踏み躙られた初恋 1
初めての社交界。デビュタントから逃げるように会場を後にしようとした『わたくし』は、曲がり角を勢いよく曲がってしまい、その拍子に人とぶつかってしまった。
『きゃあっ⁉︎』
後ろに倒れそうになったが、相手から手首を掴まれ、次いで肩を支えられて事なきを得る。
『申し訳ございませんっ! 急いでいたも、の…………』
ぶつかり、助けてくれた人を見て息を呑む。相手は有名な、誰よりも高貴なお方だったからだ。
相手は『わたくし』を見て衝撃を受けたかのように目を見張り、ふわりと優しげに表情を和らげ、笑った。その瞳が熱っぽく、頬が朱に染まっているのを見て、『わたくし』も赤くなっていく。
『……失礼』
短くそう言った声音は緊張しているのか辿々しく、恥ずかしがっているかのように視線を逸らして、早足で立ち去ってしまった。
初めて間近に見たそのお方は、とても端麗な容姿をしていた。同じ歳くらいで、長身の『わたくし』と同じくらいの背格好。そんなお方に助けられ、そんな表情をされれば『憧れ』を抱かない筈がなく、だがすぐに政略結婚が待っているだろう『わたくし』は、この『憧れ』を大切にしまい込むつもりだった。
だから驚いたのだ。まさか彼から王命で結婚の打診が来た事に。そして……彼もあの時、『わたくし』に『恋』をした事に――
*
連れてこられたのは王城の温室だ。もう秋も終わるというのに、色とりどりで華やかな植物に囲まれた室内には、長テーブルとイスが並べられ、ご令嬢が多く集まっていた。ざっと見た感じ、全員がリスス・アモール公爵家と親しい家柄や、公女のご友人といったところだろうか。
と、一人だけとても目を惹く、赤髪のご令嬢がいた。何か引っかかるのを感じたが、答えを導き出す前に声をかけられてしまい、考えが霧散する。
「どうぞこちらに」
「まあ! お誕生日席ね? ふふっ、ここに座れる日が来るとは思わなかったわ」
男爵家の末席に案内されたらどうしようかと思ったが、一応上座を譲ってくれる気はあるようだ。上座だからというより、尋問の為かもしれないが。
席に着くと王城に仕える侍女が紅茶を用意してくれた。テーブルの上には見た目も拘り抜かれたであろう美味しそうなスイーツや軽食が並べられているが、もちろん手をつける気なんてない。
「我がアモール領で採れた特産の茶葉よ。甘味が強くて、王妃殿下にもお気に召していただけたものなの。お口に合えばいいけれど」
暗に王妃様が飲むような紅茶を飲んだ事がないだろうと言われてしまった。実際大屋敷にはオーリムの好みでソフィアリアも慣れ親しんでいる、貴族の屋敷にありそうな一級品よりは庶民的なものの方が多いので、その通りなのだが。
ソフィアリアは扇子を持ちながら、困ったように笑ってみせる。
「ごめんなさいね。わたくし、王鳥様が許可を出したものしか口に出来ないの」
別にそんな規則はない。もっともらしい言い訳の為に、勝手に名前を使った事は、あとで謝ろうと思う。
「……我が領の物は口に出来ないという事かしら?」
「あなたの領地が悪い訳ではないわ。でもこの前、王鳥様の許可なく買い食いをしたら、そのお店がなくなってしまったんですもの。せっかく美味しかったのに、残念な事をしてしまったわ」
頰に手を当てて、ふぅーと残念そうに溜息を吐いたら公女はヒクリと顔を強張らせ、他の席からもざわりと空気が揺れる。
「……そう。なら、仕方ないわね」
「ええ、ごめんなさいね」
――これで食事をしない言い訳は出来ただろう。優しい王鳥様を横暴な神様扱いしてしまった事に良心が痛むが、これもあとで謝る。食べ物を制限するくらいソフィアリアをガッツリ囲っているのだという印象を持ってくれたらそれでいい。
「では改めて自己紹介からね。はじめまして、ソフィアリア様。わたくしはプリモア・リスス・アモール。あなたと同じ十六歳。デビュタントであなたと一緒だったわ。覚えているかしら?」
件の公女――プリモアは微笑を浮かべ、ソフィアリアにそう問いかける。ソフィアリアも男爵令嬢らしくみえるよう、少々無作法気味ににっこり笑い、だが首を傾げた。
「はじめまして。わたくしはソフィアリア・セイド。ごめんなさい、覚えていないわ」
途端、プリモアの笑顔が引き攣る。実は覚えている覚えていないで言うと、覚えている。同時にデビューした中では唯一の高位貴族で、誰よりも所作が綺麗だった……売り込みをしていたソフィアリアも負けていなかったと思うが。
が、遠目から姿を見ただけだし、無作法な男爵令嬢なら挨拶もしていない人の事を、覚えていない方が自然だと思ったのだ。高位貴族を覚えてない事に失笑を買うが、気にしない。ソフィアリアは情報収集が出来ればそれでいい。
それに、礼がなっていないと言うならそちらもだ。話しかけるのも挨拶も、基本的に高位の者からでなければならないのに、守っていない。敬語もなし。はじめから王鳥妃と認めず、ただの男爵令嬢と侮っている証拠だ。
ソフィアリアはもう男爵令嬢ではなく、王妃より位が高い王鳥妃だと紹介されていた事を忘れているのだろうか?……まあ、ソフィアリアはわざと男爵令嬢らしく振る舞っているし、そのへんの事をとやかく言うつもりはないのだが。
その後、テーブルにいる令嬢を一人一人紹介された。名乗られなくても全員覚えていたが、頷いて、問いかけには無作法で返す。すると全員の紹介が終わる頃には、王鳥の寵愛だけでのし上がった田舎者という人物像の出来上がりだ。……フィーギス殿下から紹介された時とダンス、それにデビュタントではそこそこいい出来だったので、その人物像と乖離している事は誰か一人くらいは気にならないのだろうかと思ったが。
けど、初代王鳥妃が無作法な田舎者だったと伝え広められる方がいい。完璧な淑女だったなんて後世伝わってしまったら、次代以降もそれを求められる事になる。敷居は低ければ低い程、きっと楽な筈だ。
そしてソフィアリアが少し引っかかった赤髪の令嬢は侯爵令嬢だ。名前は知っていたが、正直ここにいる意味がわからない。あえて言えば、密偵なのだろうか?
