼんやりと空を眺めていた。彼はよく、そうして空を眺めている。
「お待たせ。部屋にバケットサンドが用意されていたわ」
「すまない、荷物持ちについて行けばよかったな。……髪型、戻したのか?」
「だってリム様は、この髪型の方がお好きでしょう?」
悪戯っぽくそう言えば、目を見開いて真っ赤になってしまった。当てずっぽうだったが当たりのようだ。大舞踏会ハイもすっかり収まったようで、いつものオーリムに戻っていた。
「ビ〜」
そして王鳥は花を外したのが気に入らないらしく、籠から花を取り出してソフィアリアの髪にくっ付けている。どう固定しているかは不明だが、好きなようにさせてあげよう。
「お菓子は食後にして、まだ温かいうちにバケットサンドからいただきましょうか。王様もいかがですか?」
「ビッ」
「あら、残念ねぇ」
いらないようだ。王鳥というか大鳥にとって食事はスキンシップ手段で趣向品らしく、食べなくても問題ないと学んだ。王鳥もソフィアリアが作ったものや給餌したものは喜んで食べるが、他は滅多に口にしない。
「フィアって王も大鳥も声が聞けないのに、普通に会話するよな」
さっそくキチンサンドを頬張りながら苦笑気味にそう言われるが、ソフィアリアは野菜サンドを膝に置き、紅茶を淹れながらきょとんとする。
「表情と鳴き声で大体はわかるわ。でも、細かい事はわからないから屋外庭園に大鳥様達が来た時は焦ってしまって……。もしかしたら王様がいらっしゃるのかもとは思いましたが、大鳥様が来てビックリしましたわ」
そう言っていつものように背に引っ付いている王鳥に深くもたれ掛かる。
「王がフィアと遊べって呼んだんだと。あんなところで遊べも何もないよな。……そういえば王。王城でフィアの事を見失ったって言ってたが、フィーと二人になる為の嘘だろ」
「ピー」
小馬鹿にしたような鳴き声なので図星らしい。お花をオーリムの髪にも飾ったり、オーリムがそれを嫌そうに外したりと、地味な攻防を繰り広げている。仲良さそうで何よりだ。
「まあ! 本当に遊びに来てくださったのですのね。今度お礼を言わなければ」
「言われて押しかけてきただけだから、気にしなくていい。……フィア、本当に何もされてないか?」
オーリムは二個目のバケットサンドを食べながら、心配そうに覗き込んでくる。今更だが、隣で引っ付いて座るのが自然となっているのに、触れ合う場所が前は肩同士だったが、今は肩と二の腕になっていると気が付いた。この一季半で三センチは高くなっているようだ。
「リム様の婚約者だって誰も認めてくれないのが精神的に堪えたくらいで、何もされてないわ。心配してくれて嬉しいけれど、王様と違ってリム様は過保護ねぇ」
嬉しくて、そしておかしくて、ついくすくす笑ってしまう。オーリムは過保護と言われて照れたのか、ムスッと拗ねてそっぽを向いてしまった。耳が赤いのが大変可愛い。触ったら逃げられるだろうか。
「……王は、大事だと言いながら、最後まで絶対助けてくれないからな。突然戦場に放り込んで、休戦に導けたら優しくしてやるとか言い出す奴だ」
「でも頑張れば何とか出来るってわかるから、信頼して送り込んでくださるのよ。ふふっ、リム様はそもそも戦場に行かせない人ね?」
「当たり前だろ」
そうだろうか? ……そうかもしれない。大切な人が危険な目に遭うのは見たくはないし、心配もする。
けれどそれがその人の成長に必要なら、やっぱり送り出すかもしれない。どちらも違う形だが愛情には違いないし、どちらが正しいというのもない。結局はその人次第だろう。
「王は苛烈過ぎるんだ。昔はもっと酷かったし、今でも真意が見えない時がある。考えなしな俺が悪いのかもしれないけどさ」
