踏み躙られた初恋 2
ここで出てくる◯◯された日を、十日後から二十日後に変更しました。
『――代行人様だけは、解放してあげてくださいませ』
その意味のわからない言葉の理解を放棄しようとして、ぐっと歯を食いしばる。聞きたくないと思ってしまうが、今は情報収集の方が大事だ。
ソフィアリアはプリモアが何故そのような思考に至ったのか知る必要があるのだ。胸の痛みなんて、今は関係ない。
プリモアは胸の前で指を組んで、言葉を続ける。
「今代の代行人様は王鳥様の傀儡ではなく、自分の意思を持った人間だという事は知っているわ。けれど王鳥様に、一方的に操られる事もあると」
ソフィアリアは一瞬眉根を寄せた。前半はまあまあ知られている事らしいので別にいい。けれど後半は、知る人がかなり限られている。少し前まではプロムスなど親しい人間だけだったが、最近は大屋敷内にそこそこ広まっている。そのくらいだろうか。
外で吹聴されても止めるつもりはなかったし、箝口令も出していないが、いくらなんでも情報が早すぎやしないだろうか。まあ、情報が大事な高位貴族だからと言われればそれまでなのだが。
「アウィスは王鳥様のお人形ではなく、一人の人間なの。確かに彼は代行人というお役目を全うする事も、勿論あるわ。けれどどうかそれ以外の時は、あの人を自由にしてあげてほしいの」
切々と訴えかけてくる言葉の理解が上滑りする。そんな事、プリモアに言われなくても知っているし、いつ彼を制限したのかと言ってやりたい。が、今は彼女の言葉を遮る訳にはいかないので耐える。
一度深呼吸して、目下気になる事を聞いてみる事にした。
「……アウィスって?」
プリモアは目を見開き、だが首を横に振る。
「あなたは代行人様の人間名を知らないの?」
知っている。オーリム・アウィスレックスだ。……その呼び名に馴染みがなかったので別人の事という希望に縋りたかったのだが、どうやらそれも打ち砕かれたらしい。とはいえ、アウィスとつく貴族は現在オーリムくらいなのだが。
知っていたが、都合がよさそうなのでソフィアリアは困ったように表情を曇らせて、首を横に振っておいた。プリモアからは溜息が漏れる。
「……彼がソフィアリア様に本名を許していないのなら、わたくしからは何も言えないわ」
理解者面に不快になるが、もう一度深呼吸。ここから先の質問は、場合によってはソフィアリアの心がズタズタに踏み躙られる事になるが、構っている余裕はない。王鳥の扇子があってよかったと思った。
「……ねえ? 先程から聞いていれば、あなたは代行人様の何なのかしら? 彼もわたくしの婚約者なのだけれど」
無垢さを装って小首を傾げながらふわりと笑って見せる。プリモアはそんなソフィアリアの言葉に眉を吊り上げ、だが扇子で怒りの表情を隠した。
「彼の……代行人様ではなく、人間であるアウィスに望まれた、彼の方唯一の……婚約者だった者よ」
――ドスッと心臓を撃ち抜かれた気分だった。むしろその方がずっとマシだった。目を見開いて、彼女を凝視する事しか出来ない。
言葉をなくしたソフィアリアに、プリモアは遠慮なく言葉を畳み掛けてくる。
「彼と初めて出会ったのはデビュタントでの事よ。周りの目が煩わしかったわたくしは、会場を後にしようとした。……社交なんてしなくても、わたくしと結婚したいという希望者はたくさん居るもの。そんな帰り道、わたくしはアウィスに出会った」
当時の事を思い出しているのか、プリモアは目元を緩ませ、ほわりと頬を熱らせた。その顔は、恋する少女の顔は、なんと美しい事だろうか。
「お互い熱に浮かされた表情で……それはわたくしの欲目かと思ったのだけれど、二十日後に求婚の申し出と共に、あの時わたくしに一目で恋をしたのだと綴られた、素敵な恋文をいただいたわ」
ソフィアリアは顔を顰める。だが一瞬で表情を取り繕い、代わりに扇子を力強く握りしめた。ミシリとも鳴らない高耐久性に感謝だ。
「それはわたくしもそうだったから、求婚だってすぐに受け入れた。それから何度か手紙のやり取りをして、直接会うようになったのが今から二季近く前」
二季前……ソフィアリアが大屋敷に来る半季ほど前だ。蕩けるような甘い表情を見ると、幸せな時間を過ごしていたのだろう。……そんな事、想像したくもない。
