大舞踏会での断罪 6
無言のまま衝撃が走る会場内で、更にピリッと冷えた威圧感がのしかかってくる。酷く重苦しい雰囲気に、皆は息を詰める事しか出来なくなった。
「……さて妃よ。そなた、今日は茶会に招かれたそうだな?」
この雰囲気でその話を持ち出されたソフィアリアは微笑を湛えたまま、ピシリと凍りつく。会場のどこかからは「ひっ」と引き攣るような声が聞こえた。おそらく、ソフィアリアと話したご令嬢だろう。
なんとなく、ソフィアリアも王鳥に試されているような気がする。ここで返答を誤れば、ご令嬢方をフィーギス殿下の代わりに見せしめにする、そんな無言の圧力を感じた。
実際このままでは王鳥妃への不可侵など、大鳥が現れた現場を目の当たりにしたご令嬢方にしか通用しない。フィーギス殿下も庇ってしまったし、何故大鳥が突然現れたのかも貴族達は理解していないだろう。
なので、ソフィアリアに危害が加えられそうになったという事実を語りつつ、ご令嬢達はなんとか庇いたい。王鳥はここで粛正してもいいと考えているのかもしれないが、ソフィアリアの返答次第で回避可能なら、それに越した事はないのだ。
当然ではあるが、王鳥に嘘は通じない。なら、正直に話すしかないだろう――ご令嬢達の恐怖心は計り知れないけれど。
彼女達には悪いが、王鳥妃の不可侵を皆に知らしめる為には重要な事だ。間違えないようには気をつけるので、少しの間だけ我慢していてほしい。
そう脳内で謝ったソフィアリアは、無邪気にもパチンと手を合わせて、場の空気も読まずににっこり笑う。
「ええ、そうなんです。わたくし、田舎の領地から出た事がなかったので、お茶会って初めて参加したんですのよ?」
「ほぅ、そうか。で、誰と話したのだ?」
笑みを浮かべつつ、だが目は笑っていない器用な表情で会場内をぐるりと見渡す。妃に侮蔑した態度をとっていた事は知っていると言わんばかりの圧をかけているようだ。
お茶会に参加したご令嬢は、きっと今頃断頭台に向かう死刑囚のような気分を味わっている事だろう。それは少しばかり申し訳ないと思う。
ソフィアリアは頬に手を当て、首を傾げた。
「たくさん居たから覚えておりませんわ」
「ならば女共を集めて並べるか?」
「どうしてでしょう? 王鳥様も皆様とお話したいのですか? ……確かに皆様お綺麗な方ばかりでしたが、酷いですわ、浮気だなんて」
ムッと膨れてみせると、王鳥はニッと笑って頬を空気を抜くように軽く抓る。瞳に甘さを乗せて、言った。
「余は妃と代行人以外の人間なぞ大して興味がない。次代の王や先程の公爵のように寵は授けるが、それだけだ。浮気はありえぬし、妃が余と代行人以外に目を向ける事は許さぬ。次代の王と踊った事すらも遺憾であったぞ」
「まあ! 王鳥様がフィーギス殿下の立場も考えて踊ってやれと言ったのではありませんか。お忘れだなんて、酷いですわ」
「遺憾とは言うたが、踊るなとは言うておらぬよ」
王鳥はくつくつと笑う。その瞳は満足そうだったので、良しとしよう。これでソフィアリアの男好きとフィーギス殿下の愛人疑惑も、ある程度払拭出来ただろう。フィーギス殿下の横恋慕疑惑はあるかもしれないが、そちらは自分で頑張ってと言う他ない。
「余はな、妃が誰とどんな話をしたのか興味があるのだ。そなたが覚えておらぬのなら、我が民達に聞くか? 先程あやつらが邪魔した事は知っておる。ちょうど上に集まっておるし、その方が早い」
ニンマリ笑ってそんな事を言う。さて、どうやって許してもらうかと頭を捻らせた時――
「……わたくしの首一つでお許しを、王鳥様」
