幸せのパンケーキ大作戦
「少女は救いを夢見る1」の前
ソフィアリア視点
オーリムが世界の歪みにあてられていると知った次の日の朝。
ソフィアリアはいつも通り朝食の準備をしようと厨房に赴くと、無人のはずなのに何やら甘い香りが漂ってきて、中を覗くとプロディージがいた。
「あら、おはようロディ。この時間にここにいるなんて珍しいわね」
昨日までのこの時間はオーリムと王鳥と剣術の訓練をしていたのにと首を傾げてそう声を掛けると、プロディージはフライパンから目を外し、むすっとした表情でこちらを振り向く。
「リムが寝坊して時間が空いたからね」
「お寝坊……」
「揺らしても叩いても起きなかったよ。だから今日から訓練はなしになるんじゃない?」
そう言って深く溜息を吐くものだから、ソフィアリアは笑みを引き攣らせた。
夢を介して洗脳を受けているオーリムは、今現在ソフィアリアからリスティスに心を強制的に移されている真っ最中らしい。それも外部からの干渉は不可能なようだ。
そんな事をされては当然面白くないと思うものの、ソフィアリアは今は耐え時だと決めたのだ。オーリムだけを救うなら容易だが、色々な事が絡んでいるから、一つずつ慎重に紐解いていかなければならない。
とりあえず今は色々な事に蓋をする事にして、プロディージが今し方まで見ていたフライパンに目を向ける。
「だからパンケーキを焼いていたの?」
「まあね。生地にココアを混ぜたパンケーキを作ってチョコソースがけをすれば最高なんじゃないかと思って、至高の分量を模索中」
「美味しそう!」
「食べたければ自分で作れば? 言っておくけど、ココアもチョコも分けてあげないから」
そう言ってジトリと睨み、わざわざココアパウダーとチョコレートを手元に手繰り寄せるのだから、ケチな弟である。
まあ、それはまた大屋敷に帰ってから作ってみる事にして、いいアイディアが浮かんで胸の前で手をポンっと打ち鳴らす。
「そうだわ、リム様にパンケーキを作ってあげましょう! 名付けて幸せのパンケーキ大作戦!」
「は?」
「おはようございます。遅くなり申し訳ございません」
「あれ、ディーがいる」
「おはようございます、プロディージ様」
プロディージがソフィアリアの発言に怪訝な顔をしたと同時に、身支度を終えたアミー、メルローゼ、マヤリス王女の女性陣三人もここに姿を現した。ソフィアリアが毎朝朝食の準備をしていると知っているので、今日も手伝ってくれるつもりだったらしい。
ちょうどいいところに来たと、ソフィアリアは三人にもにっこりと笑う。
「ねえ、みんなも旦那様に素敵な贈り物をしない?」
「ん? どういう事?」
「わたくしね、浮気中のリム様の気を引く為に、今からパンケーキを作ってあげようと思うの。みんなもどうかしら?」
「ピピ!」
真っ先に賛成の声をあげたのは、いつの間にか厨房の入り口に立って中を覗いていた大鳥三羽のうちの一羽、アミー大好きなキャルだった。アミーから手作りのパンケーキを貰える可能性に目を輝かせ、期待に尾羽が揺れている様子が大変愛らしい。
王鳥もヴィルも期待の眼差しをそれぞれソフィアリアとマヤリス王女に向けてくるし、神様お墨付きの名案となれたようだ。
まあ、アミーはすんっと無表情になってしまったけれど。
「お断り……」
「何それ楽しそう!」
アミーの却下と被すようにメルローゼが弾んだ声を出し、その返答は霧散する。
「ギース様にわたしの作ったパンケーキを食べてもらえて、ヴィル様にお供え出来る日が来るなんてっ……!」
マヤリス王女なんかはふわふわした雰囲気を撒き散らしながら、指を組んで期待に胸を膨らませているくらいだ。どうやらまだ一度も手料理を食べてもらった事がなかったらしい。フィーギス殿下にとってもヴィルにとっても、いい提案となったのなら幸いである。
周りが大賛成のなか断る事が出来なくなったアミーは、諦めて小さく溜息を吐いていた。
が、ソフィアリアにはあれは照れ隠しなのだとわかるのだ。アミーだってプロムスとキャルが大好きなのだから、本心では食べさせてあげたいに違いない。
