幸せなダンスを 4
「リム、セイド嬢。そろそろ始まるけど、準備はいいかい?」
しばらく四人で歓談していたらフィーギス殿下が迎えに来たので、頷いた。プロムスが呆れを滲ませて溜息を吐く。
「フィー、城の使用人を洗い直した方がいいぞ。そこにある物は全滅だ」
そう言って顎でしゃくったのは隅で並べられてる、一切手付かずの飲み物と軽食だ。ここは誰にも見られる事はないし、いつもフィーギス殿下が気を利かせて用意させているらしい。
フィーギス殿下の口角がヒクリと上擦る。
「……よほどこの国に対する殺意が高いようだね? まったく、ほんと洒落にならないよ。セイド嬢もアミーもすまないね」
「平気ですわ。アミーが大屋敷から飲み物は持ってきてくれたし、食事は帰ってからゆっくり摂ればいいだけですもの」
「王城で食事をする気はありませんでしたので」
そう返しておけば、フィーギス殿下は重苦しく、疲れを滲ませた溜息を吐いた。本当に、色々と苦労しているようだ。
「フィー。それはいいから、さっさと終わらせよう」
「ああ、そうだね。では、ついてきたまえ」
そう言って歩きだしたので、オーリムにエスコートされたソフィアリアも続く。プロムスとアミーは裏からホールの方に回るようだ。
やってきたのは玉座の……陛下と現妃の前だ。その後ろには現妃の三人の王子も居る。
そちらを一瞥して、微笑んで目礼だけしておき、そして気にしないようにした。
フィーギス殿下を除いた五人の王族は皆、大鳥を快く思っていない事は知っている。なら、ソフィアリアの事も歓迎はしないだろう。チラリと見た陛下は冷たい無表情で、現妃は明らかに蔑みの目を向けてきていたのだから。
陛下達に背を向け、会場内に目を向ければ貴族達からの眼差しは好奇、品定めが大半。無関心と、侮蔑も少々。……どうやら、歓迎は少ないようだ。
それでも笑みを崩さずにいられたのは、右手に感じる大好きな人の温もりと、左手に持つ恋しい人の柔らかさを感じるおかげだ。心強い事この上ない。
二人に心から望まれたから、ソフィアリアはここに居るのだ。その他大勢の視線の意味なんて、全く気にならない。
「――皆の者、彼女が我が国を守護し永久の平穏を齎してくださる尊き神の王である王鳥様が望み、神々が認めた初の王妃――王鳥妃の位を戴く事になったソフィアリア・セイドだ」
フィーギス殿下は叫んでいないのによく通り、会場中に響き渡る声でそう宣言する。視線で促され、オーリムからは腕を少し前に引かれたのを合図に、ソフィアリアは一歩前に出て、お腹の前で腕を組み、前をまっすぐ見据える。大鳥の時とは違い、今度は一人で立たせないと言わんばかりに、そっと背に添えられたオーリムの手が心強く、嬉しかった。
「一季半前の聖都マクローラで起こった事柄の通り、彼女は既に王鳥の伴侶として共に過ごす事を許され、大鳥達にも頂点に立つ王鳥妃として全ての者達に認知されている。代行人様は人の身故に少々遅れをとる形となるが、既に二人は婚約者として教会に認められ、来春には婚儀を結ぶ。そのつもりで彼女を迎え入れる事を、汝らに願おう」
宣言が終わったタイミングで、大鳥達にも披露したカーテシーをしてみせた。見ていないが、会場内の貴族達からも礼やカーテシーを返されている気配を感じる。儀礼的なもので、感情は別だろう。
顔を上げ、オーリムにエスコートをされながら階段をゆっくりと降りる。デビュタントで王族への挨拶が終わった後、父に手を引かれながらこの階段を降りるという似たような体験はしたが、ここまで注目を浴びるのは初めてだ。
階下に降りると広く場所が開ける。音楽が始まり、会場中の注目を一身に浴びる中、差し出された手に手を添え、背に回された腕に囲まれながら、ソフィアリアも彼の二の腕に手を添えた。
