大舞踏会での断罪 2
「食べられないものを前にしててもつまらないわ。わたくし、少しお散歩してくるわね。皆様はどうか、ここでお茶会をお楽しみくださいな」
立ち上がって、温室の外へと歩き出す。あんな事を言った後なので、おそらくついて来るだろう。
何か害を与えてもらうなら、テーブルは距離が開くので邪魔だ。
害といっても相手が気に病まない程度に……例えば、掴み掛かるくらいに抑えて、言葉に嘘は織り交ぜない。あとで言い訳出来る言い回しを心がければいい。
「……案内するわ。王城は不慣れでしょう?」
すっと冷えた目を細めて、プリモアが先導してくれる。色々な意味で、ありがたい事だと笑みが浮かんだ。
「まあ! ありがとう、プリモア様」
プリモアはお礼の言葉には一瞥もくれず、歩き出す。ソフィアリアはその隣に並び、座っていたご令嬢方もゾロゾロついてきてくれた。
温室から外に出ると、三階部分にある広々とした屋外庭園だった。普通の庭園と遜色ないこの場所は、夜でも蝋燭の明かりでぼんやり明るく、とてもムーディな雰囲気を醸し出している。さすが王城といったところか。
「先程の続きだけれど、ソフィアリア様はわたくしの言った事がきちんと理解出来なかったのかしら? アウィスという個人を蔑ろにしてでも、見た目のいいお人形を、自分の側に並べられればそれでいいと?」
「だってわたくし、アウィスという人なんて知らないもの。けれど、王鳥様と代行人様は一緒に居るべきなのでしょう? 引き離すなんて可哀想だわ」
冷たい眼差しを向けてくるプリモアに困ったように笑ってみせる。無邪気に、まるで一対の人形はそうあるべきとでも言うように。
大体、ソフィアリアはアウィスなんて人は本当に知らない。ソフィアリアが恋をした代行人は、オーリムという照れ屋でまっすぐな人だから。それに、王鳥とオーリムを引き離すなんて事はソフィアリアにも出来ない。二人の間にはソフィアリアすら介入出来ない絆も、確かに存在するのだ。
「あなたは王鳥様のお妃様なのでしょう? 既に夫が居るのにもう一人欲しがるなんて、結婚という制度を理解していないのかしら?」
外野からくすくす忍び笑いが漏れる。周りの人間も会話に参加する気はあったらしい。どう巻き込もうか迷っていたので、勝手に入ってきてくれるのは大歓迎だ。
こういうのは大人数であればある程、一人一人の気が大きくなり、エスカレートする。さっさと終わらせたいし、いっそその方が好都合だった。
「しているわよ? わたくしの旦那様は優しい王鳥様と素敵な代行人様。二人で一人なのだから、王鳥様と結婚するなら、代行人様ともしてあげないといけないじゃない?」
「代行人様は愛したプリモア様が居るから、あなたなんてお呼びじゃなかったのよ。二人は見ているこちらが照れるくらい仲睦まじく、まさしくお似合いのカップルだったの」
「代行人様もプリモア様も知的で穏やかで、美男美女のお二人が並ぶと、まるで美しい名画のように目の保養になったわ。ソフィアリア様はほら、少し足りないじゃない?」
くすくすと忍び笑い。足りる足りないはともかく、代行人とプリモアがお似合いと言われるのは、彼女達の言う代行人とオーリムが別人と知っていても面白くない。思わず下唇を噛んで、でも扇子を握る握力に慌てて変えた。
それにしても、アウィスという人は知的で穏やかなのか。オーリムは勉強は出来るが、人の機敏に少々疎く、どちらかと言えば武人だ。穏やかというより、基本的に物静かだが直情的といった感じだし、性格まではオーリムの模倣はしなかったらしい。まあそもそも、オーリムと話した事がある人なんて、貴族でもあまり居ないらしいので問題なかったのだろうが。
「代行人様は物静かな人よ? 知的で穏やかな代行人様なんて知らないわ」
「あなたに優しくする程の価値がなかった証拠じゃない」
笑い声が大きくなる。オーリムはとても優しいのにと、思わず目が据わりそうになるのを、必死に抑えた。
「……ソフィアリア様は本当にアウィスの事を、何一つ理解していないのね。だったら何故、彼を望んだの? 彼の好きな物を一つでも言えて?」
「何故、プリモア様にそれを答える必要があるのかしら? プリモア様はそれを知っていても、代行人様はわたくしを選んだじゃない」
ソフィアリアは笑みを浮かべて、プリモアは怒りの表情で、お互い睨み合っていた。
プリモアの質問に一瞬ムキになって答えようとして、やめた。ここにいる人達にオーリムの情報は渡さない。
何も怒る事なんてないのに、ここの人達の言う代行人はオーリムではないとわかっているのに、胃がムカムカしてきて、だんだん言葉と態度に棘が混ざるのがわかる。
けれど、もう止められない。