「ふふ、決まりね。だったらみんなが降りてくる前に作ってしまいましょう?」
「はーい」
「ローゼは僕と共同作業ね」
「なっ、なんでよっ⁉︎」
「一緒にパンケーキ作りとか絶対楽しいでしょ。それとも、なにか不満がある訳?」
「うっ、な、ないけどっ……」
そう言って頬を赤らめ、恥ずかしそうにモジモジするメルローゼ。そんな弟夫婦のイチャイチャを目の当たりにし、ニコニコが止まらなくなるのは仕方ない。たとえそれが、料理の手腕が壊滅的なメルローゼが食材を無駄にするのを阻止しようとするプロディージの打算的なものだとしても、微笑ましい光景な事には変わりないのだから。
「姉上、視線がうるさい」
「ロディは顔とか目とか、うるさくなりようがないものをうるさいってよく言うわねぇ」
「姉上以外は聞いた事がないと思うよ」
そうなのだろうかと一番近くにいたアミーに視線を向ければ、静かに頷かれた。ソフィアリアしか聞いた事がないなんて、不思議な事もあるものだ。
そちらは今は気にしない事にして、さっそくみんなでパンケーキ作りの開始だ。エプロンを身につけ、各々想い人の事を思い浮かべながら手を動かしていく。
「ふふ、こうして自分で料理をするのは久し振りで、とっても楽しいです」
慣れた手つきで食材を選び、生地を混ぜていたマヤリス王女が笑顔でそんな事を口にする。その手際の良さを、アミーが羨望の眼差しで見つめていた。
「マヤリス王女殿下は手際がよろしいですね」
「ギース様に見つけてもらえるまでは自炊していたので、そのおかげでしょうか。料理を作るのは随分と久し振りで、少し浮かれているみたいです」
「リースが出来るなら、私も!」
「じゃあはい、この卵でも磨いておいて」
「卵を磨くの?」
「普段料理をしないローゼは知らないだろうけど、卵って磨けば磨くほど黄身が濃厚になって美味しくなるからね。なんならパンケーキ作りで一番重要な行程なんだよ」
「責任重大ね、わかったわ!」
そう言って張り切ってふきんで卵を磨き始めるものだから、マヤリス王女が困惑している。
「……ビドゥア聖島は大鳥様の住まう場所ですから、そういう事もあるのでしょうか?」
「ビー」
「そんな事ないけど、どうか内緒にしてあげてね? ロディは食材を無駄にすると本当にうるさいから」
食べるものがない極貧生活を送ってきたせいか、プロディージは食べ物が無駄になるのをとても嫌がるのだ。今はオーリムのせいでピリピリしているので、また以前のようにメルローゼと大喧嘩でもはじめられては目も当てられない。幸せのパンケーキ大作戦は、みんなが笑顔になってこそなのだから。
「……美味しくなるよう愛情を込めて磨いているのですから、本当に美味しくなるかもしれませんね」
「ふふ、そうだと素敵ですね?」
「ピピ」
と、アミーの回答を耳にしたキャルが魔法で卵を手繰り寄せ、せっせと卵を羽で磨き始めていた。チラチラとアミーを気にして……当のアミーはそちらを見ないように、新しい卵を取り出していたけれど。
「ピ」
「わっ、この茶葉をいただけるのですか?」
「フー」
「ありがとうございます、ヴィル様! 香りがいいので、細かく砕いて紅茶味のパンケーキを作ってみますね。ギース様のお口にも合えばいいのですが」
「ピー」
大丈夫だと言わんばかりに目を優しく寛げるヴィルに、マヤリス王女は幸せそうな笑顔を返す。すっかり仲良くなったようでなによりである。
これで、昨夜の事をお互い気まずく感じなければいいのだが。マヤリス王女に決断を下せとはまだ言えないが、そう思わずにはいられなかった。
なんだか一部切ない光景を見たが、みんな愛情を込めて作っているのだから、ソフィアリアも負けていられない。オーリムがいつものように目を輝かせて美味しく食べてくれるといいなと期待に胸を膨らませ、空気を含ませるように生地を混ぜていく。こうすればふわふわになると母から教わったのだ。
「おはよう。いい匂いがしているが、今日は皆が朝食を作ってくれたのかい?」
和気藹々とコツを教え合いながら生地を作り終え、パンケーキを焼いたりトッピングに手をつけ始めた頃にはいい時間になっていたらしく、オーリムを除いたフィーギス殿下達も降りてきた。厨房を覗き込んで、爽やかな笑みとともにそう声を掛けてくる。
