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エピローグ〜その傷が癒える日まで〜 4



 夜闇の海は、果てのない暗闇とさざめきのような波を掻き分ける音の相乗効果で、ともすれば不気味な雰囲気を醸し出している。

 けれど、そこに恐怖を感じる事はない。安心できる神々が側にいてくれて、優しい光でこの場所を照らしてくれているのだから、むしろ星空が綺麗だと思える心の余裕すらあった。


「――とこしえの栄光が我らが主にも幸福をもたらすように」


 跪いて指を組み、日課である聖句を唱え終えたマヤリスは顔を上げると、最愛の人を見初めてくれた素晴らしい神を見て微笑んだ。


 まるでタキシードを身に纏った老紳士のようなヴィルは、今日は横を向いて片足を上げ、大きな翼を前後に広げて、まるで走るような姿勢を維持している。いつも聖句を唱える時は不思議な姿勢をとっているが、きっと人間ごときでは想像もつかないような、やんごとなき理由があるのだろう。


 少し離れたところにいる王鳥が、呆れたような視線を投げかけているのが、少しだけ気になるところではあるが。


「終わったかい?」


 そう優しく甘い声音で声を掛けてくれたのは、誰よりも美しい美貌を持つマヤリスの最愛。その声を聞いただけで、ぱっと輝くような笑みを浮かべて振り向いた。


「ギース様!」


 ――その笑顔こそが誰よりも愛らしいのだという自覚は、マヤリスにはなかったけれど。


 お互いの表情に頰を染めながら手を取り合って、甲板の淵に並んで海を眺める。背中には二人とくっつくようにヴィルもいてくれる幸福を噛み締めていた。


「コンバラリヤには、もう未練はないかい?」


 その言葉に顔を上げると、心配と探るような視線をマヤリスに向けてくるフィーギスと目が合う。


 そんな心配はいらないとわかってもらえるように、ふんわりと笑って(うなず)いた。


「心配がないと言えば嘘になりますが、そもそもわたしが心配したって何も出来ません」


「そうだね。ビドゥア聖島からコンバラリヤに発言する権利はない。逆にコンバラリヤから指図される(いわ)れもないけどね」


「ふふ、はい。だから、わたしはわたしが幸せになる為の準備で忙しいので、もう放っておこうと思います」


 一時はフィーギス唯一の妃という立場から逃げる為に、コンバラリヤに居座ろうかと逃げ道にした事もあったが、もうその気持ちは欠片も残っていない。というより、あの国に居場所を作っていなかったので、元々かなり無理のある策だったのだ。国民だって、逃げ道として君臨する女王なんて御免だろう。

 マヤリスはもう逃げるのはやめて、ビドゥア聖島の次代の王妃として、フィーギス唯一の最愛として、隣に並び立つと決めた。その為にやる事がたくさんあるのだから、コンバラリヤに心を残す余裕はないのだ。


 そう決意を新たにすると、フィーギスは破顔する。隣に立つのが恐ろしい程の美貌は目に毒だけれど、『マヤリス』の顔だって負けないくらい可憐なのだから、見劣りしないと信じたい。


「その幸せの中に、当然私は含まれているよね?」


「もちろんです! ギース様に幸せな大往生を迎えてもらえるよう、精一杯頑張りますねっ!」


 笑顔で胸の前で握り拳を作った瞬間、気持ちのいい潮風が吹き、夜闇に溶けそうなプラチナの髪が宙を舞う。

 その光景に神々しさすら感じたフィーギスはぼんやりと見惚れ、やがてぷっと吹き出すと、その髪を一房掬い上げ、毛先に優しく口付けを落とした。


 当然、マヤリスの頰が真っ赤に染まる。


「あのっ、あのっ……!」


「私の最愛の妃は、なんとも勇ましいね」


「ううっ……お褒めの言葉に恥じぬよう、全力を尽くします」


 頬を両手で隠して、茹だりそうな頭を必死に冷ます。


 フィーギスはそんなマヤリスを愛おしそうな目で見て、ヴィルと二人して髪を()いていた。

 そのまま波の音だけが響く静寂の中で、マヤリスはふと思い出したように、顔を上げる。


「あの、ギース様」


 ギュッと手を結んで真剣な表情をするから、フィーギスは目をパチパチさせて、首を傾げた。


「どうかしたのかい?」


「何故、わたしを『マーヤ』と呼ぶ事をお決めになられたのでしょうか?」


 それは、以前から聞いてみたかった事だ。


 マヤリスの場合、大体の人が思いつく愛称は『マヤ』だ。亡き母も乳母もそう呼んでいたし、メルローゼも出会った当初だけはそう呼んでいたが、響きが可愛いからという理由で『リース』に変更した。


