大舞踏会での断罪 1
人目も憚らず啜り泣いているプリモアの泣き顔を、ソフィアリアは見ていられなかった。
純粋だった恋心を利用され、騙されて傷付けられている……そんな彼女を見ているのが辛かった。
ドレスを贈られたと聞いた時には漠然と、婚約者だったと言った時には確信していたのだ。彼女の言う『アウィス』がオーリムの事ではなく、誰かが代行人になりすました全くの別人だと。
ソフィアリアが見た感じ、彼女は嘘を吹聴するような人でも、自ら作り出した虚言を真実だと思い込むような人でもないように見えた。おそらく彼女は貴族の中でもとりわけ善人で、今は騙されて目を曇らせているものの、フィーギスの言った通り、王妃教育を受けた才女なのだろう。なら、上手く騙されているとしか思えない。
プリモアが求婚された時期がソフィアリアが王命を受け取った後だとか、好みが同化する王鳥と代行人が別々の人に恋をする不自然さとか、他にもプリモアの語るアウィスとソフィアリアの知るオーリムの人物像が悉く一致しない、王鳥に乗る事でしか大屋敷から出ていないオーリムは社交なんて不可能など、プリモアが言った事全て否定出来てしまう。彼女は嘘はついていないのだから、偽物の存在を疑う理由は充分だった。
……いや、もしかしたらデビュタントで彼女が一目惚れした人だけはオーリム本人だったのかもしれない。けれど求婚から先は間違いなく、オーリムになりすました誰かだ。
誰がなりすましたか、なんてわからない。けれどアウィスを愛していたプリモアがオーリムを見てもすぐには気付かないのだから、顔か雰囲気は間違いなく似ているのだろう。曇りのない目でじっくりオーリムを見れば、別人だとわかってもらえる筈だ。
そのアウィスとは誰かはわからなくても、その裏でアウィスという人間を仕立て上げた人なんてすぐにわかった。ソフィアリア達に偽の情報を渡して、その裏で代行人の偽物を用意して婚約まで偽造するだなんて、そんな事が出来る人はたった一人しか居ない。何をしているのだ、何をしてくれるのだと叱りたい気持ちが湧き起こる。
――フィーギス・ビドゥア・マクローラ王太子殿下。重責に駆られながらもこの国を愛し、この国を護る為なら、たとえ自分ですら切り捨てられる次代の王。人は切り捨てられても、この国は切り捨てられない人。……そういう人だから大丈夫だと、信じていたのに。
どうやらソフィアリアは彼の事をわかった気でいただけで、何もわかっていなかったようだ。彼の理想はソフィアリアが思っているよりずっと高く、その魂は畏れを感じる程、誰よりも王という才能に満ち溢れている。なるほど、これほどの人なら王鳥だって気に入る訳だ。
フィーギス殿下の最終目標はソフィアリアの憶測通り、ソフィアリアとは違う形の王鳥妃の立場の確立で間違いない。絶対不可侵だと周知徹底し、何人たりとも犯してはならないという事を知らしめたい。そこまでは合っていた。
けれどそれは、この国を護る為ではなかった。彼はもっと大きなものを見据えていた。
――フィーギス殿下は王鳥妃への不可侵を徹底的に知らしめようとしている。この世界を護る為に、この国を……ビドゥア聖島を犠牲にして。
大きなものを護る為に小さなものを切り捨てる決断を下し、結果を背負うというのは、上に立つのならば絶対備わっていなければならない必須能力だ。だから彼は世界を護る為に、王鳥妃という存在を生み出した自国を切り捨てる事にした。そういう事なのだろう。
彼は王鳥が人間の王鳥妃という存在を望んだ時、その存在の危うさを真っ先に考えた筈だ。ソフィアリアだってその気持ちはわかる。
王鳥が操れる代行人とは違い、王鳥妃は普通の人間で、その性格によって国を簡単に左右出来てしまう程、地位が高い。だが地位は高くても、相応の教育も覚悟も必ずしも備わった人物が据えられるとは限らない。だからといって害してしまえば王鳥の怒りを買い、人間を滅ぼしかねない危険性を秘めている。
なのに特別な守護が与えられる訳でもなく、王鳥や代行人よりよほど危害を加えやすく、無防備だ。扱いが非常に難しく、言ってしまえば国にとっては厄介な存在でしかない。
そんな王鳥妃という存在を害する危険性を真っ先に周知徹底させたかったフィーギス殿下は、なら実際に自分がやってみせる事にしたのだろう。人間は失敗がなければなかなか学ばないのだから、やむを得ないと思ってしまったのかもしれない。