突然会話に入ってきた第三者に、王鳥は冷たく射殺さんばかりの視線を投げかける。彼女は跪いたまま、その鋭い視線に必死に耐えていた。
「やめなさい、プリモア」
「いいえ、お父様。わたくしは責任を取らなければなりません。……王鳥様。わたくしはプリモア・リスス・アモール。王鳥様の選んだ代行人様の婚約者を騙り、大切なお妃様を周りを巻き込んで愚弄し、手を上げたのはわたくしでございます。罰ならどうか、わたくしにお与えください」
公爵が焦って止めるのも聞かず、顔を真っ青にしながらも毅然とした態度でプリモアは自らの首を差し出す。
彼女は全ての責任を一人で被るつもりらしい。王鳥にすら立ち向かうその姿勢は、高位貴族のご令嬢として、王妃教育を受けた淑女として称賛に値するだろう。
「余と妃の語らいを邪魔するか?」
そう低く冷たい声で圧を飛ばす王鳥は、本気でプリモア一人を見せしめにしかねないように見えた。プリモアはそんな王鳥に、歯を食い縛り立ち向かい続けている。
だから――
「まあ! 皆様と何をお話したのか聞きたかったのですね? そうならそうと言ってくださいませ。けど……ふふっ、照れますわ。わたくしったら、つい王鳥様と代行人様のお妃さまに選ばれて幸せだと、楽しく暮らしているとたくさん惚気てしまったのです。それからフィーギス殿下達が王鳥様とのお仕事ついでに不足がないか気にかけてくださる事も、王鳥様と代行人様と三人で夜のお空のデートをしている事も話してしまいましたのよ? 恋バナというのに憧れておりましたので、楽しかったですわ」
少々苦しいが、ソフィアリアは大屋敷での生活と恋のお話をしたという認識しかしていないという事にした。嫌味なんて気付かない、嫌味なんて言っていない無邪気な王鳥妃。実際どうとでも解釈出来る言い回しはしてきたので、不可能ではない筈だ。
ついでにフィーギス殿下達は大屋敷に仕事をしに来ていただけでソフィアリアはおまけ扱いという事にしておいたが、上手く醜聞の払拭に使ってくれるといいなと願った。
「……ほう? 人間の恋の話というのは、揉み合いになる程激しいのか? あの娘も、妃に手を上げたと言ったが?」
バレていたらしい。いや、プリモアが自己申告してしまったので当然なのだが。
一瞬悩んで、頬を両手で包み込み、照れてみせた。
「お恥ずかしいですわ。お茶会の後、庭園で皆様とお散歩していたのです。夜なのに蝋燭でぼんやりと明るくて、その光に集まってきた羽虫が目の前を通った事に驚いてしまって……。ビックリして腰が抜けて、ついよろけて羽虫を払おうとしたプリモア様の両手首をガッシリと掴んでしまいましたわ。わたくし、淑女には程遠いですわね?」
首を傾げて困ったように溜息を吐く。さすがに苦しいが、これで我慢してもらおう。
王鳥は微妙な顔をしていたが、仕方ないと溜息を吐き、ニッと笑って苦しい言い訳を上手く拾い上げてくれた。
「ああ、だからあやつらは心配して飛んできたのだな? 羽虫一つに驚くだけで皆が駆けつける程、妃はあやつらの心を上手く掴んだようで何よりだ」
「ええ。大鳥様達は王鳥様と同じく、わたくしを大事にしてくださいますもの」
今も上空を飛び回る大鳥は、羽虫に驚いただけのソフィアリアを心配したから集まったと知り、貴族達はギョッとしたり慄いたり、微妙な顔をしたりと反応はさまざまだった。中にはプリモアが手を上げようとしたと察した人も居るかもしれないが、ソフィアリアは些細な事で大鳥を大勢引き連れてくる、厄介な存在と思ってもらえればそれでいい。