 ところが、フィーギスだけは出会った当初から一貫して『マーヤ』と呼んでくれていたのだ。思いつかない事もないが、あまり一般的ではないその響きに懐かしさを感じ、心をより深く掴まれたと言っても過言ではない。


 だから聞いておきたかった。何故よりにもよって『マーヤ』だったのか。深い意味はないのかもしれないけれど、念の為。


「ああ、なんだ、そんな事」


 ふわりと花が綻ぶようは笑みに頰を染めたマヤリスは、でも聞き逃さないよう意識を集中させる。


 その表情をお気に召したらしいフィーギスはマヤリスの髪を()きながら、その真意を教えてくれた。


「特に理由はないよ」


「ううっ、やはりありませんか……」


「強いて言えば、神のお告げかな?」


 しょんぼりと肩を落としていたところにそれを告げられ、勢いよく顔を上げて、大きく目を見開く。

 神のお告げ。信仰深いマヤリスにとってはなかなか魅惑的な理由だと、キラキラと目を輝かせた。


「王鳥様の!」


「いや、王は関係ないから。でも、なんだろうね? マーヤの名前を聞いた時に、マーヤはマーヤだと直感的に感じたのだよ。だから、私にとっては一番マーヤという呼び名がしっくりくる」


 それで充分だと嬉しそうにコクコク(うなず)けば、ふっと甘い熱を宿したフィーギスの美貌が近付いてくるから、赤くなりながらもそっと目を閉じる。


 呼び名についての話を聞いて、やはりフィーギスはマヤリスにとって運命の人だと、強く意識した瞬間だった。




 ――これは王鳥以外誰にも言っていない事だし、王鳥の約束によってこれからも言えない事だが、マヤリスには前世の記憶というものがある。王鳥は何も言わないが、ここに連れてきてくれたのは王鳥なのではないかと思っていた。


 前世のマヤリスは『歌方(うたかた)真綾(まあや)』という親にも顧みられない病弱な少女で、病院の窓から眺める景色とたくさんの本だけが、『真綾』の世界の全てだった。結局、誰にも看取られる事なく、十二歳という若さであっけなく急死してしまったけれど。


 『真綾』だった頃に住んでいた世界は、おそらくこの世界とは別世界だったのだろう。こちらでは想像もつかないような高度な科学技術を有していたし、信じられない程文明が発展していた。なにより大鳥という神様は存在していなかったのだから。


 そういう前世の記憶があったから、マヤリスは六歳という幼さで、一人ぼっちでも教会で暮らすなんて事が出来たのだ。そうでなければ生活すらままならず、飢え死にしていただろう。


 でも、まさかミウムにも『真綾』の住んでいた世界の記憶があるような事を言っていたのは、正直驚いた。あんな事がなければ、前世の同郷という不思議な縁を結べたかもしれないのに。

 王鳥が誤魔化してしまったし、ミウムは記憶を消されてしまったので、これからも前世の記憶については誰にも言う事はないが、あの世界にあった便利なものや知識は、王鳥に怒られない程度にこちらでも再現していこうと思う。あちらの世界の叡智の結晶を、マヤリスの手柄とするのは少しモヤモヤするけれど、知っているのに使わず、そのせいで苦労する人が出るのを見過ごす事も、本意ではない。


 そうやってフィーギスの治世を素晴らしいものだったと後世伝えられるよう、二人で切磋琢磨していこう。マヤリスの中からマーヤ……『真綾』まで見つけてくれた、フィーギスの隣で。




