幸せなダンスを 1
――ふわりと、一歩歩くごとにフリルチュールレースが舞った。
ソフィアリアはこの日、早朝から起きて準備をし、侍女達に爪先から髪の一本までそれはもう丁寧に磨き上げられていた。
その為、朝食も昼食もオーリムとは共に出来ず、ずっと部屋に篭りきりだったので顔も見られず、また王鳥もバルコニーに閉め出されてしまい、一度も会う事は叶わなかった。
その事に不平たらたらな王鳥は、バルコニーから扉を嘴で突いていたが、侍女に怒られて渋々と引き下がっていったようだ。侍女達もすっかり逞しくなったなと思い、笑みが溢れる。
空が赤みを帯びてきた頃に漸く全ての準備が整い、玄関ホールで既に待っているらしいオーリムの元へと足を向けた。
早く会いたくて気持ちが急いでしまいそうになるが、一目見て綺麗だと思われたいので優雅さを損なわないように、けれど気持ち早歩きで。そんなソフィアリアの気持ちがバレて後ろの侍女に笑われたが、気にしない事にする。
「お待たせしました、リム様!」
階下でプロムスと話しているオーリムの姿を見つけて頬が緩み、まだ階段にも到着していないのに、思わず声を掛けてしまった。声が弾んでしまうのは許してほしい。
オーリムはその声に顔を上げ、ソフィアリアの姿を視界に捉えて目を見張っている。
その表情に満足げに笑みを深め、急いで彼の元へと向かう。階段を降りる時、プロムスに背中を叩かれたオーリムははっとして、慌てて階段を登ってきてソフィアリアに手を差し伸べ、支えてくれた。
「ありがとう、リム様」
「あ、ああ……」
声に緊張が混じっている事にニコニコしつつ、けれど側に居ても聞こえないくらいの小さな声で呟かれた言葉を拾ってしまい、ギュッと胸がいっぱいになるが、今は聞こえなかったフリをした。
階下に降りて、ソフィアリアはキラキラとした眼差しでオーリムを少し見上げる。視線が絡み合い、お互いがお互いの姿しか見えておらず、すっかり二人の世界に入っていた。
「今日のリム様は髪型もいつもと違って、正装もカッコよくて、とってもドキドキしてしまうわ」
ほぅっと熱交じりの息を溢しながら心からの言葉を口にすれば、当たり前のようにオーリムの顔が赤くなっていき、視線を逸らされた。
いつもは無造作に下されている前髪は七三に分けられて片方は右耳にかけられ、残りはアップバンクにして左に流されていた。額が顕になって変わった虹彩の瞳もよく見えて、顔がよくわかるその髪型はとても新鮮だ。普段は少し跳ねている髪も今日は固めたのか落ち着いている。
大きめの立襟で前が腰程、後ろは二股に分かれた膝下丈のコートはいつも羽織っているコートと似たような色と形だが、それよりももっといい生地を使っているようで、中の黒ベストには同色の糸で花と鳥の刺繍が全面に入れられ、いつもと違う白いシャツにはクラバットを着け、首元には琥珀の飾りが輝いていた。それはソフィアリアの瞳を連想させる為だろうかと思わず期待してしまう。
コートと同色のスラックスに黒のブーツと、ぱっと見はいつもと似たような装いだが生地の質が違って、何より髪型が全く違うのでいつも以上にカッコよく輝いて見えた。恋するソフィアリアの欲目と言われても、カッコいいものはカッコいいのだ。
「フィアも、その……綺麗だ」
彼なりに頑張って絞り出せたのがその言葉だったのだろう。言葉は少なくても、チラチラ感じる視線や緊張した声音でお気に召してもらえたとわかって気持ちがふわふわしてしまう。
「みんなにやってもらったのよ。喜んでくれたのなら、朝から頑張って良かったわ。素敵なドレスもありがとう」
見せつけるかのようにドレスを摘んで、首を傾げながら笑顔でポーズをとる。本当は回って見せたいが、我慢した。
柔らかな黄色のドレスはAラインで、胸上から二の腕の中頃まで覆われた生地からは、ドレスと同色のチュールレースの二股に分かれたマントが伸びていた。マントの裾には黒から青にグラデーションされた大ぶりだが緻密な刺繍が入れられている。