始まったのは初心者向けの簡単なワルツだ。慣れていない為かオーリムのステップは少々ぎこちないが、そんな事も、周りの様々な思惑を感じる視線も、全く気にならなくなった。
だって恋をした、大好きなオーリムとの初めてのダンスなのだ。結局彼は恥ずかしがって二人で練習もしなかったから、これが正真正銘の初めてのダンスとなる。
「……フィアの方が上手いな。すまない、上手くリードしてやれなくて」
「わたくしは八年程かけて練習したのよ? リム様は一季半でこれだけ出来るのだもの。きっと運動神経がとてもいいおかげね。それに今日は、上手い下手なんて全く気にならないわ」
「実は、俺も。単純にフィアとこうして踊るのが楽しい」
秘め事のように小さな声で、二人にしか聞こえない言葉を交わしながら、二人の視線が絡み合う。少し照れているが、オーリムはまっすぐソフィアリアを、ソフィアリアだけを見つめているし、柔らかく蕩けるような表情をしていた。
この世界には二人しか居ないような錯覚を覚える、そんな甘やかな幻想に酔いしれてもいいではないか。
「……弟と練習はしたけど少しだけだったし、デビュタントでも踊らなかったからわたくし、リム様と踊った今日が初めてのダンスなの。どうしましょう? とっても幸せだわ」
ほうっと熱っぽい息を吐きながらそう言うと照れるかと思ったが、彼は珍しく目元を和らげただけだ。その事にドキリと心臓が高鳴るのを感じた。
「俺もフィアとこうして踊れて幸せだ。君は俺の、俺だけの最高のお姫さまだったから。こんな日が来るなんて、思わなかった」
ギュッと心が締め付けられる。名を呼ぼうとして、だが声にならなかった。代わりに響く心音がとても速い。
オーリムの変わった虹彩の黄金の瞳は、今は熱っぽくソフィアリアを見つめている。その意味がわからない程、ソフィアリアは鈍くはない。
違う。今だけじゃない。最初からオーリムはずっとこんな目をしていたのだ。ソフィアリアが疑っていただけで、彼はずっと、ソフィアリアだけを見ていてくれていた。
――『黄金の水平線の彼方』。探していた答えなんて、ずっと傍にあったではないか。彼はずっとそこで、ソフィアリアが見つけてくれるのを待ち続けてくれていた。それを今、はっきりと見つけられた。
ならば動けなくなった彼の代わりに、ソフィアリアが迎えに行けばいい。躊躇う必要なんてどこにもない。どんなに自罰の意思が強くても、人間は幸せを追求する心だけは、決して止められない。ソフィアリアはそれをよく知っていた。
ソフィアリアが作った罪と、オーリムが背負った罪と二つ分。二人でも背負えきれない大きさのそれは、世界で一番強くて優しい神様である王鳥も支えてくれるという。三人でなら、重さに潰されずにきっと生きていける。
「ねぇ、リム様。今は世界に二人きりね?」
ギュッと手を強く、握りしめれば
「ああ、そうだな。この世界には俺達二人しか居ない」
ギュッと強く、握り返される。
「でも足りないわ。わたくしたちには王様も必要よ?」
見上げた視線は、物足りなさそうに憂いを帯びて
「そうだな。だからさっさと終わらせて、王に迎えにきてもらおう」
見下ろした視線は、優しくそれを包み込む。
「二人がくれたドレスとアクセサリーを身につけてお空のデート、とてもロマンチックで楽しみだわ」
「今日は満月だから、いいデート日和だな」
二人にしか聞こえていない会話を踊りながら楽しみ、顔を寄せてくすくす笑い合う姿はまるで初々しい恋人同士のように。
曲が終わる。二人はふわりと腕を解いて、目線を下げながら、最後は向かい合って礼をした。
――その表情が幸福に満たされていた事なんて、お互いだけが知っていればいい。