――本当はここで、大鳥達にしたように女王然とした態度をとる事も考えたのだ。上に立つ者の圧倒的な強者感を出せば、それでも抑止力にはなったと思う。
けれどソフィアリアは、無邪気な男爵令嬢を装った。無知で何をしでかすかわからない怖さというのもあるが、やはり次代以降の王鳥妃の事を考えると、頼りないくらいでちょうどいいと思ったのだ。
フィーギス殿下とは違った形だが、ソフィアリアも王鳥妃という基盤を整えたいという願いは継続しているのだから。
プリモアが何か言いたそうにしていたが、目で制する。大鳥達から庇ったあの時から、ソフィアリアの下手な芝居なんてバレているのかもしれない。
アウィスとオーリムが別人とわかった今、プリモアが瞳を曇らせる必要もない。けれどソフィアリアが王鳥妃として立つ為の踏み台にされたのは事実だから怒ってもいいのに、彼女の瞳は凪いでいた。必要な犠牲だったと、聡い彼女は察してしまったのかもしれない。
これ以上プリモアが犠牲になる必要なんて何もない。願わくば、ソフィアリアの事なんて許さないままで、けれど存在を忘れるくらい幸せになってほしい。
辛うじて合格点とでも言うように、王鳥はニッと口角を上げて、頷く。ソフィアリアもホッとして、ふわりと笑った。
これで、今日ソフィアリアに求められた役割は終わったと見ていいだろうか。初めてのダンスで幸せな時間も過ごせたが、大した事をしていないわりに、想像以上に周りへの被害だけは大きく、苦難を強いてばかりだった。その事だけが、少し苦しい。
「さて、次代の王。確かに伝えたぞ。めでたい席で騒がせる事でもなかったが、つい今し方の話だったのでな。それに、余達はこれから妃の言った空のデートを楽しむ予定があるから、迎えのついでだ。このままこの二人も連れ帰るぞ」
「お見送りさせていただきます。本日はお越しいただきありがとうございました」
「うむ」
そう言って会場の外へと歩き出す王鳥に、フィーギス殿下はまた付き従う。ソフィアリアは、最後まで降ろしてもらえなかった。
歩きながらふと、王鳥は王族の居る垂れ幕の方を見上げ、ニッと意味深に笑う。
「……王様?」
「いや。彼奴は結局出てこんかったなと思うただけよ」
くつくつと笑う王鳥を見て、それは誰だろうと首を傾げた。が、教えてくれそうもないので、聞かない事にした。代わりに貴族の間を通る、今のタイミングを利用させてもらう。
「でも王鳥様。おしゃべりは楽しかったのですが、飲食禁止の夜会やお茶会ってあまり面白くなかったですわ」
「余は許可は出さぬぞ」
打ち合わせなしで王鳥に禁止された事にしたが、合わせてくれた。さすがだと思い、にっこりと笑う。
「なら、もう夜会もお茶会も行かなくてもいいですか? 代わりに大屋敷で王鳥様達がお相手してくださいませ」
「それがよい。妃は余も大鳥達もいくらでも相手をしたがるから、人の世に馴染む必要はない」
「まあ! 嬉しいですわ」
少しわざとらしいが、これでご令嬢からの詫びの品や夜会やお茶会の招待状が届く事は減るはずだ。
そもそも検問の厳しい大屋敷に、貴族からの品や招待状の手紙など通る事も稀なのだが、今までも多少来ていたようだし、今回お披露目をする事で増えるだろうと予想していたのだ。王鳥が社交をする事に難色を示しているとわかってもらえれば、断るのも楽だ。むしろ誘う方が礼儀に反するだろう。
ソフィアリア自身は社交をしろと言われたらやれるが、特に進んでやりたいものでもない。それに、やはり次代以降を考えると、社交なんて避けられるなら避けておいた方が、余計なトラブルも回避できるしいいと思うのだった。