「お互い全てを知った訳ではないけれど、わたくしはきちんと王鳥様と代行人様という素敵な旦那様達にお妃さまに選ばれて、ちゃんと愛されているもの。……お友達もみんな優しくしてくださるし」
含みを持たせてにっこり笑う。途端、ここにいる女性全員の眉が吊り上がるのが、少し面白いと感じてしまった。
「……それはまさか、フィーギス殿下とフォルティス卿の事を仰っているのではありませんわよね?」
「あなたが連れていた執事も見目麗しい方でしたわね。ソフィアリア様はそういう殿方がお好きなようで」
扇子で口元を隠して、目元には侮蔑で覆い隠した嫉妬心。なんだかんだ言って羨ましい状況ではあるのだろう。見目麗しい男性複数人から好意を向けられるというのは、女性から見ればロマン溢れる状況ではあるらしい。まあ、王鳥とオーリムという二人の気持ちが欲しいソフィアリアも、その辺は大概なので何も言えない。
しかし、元凶であるフィーギス殿下はともかく、ラトゥスとプロムスまで巻き込んでしまっているのは少し申し訳ないと思った。特にラトゥスは今後の縁談にどうしても障ってしまいそうだ。未来のフォルティス夫人にどう詫びればいいだろうか。
そんな事を脳内で考えつつ、だが顔はキョトンと不思議そうに首を傾げた。
「彼らはお友達よ? カッコよくて優しい三人もお友達だなんて、ここに来てよかったわ」
「フィーギス殿下はあなたが大屋敷に現れてから政務も滞りがちになり、あなたの元へ足繁く通っていらっしゃるそうね。殿下はコンバラリヤの王女殿下と婚約をしているのをご存知? このままだと外交問題に発展して、そんな事になれば、あなたのせいで殿下の王位継承権も剥奪されるわよ」
ここで例の赤髪のご令嬢が口を開いた。口元に笑みを浮かべて、目は面白そうに笑っている。どうやら援護をしてくれる気らしい。
ソフィアリアは片頬に手を当て、首を傾げる。
「フィーギス殿下が王子様ではなくなるって事かしら? 彼が王子様ではなくなるなんてありえないわよ。でも、確かによくいらっしゃるわ。いつも楽しく過ごさせていただいているのだけれど、いけなかったかしら? 王女殿下という方には、いつもフィーギス殿下とは仲良くしてますってお手紙でも出せばいい?」
「あっ、あなたねぇ……!」
だんだん居た堪れない程、場の空気が冷えてきた。結構いい調子ではないだろうか。
けれど次の言葉で、ソフィアリアもピリッと空気を張り詰める羽目になった。
「あなたの母親は貴族ではなく、商人の娘だったそうね。貴族に嫁がせる為に、殿方を籠絡させる手練手管を身に付けられたのだとか。あなたはお母様似なのね」
すっと目を細めて、声の主を――赤髪のご令嬢を、思わず睨みつける。が、誤魔化すようにふわりと微笑んだ。
周りの蔑みの目が強くなる。なるほど。半分でも貴族ではないと、こうも目線が変わるのか。
「ふふ、母をご存知なのね。ええ、お母様には色々たくさんの事を教わったわ。だって嫁入りですもの。旦那様に尽くすのは当然よね?」
コロコロと笑いつつ、扇子を開いて表情を半分隠した。そして思わずギュッと力強く握り締める。
――ソフィアリアの事はいくらでも罵倒すればいい。けれどソフィアリアを下げる為に周りの人間まで馬鹿にするのを許せる程、ソフィアリアは出来た人間ではない。
言われた事は全て真実だ。母はそういう事の為に父に嫁いできた。けれど両家の思惑はともかく、父も母も今は仲が良いおしどり夫婦なのだ。それを企んだ母の実家はもうないし、蔑まれる謂れはない。
けれど効果は何よりも的面だったらしい。少々下世話な話の方がよほど効くようだ。
「あら。そういえば王鳥様とはもうご夫婦なんですって? さぞや毎日お熱くていらっしゃるのでしょうね」
「ええ。わたくしを気に入ってくださったようで、毎日なかなか離していただけませんのよ」
「ふふ、それはようございましたわ。夫婦仲がお熱いのはいい事だもの」
「平民が貴族に成り上がった手練があれば、貴族は神様に成り上がれるのね。素晴らしい技法をお持ちのようで羨ましいわ……わたくしには真似出来ませんわね」
「わたくしはただ大好きな旦那様に、たくさんの愛を注いだだけですもの。特別な事は何もしておりません」
「毎日注がれているの間違いではなくて?」
「新しいお恵みを授かる日も近いのでしょうね。その場合お子様は父似かしら? 母似かしら?」
蔑み混じりの言葉達に、照れたように笑ってみせる。この人達はそんなに王鳥との夫婦生活が気になるのか。
とはいえそろそろ聞き苦しいし、これ以上続けられればもっと仔細聞かれる事になるだろう。勝手に意味深に捉えてくれそうなそれっぽい事を匂わせてきたが、そろそろ限界のようだ。