肩は大きく露出しているが、胸元はハイネックの黒のレース生地によって少し透ける程度に隠されていた。舞踏会用のドレスなら鎖骨辺りまで大きく露出するのはわりと普通なのだが、おそらくこれは肌を人目に晒す事を嫌がるオーリムのリクエストなのだろう。そんな胸元には、王鳥とオーリムの瞳を連想させるシトリンの繊細なネックレスが、黒のレースの上で映えている。
黄色いドレスには同色の糸で、おそらくオーリムのベストと同柄の刺繍が全面に入れられた至高の逸品で、スカート部分は波打つチュールレースフリルで黄色とオレンジが交互に折り重なり、最後の二段は青と黒で〆られていて人目を惹きそうな華やかさだ。
髪型はいつもは前に流されているのだが、今日は複雑に編み込まれてアップにされていた。未婚で婚約者ありならこの国ではハーフアップが定番なのだが、ソフィアリアはまだ婚約期間中とはいえ、もう大鳥にも認められた王鳥妃なので、こうするように頼んだのだ。
それに、今日の事を考えればこの方がきっと好都合だろう。
王鳥とオーリムの色を纏い、大鳥の関係者である証の羽を連想させる二股に分かれたマントを着けたソフィアリアは王鳥妃として、そして王鳥の伴侶でオーリムの婚約者として相応しく、何よりも美しかった。侍女達が頑張ってくれたし、ソフィアリアだって自画自賛したいくらいだ。
「――――王が早く見せに来いってさ。侍女には追い出されるし、朝から会えなくて拗ねてる」
「あらあら。なら、早く行かないといけないわね」
くすくすと笑う。そういえば大屋敷に来てから、こんな時間まで王鳥やオーリムと会えなかった日はなかったなと思った。
オーリムに手を引かれながら外に向かうと、扉を開けてすぐの玄関ポーチで王鳥は既に待っていた。オーリムの目を通して一部始終見ていた筈なのに、彼はソフィアリアの姿を自分の目で捉えると嬉しそうに寄ってきて、いつものように頭に擦り寄ろうとする。が……
「ダメですよ、王様? せっかくみんなに髪型を整えてもらったんですから、今日はスリスリ禁止です。手で我慢してくださいな」
「……ピー」
手を差し出すと少し不満そうに、けれど渋々といった感じで手のひらに頭を擦り付けてきた。そしてじっと視線を向けられる。
それになんとなく甘さを感じて、思った事を口にしてみた。
「王様も綺麗だと思ってくださってますか?」
「その……美しい、ってさ……」
何故か声を上擦らせてオーリムまで赤くなっていた。多分もっと何かを言っているような気がするが、照れ屋な彼が王鳥の代弁をするのも、今日に限っていえば大変なようだと笑ってしまう。
「ありがとうございます、王様。ふふっ、王様も今日はとっても素敵ですわね。よくお似合いです」
そう言って見上げれば、王鳥の首元にはオーリムと同じ、琥珀の飾りが付けられたクラバットが付けられていた。見せつけるかのように胸を張って「ピ!」と鳴く姿が可愛らしい。
「フィア。これは王から今日の君の為にって」
少し苦笑を交えつつ、オーリムはプロムスから縦長の箱を受け取ると、ソフィアリアに差し出してきた。まさか贈り物を貰えるとは思わず、目を見開く。
「まあ! ありがとうございます、王様。開けてもよろしいでしょうか?」
「ピイ!」
いいらしい。すぐ開けられるようになっていたので上蓋を取ると、中からは黒から青へグラデーションされた、まるで夜空のようなふわふわの羽毛で出来た羽扇子が現れて、なお驚く羽目になった。
「王様の扇子だわ」
「貴族には扇子は必須なんだろってさ。でも、これはないよな」
「そんな事ないわよ? 顔の傍に当てればとても勇気づけられそうだもの。……ありがとうございます、王様。毟った時、痛くありませんでしたか?」
見上げた表情を見る限り、大丈夫そうだ。確かに少々派手ではあるが、ソフィアリアにとっては、こんなに心強いものはない。
「ピーピ」
と、扇子の入った箱の中でふわりと風が起こり、扇子の上にいつの間にか小さな花が一塊現れている。その花を見て、思わず硬直した。
少しピンクがかった白の、雄しべに少しだけ特徴のあるこの小さな花は……
「ピ!」
「――――いや、急にどこかに着けろって言われても困るだろ」
オーリムも聞いていなかったのか、困惑した様子だ。