「おはようございます、ギース様! はい、そうなんです。先程ヴィル様に香りのいい茶葉をいただいたので、紅茶のパンケーキを焼いてみました。お口に合えばいいのですが」
「フー」
「マーヤとヴィルが、私の為に?」
「はい!」
「とても嬉しいよ。今日は素晴らしい一日となりそうだ」
そう言って頬を染めながら微笑み合うフィーギス殿下とマヤリス王女は幸せそうだ。結果は上々でなによりである。
「アミーは当然オレのだよな?」
「ピ」
「――――いーや、オレのだろ。キャルはヴィル様みたいにオレに何か出してくれたりしてねーの?」
「ロムへの愛情を込めて卵を磨いていたわ」
「ピエッ⁉︎」
「……なんで卵を磨いた? まっ、いいや。サンキューな」
そう言ってプロムスがポンポンとキャルの胸を撫でれば、不服だと言わんばかりに表情を顰めたキャルは、ペシリとその手を払う。愛しのアミーの為だったのにとウルウルと目を潤ませてアミーを見つめたが、アミーは無視を決め込んでいた。
「フォルティス卿は甘くないものの方がよろしいですか?」
「出来ればその方がいいが、あるもので構わない。ロディが作ってくれるのか?」
「ええ。毒味はさせていただきますし、腕に自信もありますので、どうぞご期待ください」
「ディーのパンケーキはお義母様の次に美味しいんですよ! 私も毒味しますから、ぜひ召し上がってみてください」
「母上の次には余計。まっ、その通りだけどさ」
夫婦のやりとりをじっと見ていたラトゥスは、ふと何かを思い至ったようで、優しく目を和ませる。
「毒味は必要ない。メリットがないし、家族想いなロディが義弟である僕をどうにかするとは思えないからな」
「まあ、メリットがないのはその通りですが。フォルティス卿を義弟扱いだなんて、そんな大それた事思えませんよ。今だって学ばせていただく事の方が多いではないですか」
「呼称から入るのはどうだろう? 義兄上、義姉上」
「それは……」
「わー、すっごい違和感……。そっか、フォルティス卿はクーちゃんの旦那様だから、将来的に義弟になるんですね」
今更その事に思い至ったメルローゼは、そのあり得ない事態に遠い目をしていると、ラトゥスはどこか満更でもなさそうに頷く。
「僕もフィーがソフィ様にしているように、ペクーニア嬢に甘えてみるべきだろうか?」
「フォルティス卿に甘えられた私は、どういう反応を返せばいいんです? というか、なんでフィーギス殿下がお義姉様に甘えてるのか、意味がわからないんですけどっ!」
「ははっ」
「笑って流さないでくださいませっ!」
男性陣もやって来た厨房は、すっかり賑やかだ。この騒ぎを聞き付けたオーリムも、早く夢から醒めてしまえばいいのに。
「ピ」
思考が暗くなり始めた頃、王鳥に呼ばれたので笑みを貼り付けたまま視線を向けると、どこか困った子を見るような目と合った。仕方ないと言わんばかりに王鳥が目を細めると、黄金色の光がソフィアリアの手元に集まったので、慌てて光を掬い上げるよう、手の平を上に向ける。
やがて光は落ち着き、その中から出て来たものは。
「まあ、セイドベリー!」
「ピーピ」
「王様のセイドベリーですのね。これでソースを作ってパンケーキに添えますか?」
「ピ!」
それがいいらしい。嬉しそうな反応にくすくすと笑うと、暗い気持ちが散っていく。きっとこれは王鳥からソフィアリアを元気付けると同時に、オーリムへの激励の気持ちも含まれているのだろう。だったらソフィアリアがこれを美味しく作って、オーリムに届けてあげるのだ。
「へぇ〜、いいじゃん。チョコソースと合いそう。姉上、それ分けてよ」
「まっ! ココアもチョコレートも分けてくれなかったのに、なんて図々しい!」
だからプロディージにあげる分なんて、一粒だってないのである。
浮気尋問タイム前のお話。だんだんソフィアリアの様子があれになって…いや一部はいつも通りですが。
この作戦があったから、あの時も無駄にニコニコしていたのかもしれません。まあ空元気でしたが。