ソフィアリアという人間を徹底的に貶め、多くの悪意が向けられるように仕向ける。その為だけにプリモアという高位貴族の恋心を踏み躙り、それをソフィアリアのせいだと誤解させた。プリモアはこの国の公爵令嬢だから味方が多く、その影響は計り知れない。
対して王鳥妃という女性最高位に立つソフィアリアは、元は地位の低い男爵令嬢だ。無知で無教養な田舎貴族と侮るには充分で、建前上は最高位ながらも、社交をしない為縁遠く、まだ代行人とも婚約段階でしかないのだから、高位貴族に楯突いたと攻撃の正当性を主張するにはもってこいだった。
王鳥の存在は認知していても、高みの存在過ぎて一般人には馴染みが薄いのだ――特に、会う事すら叶わない貴族にとっては。それが、更に拍車をかけていた。
その果てに誰かがソフィアリアを害そうとすればどうなるのか……それを多くの人に見せたかったのだろう。害そうと言ってもソフィアリアは王鳥と代行人が護っているので、おそらく死ぬような事にはならないだろうと踏んでいたのかもしれない。
そして、王鳥や大鳥は真実を見抜く。実際に手を下した人の裏に黒幕が居れば、そちらを廃そうとすると知っていた。なら、裏でこの計画を企てたフィーギス殿下に攻撃が向く事になるだろう。
フィーギス殿下はこの国の王太子だ。そして彼は国民からも広く認知されており、その手腕から支持率も高い。
詳細はわからなくても、人間がソフィアリアを害そうとしたから、人間の代表として見せしめになったと広められれば、王鳥妃という存在に触れる危険性を広く知ってもらえる筈だ。
フィーギス殿下の死後、その情報を広める役をラトゥスなどの側近が、もし国が滅びた場合にはマヤリス王女が担っていたのだろう。
最悪、この国の人間がソフィアリアを嫌うならと、この国を滅ぼすかもしれない。出来れば自分の首一つで済ませたいが、それも致し方ないと決断を下してしまった。多くの人の見せしめになれれば、それでよかったのだ。
自分の後ろ盾も、安寧の地も友人も、そして最愛との婚約を失う事すら惜しまない訳だ。だってフィーギス殿下は最低でも自分の身を犠牲にする、その覚悟をしていたのだから。
重苦しい溜息を吐く。せめてソフィアリアがこういう人間だと知っていれば、もっと穏便な方法を一緒に模索出来たのかもしれないが、フィーギス殿下はソフィアリアに会う前、それも王命を下した直後から、この計画を企てて動き出していた。
王族でも手に余るような立場に立って何が出来るかなんて男爵令嬢には期待出来なかったし、この計画は王鳥と代行人の二人に王鳥妃が嫁ぐ事になると知れ渡る前に進めなければいけなかったのだから仕方ない。わかっているが、利用されただけのプリモアには申し訳ない。
理屈はわかるのだ。そんなの悲しいからやめてくれと人情に訴える気もないし、国を回さなければならない王族に、人情で説いても不毛なだけだと理解している。情で説得出来るなんて、それこそ夢物語でしかあり得ない。
計画としてはこれ以上ない最適解だろう。行動の早さ、計画の周到性、そして被害は必要最小限。まさに完璧だ。
……けれどフィーギス殿下はこの計画において、一番肝心な事を見落としている。何故ソフィアリアより長く一緒に居て、直接会話も出来て、洞察力も優れているのに、よりによってこんな簡単な事を見落としてしまったのかと問いたい。
だが、おかげでソフィアリアにも希望が見えてきた。その一点を見逃したのなら、フィーギス殿下の計画に乗り、彼の望みを叶えつつもソフィアリアの望みを押し通す事が出来る。
だから――
「ねえ、プリモア様。あなたは勘違いしているわ」
扇子を閉じて、行儀悪くテーブルに肘を突き、指を絡める。
希望をなくし、暗く濁った瞳をしたプリモアが顔を上げたのを確認して、絡めた指で顎を支え、小首を傾げてふんわりと可愛らしく笑った。
「王鳥様も代行人様も最初からわたくしのものよ? あなたに返す物なんて、何一つないわ」
そう言うとプリモアは瞳に怒りと憎悪を乗せ、ソフィアリアを忌々しげに見つめてきた。ソフィアリアはその表情を見て煽るように、笑みを深める。
――計画に乗って、悪意を集めて断罪されてみせようではないか。
プリモアの怒りも悲しみも、今日この場で全てソフィアリアにぶつけ尽くせばいい。それで少しでも気が晴れるのなら、こんなに嬉しい罪滅ぼしはない。
ソフィアリアはどこまでいっても悪人と呼ばれるべき人なのだ。自分をそう定義していて、結局変われなかった。
なら、悪人には悪人らしい振る舞いを。無邪気に、無意識に、その悪意すら人から奪ってみせよう。
それが今ソフィアリアが出来る、唯一の事なのだから――