「二人の時間を過ごして、夜会やお茶会で周りへの挨拶もすませて、とても幸せだったわ。……あなたが、大屋敷に来るまでは」
一転、表情に暗い影を落とす。ソフィアリアを見る眼差しは、嫉妬と軽蔑といったところだろうか。じくじく痛む心に蓋をして、にっこり笑って首を傾げる。
「あら? ふふ、何の事かしら?」
――そうやって無邪気に心に傷を入れ合うのは、お互い様だ。
「代行人様が恋をしたのを見て、王鳥様も真似て、人間のあなたに恋をしたのだと聞いたわ。正直すごく驚いたし、婚約期間もなしに一緒に大屋敷に住むと聞いて、少し不安になった。けれどアウィスが今代の王鳥様と代行人様は別人だから、それぞれ別の妃を娶る事になると聞いて安心したの。それなのにっ……!」
キッと鋭く睨みつけられたのを見て、ソフィアリアも表情を消す。ぼんやりとした目でプリモアを見つめ、その不愉快な言葉を聞いてあげる事にした。
「……程なくして、ソフィアリア様が見目麗しい殿方がお好きらしいという噂が流れたわ。貴族らしくない天真爛漫さでフィーギス殿下やフィクトゥス卿のような王族や高位貴族の殿方をも魅了して、侍らせて、悦に浸っているのだと……。それを聞いて、わたくしは嫌な予感がした。だってアウィスは……あなたがお好きな、見目麗しい殿方なんですもの。……そして、予感は的中したわ」
じっとお互い睨み合う。一触即発の雰囲気を他のご令嬢達は、楽しい余興だと言わんばかりに眺めている。
「……最近会うアウィスは、日に日に憔悴していっていたの。はじめは笑って誤魔化していたけれど、何とか話を聞き出して、事の次第を聞いたわ。……王鳥様が、あなたを喜ばせる為にアウィスの身体を使うのだと」
プリモアの瞳から光が消えた。ソフィアリアはそれをただ、じっと眺めていた。
「信じられなかった。信じたくなかったっ……!心はわたくしただ一人を求めているのに、身体が勝手に動かされるのだと、そして戻った時には絶望を感じるのだと、そう言っていたわ。お互い憔悴して、苦しんで、数少なくなってしまった会える日だけが二人にとっての救いだったの。けれどわたくしは……婚約を破棄された」
苦しみを吐き出す為に、プリモアは震えた息を吐き出す。当時の絶望を思い出してか、目には涙が浮かんでいた。
「王鳥様と代行人様は本来二人に一人だと、そうどこからか聞いたそうね? なら王鳥様と結婚したのなら、代行人様とも結婚するのが道理だと、そう王鳥様にお話しし、あなたを溺愛している王鳥様はそれを受け入れたと聞いたわ。代行人であるアウィスはそれに逆らう事は許されなかったと、最後にあった時、そう言われたの…………」
彼女はぐっと強く下唇を噛んで、心の苦痛に耐えていた。けれど堪え切れなかった激情は、目からポロポロと美しく溢れ始める。
「……このドレスは最後にあった日に、せめて気持ちはわたくしにあると知らしめたいから着てほしいって言われたわ。でも今日のアウィスはわたくしの愛したアウィスではなく、中身は王鳥様なのね。……アウィス本人に見てもらえなかったのが残念だったけれど、せめて、あなたにはアウィスの本当の気持ちを、知っていてほしかったから」
そのドレスは、プリモアから『アウィス』へのメッセージだったのだ。愛し合った二人は引き裂かれ、こうして秘めた気持ちをお互いに匂わせる事しか、もう出来ない。
そして引き裂いたのはソフィアリアだという。まったく、なんという真実だと、いっそ笑い出したいくらいだ。いや、今は口元が弧を描いているのだから、確かに笑っていた。
――ソフィアリアはずっと彼の考えがわからなかった。わからなくて、疑って、けれど大丈夫だと、何があっても信じられると思い始めたのが先程のダンスの時だ。
……けれど真実は呆気なく、それらを覆してしまった。
どうやら自分は今までずっと騙されていたようだ。それを知ってしまった。ここに来てずっと幸せだったから、こんな簡単な真実すら見つけるのに時間をかけてしまった。
――幸せな初恋は、もう二度と元に戻せないくらい、ズタズタに踏み躙られた。
「お願い……返して……わたくしのアウィスを、返してっ……!」
運命を引き裂かれた少女が泣いている。ソフィアリアのせいだと嘆き、悲しんでいる。
その事実に、ソフィアリアは目をギュッと閉じた――