拗ねたようにそう言うオーリムを、王鳥は「プピッ」と馬鹿にしたように鳴く。ギロリと睨まれても気にした様子はない。そんな二人の様子を、微笑ましく見守っていた。
けれど少し考えて、そういう事かと今更納得がいく。
「リム様とフィーギス殿下が王様を少し怖がっているのは、その昔の印象が拭えないからかしら?」
来たばかりの頃、二人は内心怖がっていると王鳥が言っていた。この一季半見てきたが、オーリムはたまに、フィーギス殿下はわりと、王鳥の言葉を間に受けて顔を引き攣らせているようだった。
それに王鳥も昨夜、前は今よりも人の心を理解するのが下手だったと言っていたし、よほどのトラウマでも植え付けたのだろうかと、思わず王鳥を見上げてしまう。
オーリムは渋面を作って、コクリと頷いた。
「代行人になったばかりの頃、大鳥という神の存在に慣れてなくて、王も今より傲慢チキで実行できる力もあったから、当時まだ九歳の俺達は本気の脅しだと受け取って怖がる事しか出来なかった。そのうちフィーは虚勢を張る事を覚えて、俺もそれを真似して、王も反省したのか当時ほど過激な脅しは使わなくなったけどさ」
「その事について話し合いは……していないのね」
話し合いという単語だけで微妙な顔をされたから、すぐにわかってしまった。思わず溜息が溢れる。
ようするにこの困った三人は、その虚勢をずっと捨てられなかったのだ。男の子らしいというかなんというか、第三者が聞いて呆れるのは許してほしい。
そこにフィーギス殿下と違って身軽で面倒見のいいプロムスか、冷静なラトゥスでもいればまた違ったのだろうが、この二人は王鳥の声を直接聞く事が出来ない。発破をかける為とはいえ、つい高圧的に出てしまう王鳥と単純で後ろ向きなオーリム、国を背負うフィーギス殿下という、対話するには少し相性の悪い三人で向き合わず、やり過ごす方法ばかり覚えてしまえば、表向きは良好でも、肝心な所では拗れる訳だ。
繋がりの中で少しでも愛情を感じていそうなオーリムはともかく、フィーギス殿下は王鳥から愛情を向けられている事も、高圧的な態度が口先だけというのもあまり信じていないようだった。過激な発言をしがちな王鳥と、万が一を考えて動かなければいけないフィーギス殿下を取り持つのに、簡単に言いくるめられるオーリムでは少々心許ない。今回の作戦を独断決行なんて真似をした理由に納得がいく。
そもそもきちんと話し合いをしていれば、わざわざプリモアの恋情を利用したり、フィーギス殿下が命も国もかける決断を下す必要もなかったのだ。最後みたいに適当にそれっぽい会話をすれば済む話だった。
本当に、何をしているのだと問いたい。
「……今度集まった時に場を設けますから、三人は今日の事を反省して、お互いきっちり思いの丈をぶつけ合ってくださいませ」
「別にそんな事をしなくても、今日の事でなんとなくわかったし」
真面目な話し合いには照れがあるのか、不貞腐れたようにそう言うオーリムを、眉を吊り上げて睨みつける。……ソフィアリアではそんなに迫力がでないのだが。
「わかっていても、言うのと言わないのでは大違いですわ。王様もですからね」
「ビッ⁉︎」
「は?ではありませんっ! 一番ややこしくしているのは王様なのですから、反省して、愛の告白はきちんとなさいませ」
「ビービー! ピィ〜」
「後悔はしなくても結構ですが、反省もしなくてもいいなんて言っておりませんわ。つい王様を擁護してしまいましたが、話を聞けばほぼ自業自得ではありませんか! リム様とフィーギス殿下の為にも、王様が一番反省してください」
「ピー……」
「いや、王からの告白とかいらないから……というか、よくわかったな」