プリモアも感情を律する事に長けているのか、全く会話に入ってこなくなってしまったし、あまりこういう煽りは使いたくなかったが、仕方ない。ソフィアリアの事なんてこれ以上下りようがないくらい下に見てもらえたようだし、最後の仕上げといこう。
ずっと黙ったまま睨み続けているプリモアを見つめ、意味深に笑ってみせる。
「お恵みはよくわかりませんが、毎晩三人で幸せな時間を過ごしておりますわ」
カッとなったのを見て、思わず相手の両手首に掴み掛かる。我ながら、今のはいい動きだった。
「っ‼︎ 離しなさいよっ‼︎ あなたなんかが触らないでっ‼︎ アウィスをっ……アウィスっ…………」
手を出す事も許されず、ポロポロ涙を溢すプリモアの姿があまりにも憐れで、ソフィアリアは眉根をギュッと寄せる。が、これはソフィアリアのせいなのだ。そう思う資格も、胸を痛める権利もない。
それに、いくら裏でフィーギス殿下が糸を引いていたとしても、本当に手を出せばプリモアにも攻撃が向くかもしれない。そんな事、させられない。
グッと歯を食いしばり、自分が仕向けた結果を受け止める。この感覚は、一生慣れそうもない。
「きゃああああっ‼︎」
と、急にたくさんの悲鳴が上がる。何事かと顔を上げ、ご令嬢方の驚愕した視線の先を追って、ソフィアリアもギョッとした。
いつの間にか、空にたくさんの大鳥達が集まっていた。王鳥が来るのは予想していたが、さすがにこれは想定外で、冷や汗が流れる。
「ピィ」
と、一羽の大鳥が降りてきた。数羽続いて、何羽かも近寄ってきて旋回している。
彼らの事を、ソフィアリアは知っていた。大屋敷にいつもいて、よく話しかけてくれる子達だ。みんなソフィアリアを心配して駆けつけてくれたのだろうか。
その気持ちは嬉しい。が、少し困る。とりあえずソフィアリアは恐怖で硬直しているプリモアを、大鳥から隠すように胸に抱え込んで、笑顔を浮かべた。
「まあ! みんな、こんな所まで遊びに来てくれたんですか?」
「ピー」
人に害意は感じない、いつも通りの穏やかな目をしていた。よかった、今のところお披露目での言いつけは守ってくれるようだ。
初めて間近で見る大鳥を見て、恐怖で固まるご令嬢や、駆けつけた騎士が、彼らに何もしないようにと祈りながら、ソフィアリアはみんなを安心させるよう言葉を続ける。
「でもダメですよ? ここはフィーギス殿下の許可がないと来てはいけないんです。わたくしももうすぐ帰りますから、大屋敷で待っていてくださいな」
「ビー」
大鳥は不満そうにプリモアを、そして遠巻きに見ている人間達を見る。視線を向けられた人は悲鳴をあげ、ビクリと肩を震わせていた。
ソフィアリアは大鳥の声が聞けないので、どう思っているのかは具体的にはわからないから、必死に宥める。大鳥が人間にも、人間が大鳥にも手を下そうとする所なんて見たくない。
「みんなにはわたくしと王様達がどれだけ仲良しか聞いてもらっていただけなのです。ふふっ、みんな、わたくし達の結婚に興味津々なんですよ? だから」
「フィアっ‼︎」
大好きな声を聞いてホッと一安心して、肩の力が抜けた。振り返るとオーリムがこちらに駆け寄ってくる所で、オーリムはここに大鳥達がいる事に目を見張る。
「大鳥……? ――――馬鹿っ、帰れっ‼︎」
そう怒鳴ったオーリムの言葉で、大鳥達はとぼとぼ空へと帰っていく。ソフィアリアは笑顔で手を振ってそれを見送った。
「フィア、平気か?」
「ええ。大鳥様達が遊びに来てくださったのには驚いたけれど、わたくしは何もされていないから大丈夫。もう用事は終わりかしら?」
「だが……」
ソフィアリアはオーリムの腕を掴んで気を引くと、大丈夫と言わんばかりに首を横に振った。実際、ソフィアリアは何もされていない。どちらかと言えば加害者だ。
「王様はフィーギス殿下の所かしら? なら、連れて行ってくださいませ」
「あ、あぁ。……悪い、片腕に抱えて走るから掴まっててくれ。少し飛ばす」
「重くないなら、お願いするわ」
オーリムにいつも王鳥に抱えられてるように抱き上げられて、彼はそのまま踵を返そうとした。だが――
「アウィス……?」
しゃがみ込んだまま動けなくなったプリモアを、オーリムは見下ろす。が、プリモアはオーリムの顔を見て、困惑していた。
「えっ……誰……?」
それには何も答えず、ギュッと眉根を寄せるだけにとどめると、それ以上何もせずオーリムは走り出した。途中チラリと赤髪のご令嬢を見たようだが、顔を顰めただけで通り過ぎる。
「皆様、今日はありがとうございました。ご機嫌よう」
ソフィアリアは呆然となっているみんなに向けて、優雅に笑みを浮かべ、手を振る。
もう茶番は充分だろう。タイミングよく大鳥達がきてくれた事で、ここに居た人達には、ソフィアリアに何かあれば大鳥が来るとわかってもらえた筈なのだから。