「えっ、マジですか? うわー、どこにしよう」
「髪に挿してあげれば可愛いかしらね?」
「そうねぇ。生花じゃなくて野花っぽいのが気になるけど、まあなんとかするわ」
今日着いてきてくれる三人の侍女は、どうするか算段しているようだ。急な変更にも対応してくれるなんて、素晴らしく優秀な侍女である。
「……もう。これを取る為に、一体どこまで行ってきたんですか」
「俺は花にそんなに詳しくないんだが、フィアは知っているのか?」
「ええ。よく、知っているわ」
花を一つ摘んで目の前に持ってくる。まさか今日ここでこの花を見られるとは思わなかったと、つい笑みが浮かんでしまう。
「……フィア?」
その笑みに少し哀愁が乗ってしまっていたのか、オーリムが心配そうな声音でそう声を掛けてきた。が……
「リム、もう時間がないからさっさと渡しちまえ」
オーリムはプロムスに何かを促されていたので、首を軽く振って考えを追い払い、表情を戻す。そして首を傾げて少し待ってみた。
「あ、ああ……。そのっ、俺からも」
まだ少し心配そうにしていたが、言葉を詰まらせながらアミーに目線で合図を送り、アミーは頷くと腕に大事そうに抱えた箱を持ってくる。そして上蓋を取り……
「……まあっ!」
口元に手を当て、その贈り物に魅入る。現れたのは、壊れないようにクッションになった台座の上に置かれた、繊細な細工の美しいティアラだった。
そっと手に取ると周りの花細工に囲まれて、真ん中には銀細工で縁取られた楕円形で黄金に輝く、胸元のネックレスと同じシトリンが。そしてそれを羽ばたかせるように両翼の細工があり、そこには小さくたくさんの一粒琥珀が付けられていた。
よく見れば片翼はソフィアリアの瞳と同じ色。もう片翼はもう少し濃い、輝くような――
「君に、それをつけて欲しいって思ったんだ」
何かを訴えるような真剣なその眼差しに、思わず泣きそうになってしまう。だがギュッと耐え、そっとその繊細なティアラを撫でた。
シトリンと両翼をよりよく魅せる為に添えられた周りの花細工は、ソフィアリアの知る花だ。彼はこの花の正体に気付いていないのだろうか?
「……綺麗ね。ありがとう、リム様。でもティアラを着けるのは、王妃様に怒られないかしら?」
とても嬉しいのだが、ティアラの着用は、王妃にしか認められていない。ソフィアリアは王鳥妃であって、王妃では無いのだが、いいのだろうかと疑問に思った。
「フィーには確認した。フィアは王妃より位が上だし、俺が望んだんだから文句はないってさ。むしろやれって言ってた」
それは怒られない訳ではないのでは?と思ったが、笑顔で頷いておく。それにオーリムの望みだし、ソフィアリアは王鳥妃だ。なら、着けるべきなのだろう。
ソフィアリアはティアラをもう一撫でしてから、そっとオーリムに差し出す。オーリムはその行動の意味がわかっていないらしく、きょとんとしていた。
その表情にふっと笑みが深まるのを感じながら言葉を……望みを紡いだ。
「リム様が着けてくださいな」
「ぅえっ⁈ いや、俺は着け方は知らないからっ!」
「あとできちんと直してもらうわ。けれど最初に着けてもらうのは、リム様がいいの」
強引にティアラを持たせるとそっとドレスを持ち上げて膝を折り、頭を下げる。まるで戴冠のようだと思った。
オーリムはしばらく動揺していたが、一度深呼吸すると意を決してそっと頭に乗せた……だけではもちろん落ちるので、一度浮かせ、髪に差し込むように着けた。少し上向きなのはご愛嬌だ。
とりあえず落ちない事に安堵したようなため息が聞こえたので頭を上げ、姿勢を正した。ちゃんと着けられていないのでグラグラして怖いが、バレないように必死で姿勢と笑顔を保っていた。
そんな苦労、オーリムは知らなくていい。ソフィアリアはソフィアリアの頭にオーリムがこのティアラを着けたという事実と、着けたいと思った気持ちが欲しいのだから。
「ありがとう。似合うかしら?」
そう尋ねれば、照れたように顔が真っ赤のまま、だけど満足そうにふわりと笑っていた。
「ああ。……本当に、お姫さまみたいだ」
階段で小さく呟いた言葉を、今度ははっきりと口にして――