少しオーリムには引かれてしまったが、当たり前である。だって恋をした旦那様の一人なのだ。言葉の壁くらい乗り越えてみせる……まあ、実際は昨夜の会話からの憶測でしかないのだが。
なんとか二人を説得し終えた頃にちょうど食べ終わり、いよいよソフィアリアが作ってきたお菓子だ。ソフィアリア自身は夜に甘いものは食べないようにしているので、王鳥は中身だけを、オーリムには包みごと渡す。二人とも、ソフィアリアが作った物には少し目を輝かせてくれるのがとても嬉しい。
「パイか?」
「ええ、スティックパイよ。中身は甘い物で、ここでは初めて作ったものだけど、気に入ってもらえると思うわ。どうぞ召し上がってくださいな」
サクサクのパイ生地を捻って棒状にしたスティックパイは、ソフィアリアが一番得意なお菓子だ。……そう、一番、作り馴染みのあるものだ。
思わず膝の上で握った拳に力が入り、じっとオーリムを見つめてしまう。オーリムは視線がスティックパイに惹き寄せられているので、そんなソフィアリアに気付きもしない。
「美味そうだ。いただきます」
口元に笑みを浮かべつつ、オーリムはさっそく食べ始める。サクッといい音をたてながら一口齧り、それがとても美味しかったのか、目をキラリと光らせる。でも――
「…………」
オーリムはスティックパイを凝視して固まってしまった。その表情を見て、ああやっぱり……とくしゃりと泣きそうに表情を歪ませる。
けれど首を振って、笑みを浮かべた。前を向き、少し視線を下へと落としながら。
「懐かしいでしょう? あの時一緒に食べたものよりもずっといい材料を使えているから全く同じ味ではないけれど、でも中身のコンポートは変わらない、あの時と同じラズベリー……セイド領でしか作れない、特別なセイドベリーよ」
そう言って、そっと肩に頭をもたれ掛ける。しばらくそのまま時をやり過ごし、前を向いて固まってしまったオーリムが恐る恐るこちらを向いたので、ソフィアリアも顔を上げ、視線を絡ませる。
「なん……で…………」
その瞳に宿るのは、驚きと大きな恐怖心。そんなオーリムに泣きそうな笑みを浮かべながら、視線を逸らす事は許さないと言わんばかりに、そっと彼の頬を両手で包み込む。
「来たばかりの頃、王様に聞いた事があるの。『どうしてわたくしを王鳥妃に選んでくださったのですか?』って。そしたら王様、『黄金の水平線の彼方に、その答えがある』ってヒントをくれたわ」
思い出すのは王鳥と初めて会話したあの日の食堂。彼は期待を大いに込めて、そう教えてくれた。
オーリムの涙袋をゆっくり親指でなぞり、ソフィアリアは視線を逸らす事なく言葉を続ける。
「黄金の水平線が何かはすぐにわかった。リム様と王様の持つ真ん中が一番濃い、不思議な虹彩の黄金の瞳。わたくしはこれ以外、黄金の水平線を知らない」
ふわりと笑みを一段深める。その瞳は潤んでいるが、泣く必要なんてない。だって――
「その『彼方』がずっとわからなかったけど、昨日、あの言葉を聞いてまさかと思ったわ。そして今日、ダンスの時にじっくり見つめ合って、見つけた。水平線の彼方。境界線は一番濃い色。黄金が重なったその色は……輝くようなオレンジ色。わたくしは、その色をとてもよく知っている。忘れた事なんて、一度もないわ」
――ようやく見つけたのだ。謝る為に一人で飛び出して、そこから八年もかかってしまったけれど、今日、やっと見つけられた。
「ずっと王様に望まれたからここに来たんだって思っていたの。けれど、違ったのね。本当はわたくしの事を、あなたが求めてくれていたの?『ラズくん』」
見つかった『ラズくん』は、あの時よくしていた、驚いたように目をまん丸くする表情を、ソフィアリアにまた見せた。