何にしても情報が足りないのだ。まずは――一番気になり、許せない事から突く事にしようか。
気持ちを落ち着かせる為に、王鳥から貰った扇子を一度顔に当て、深呼吸。こうすると王鳥に正面から抱きしめられているようで、とても落ち着くなと思った。本当にソフィアリアに必要な、いい物を贈ってくれた。
目を開け、ソフィアリアはまっすぐプリモアを見据えてにっこりと笑った。
プリモアは艶やかなオレンジがかった金の髪を縦ロールに、キラキラ眩しいエメラルドブルーの瞳をしている。祖母が王族だったから近い色が出たのだろう。それはいい。見目麗しくて羨ましいかぎりだ。
けれど――それだけは許せそうにない。
「ところでプリモア様。あなたのドレス、まるで王鳥様のようね?羨ましいわ。わたくしには黒は似合わないって、瞳の色しか許してくれなかったから」
そう。遠目から見えていて、ずっと気になっていたのはドレスだ。
彼女は暗くなりすぎないような紺混じりの黒が下にいくにつれ青く染まる、王鳥とオーリムの髪色を彷彿とさせるドレスを身に纏っていた。更には華やかなフリルの黄色と、ドレスと同じ生地の二股に分かれたマントの着用だ。
この国には二種類の禁色がある。一つは黄金と水色に近い青、白の三色の組み合わせ。黄金と青は王家の色、青と白は島都マクローラを象徴する色で、この三つを組み合わせた物は王族しか身につける事を許されていない。
もう一つは金色と、その時代の王鳥が一番占めている色の二つの組み合わせだ。これは時代によって都度変わる。今代は黒から青のグラデーション、もしくはソフィアリアのスカートの裾と同じ、グラデーションに見えるような青と黒の重ね合わせに、金色の組み合わせだ。
これはお察しの通り王鳥を彷彿とさせるからであり、身につけるのは今までは代行人しか許されておらず、今代からは王鳥妃もそこに加わった。
更には背が二股に分かれた服飾は大鳥関係者にのみ許される物で、無関係な人が身につけていいものではない。
堂々と色と服飾の禁を犯し、自らをオーリムの伴侶と豪語しているプリモアに、ソフィアリアとオーリムが不快感を感じるのは仕方ないと思う。
特にソフィアリアは、紺混じりの黒のドレスもいつか着てみたいと強請ったら、オーリムに本当に悪人っぽくなるから嫌だと止められたのだ。そう言うならと引き下がったのに、第三者に先を越されてしまい、心中穏やかではない。
正直、ソフィアリアは彼女が全く理解出来ない。パッと見た感じ、彼女は貴族にありがちな傲慢さもないし、教養が行き届いているように見えるので尚更だ。態度の刺々しさは無教養ではなく、多分嫉妬からきていると思う。
――だが次の言葉で、ソフィアリアはそんな事を悠長に思っていられなくなってしまった。
ドレスの話を振れば途端、彼女はじんわりと頬を染め、俯き、はにかんでいた。その表情を見てソフィアリアは目を細め、嫌な予感をひしひしと感じる。
「このドレスは、アウィスがわたくしに相応しいって、贈ってくれたものなのよ」
ピシリと、ソフィアリアは笑みを貼り付けたまま凍りついた。だがプリモアはそんなソフィアリアに気付く事はなく、頬を赤く染めたまま、真剣な表情でソフィアリアを見据える。
「ソフィアリア様、お願いします。どうかアウィスは……代行人様だけは、解放してあげてくださいませ」