 前世でも今世でも誰にも見向きもされなかったマヤリスと『真綾』がようやく掴めそうな幸せを、この世界で叶える。優しい王鳥が連れてきてくれた、この世界で。





            *





「ところで、王?」


 ずっとイチャイチャだけしていればいいのに、フィーギスはマヤリスを腕の中に囲って、わざわざこちらを見て首を傾げる。


『なんだ?』


「マーニュ卿に伝えた伝言の事だよ。何故あの伝言をミゼーディア嬢ではなく、マーニュ卿に託したんだい?」


「そのお話、わたしが聞いても大丈夫でしょうか?」


 ぷはっと腕の中から抜け出したマヤリスが、上目遣いでフィーギスを見上げる。


 フィーギスはその表情にやられたようで、ご機嫌に額に口付けながら、説明し始めた。


「ミゼーディア嬢が無事王位を継いだ暁には、子子孫孫、ミゼーディア嬢の面影を強く引き継ぐ事になるらしいよ」


「リスティスの? 色と顔という事でしょうか?」


『まあな』


「そうだってさ。でも、また何故?」


『そのくらい自分で考えるがよい。あと、絶対妃には言うでないぞ』


「ソフィには言ってはいけないのかい?」


「えっと、かしこまりました」


 不思議そうな顔をして(うなず)いているが、この話は別に伴侶との語らいを中断してまで、フィーギスが考えなくてもいい事だ。ただ、そうしておいた方が後々好都合というだけ。いわば、世界の歪みに強く影響を受けたリスティスへの、王鳥の詫びの気持ちである。


 マーニュに託したのは、リスティスよりもマーニュの方が上手く使えるだろうと思っただけ。


 ソフィアリアに内緒なのは、失敗談も必要と思っての判断だ。そうしておいた方が、ソフィアリアの為にもなるだろう。


 ……ああ、でも一つだけと、ニンマリ微笑んだ。


『マクローラにも似たような祝福を与えた事があるぞ』


「初代マクローラ王にも同じ事を?」


「という事は、わたし達の子はギース様に似るのですねぇ」


 何の気なしに言った言葉だったようだが、ふと反芻し、ぼんっと瞬間的に耳まで真っ赤に染まる。


 フィーギスはそんなマヤリスに、ニンマリと熱っぽい視線を送り、艶めかしく腰を撫でていた。


「私としては、マーヤに似た子がいいのだけれどね?」


「でっ⁉︎ でででですがっ、わたしはコンバラリヤの特徴を色濃く受け継いでおりますのでっ! や、やはりギース様に似た方がっ、国民の皆様も安心ではっ⁉︎」


「う〜ん、まあそうだけど。なんとかならないかい?」


『甘えるでないわ』


 きっぱり切り捨てると肩を竦めるから、違和感には思い至らなかったらしい。マヤリスの発言で注意が逸れたせいなのだろうが、実に残念である。


『まっ、もう強制力は切れておるがな』


「ああ、もう今は昔の契約だからねぇ。強制力が切れるのは仕方ないさ。だからマーヤは、安心してマーヤ似の子供を産んでね。出来れば娘か、息子の二人目以降に」


「そんな事わたしに言われても困りますっ!」


 そう言って胸をぽかぽか叩いて戯れているマヤリスと、幸せそうにケラケラ笑っているフィーギスを、ヴィルと一緒に温かい目で見守っていた。きっとマヤリスの心の傷はまもなく癒えるだろう。その予感を感じながら。




 ――マヤリス・サーティス・コンバラリヤ。母を亡くし、乳母を亡くし、まだ幼いというのにたった一人で放置されて、結局耐えかねて心を壊してしまった哀れな少女。


 少女はやがて心を護る為に、空想の世界を築き上げた。違う世界で生きてきた特別な存在という万能感は、上手くマヤリスの心を護り、乳母のしていた事を真似る事で、幼いながらも上手く生き延びてこられたようだ。

 そうやって見様見真似で生き延びられるほど秀才なマヤリスは、やがて現実逃避として読み込んだ本の知識をするすると吸収し、脳内で勝手に応用し、なのにそれは前世の叡智と信じて疑っていないのだから、謙虚というかなんというか。


 そしてマヤリスを護った空想はリスティスと遠縁という理由で世界の歪みに流れ込み、ミウムに悪影響を及ぼしたのだから、なんとも面倒な話である。実はミウムをあそこまで不思議な人間にしたのはマヤリスの影響だったなんて伝えるのもどうかと思うので、この辺りの事情は墓まで持っていくつもりだけれど。


 王鳥はそうやってマヤリスの心の均衡を保ちつつ、話を無闇矢鱈に広めて外部から矛盾を指摘されないよう、こっそり護っていた。よくよく聞けばおかしなところだらけなのだが、マヤリスだけが信じている分には何も問題はない。


『まあ、その空想も幸せの中で流れて、いずれ思い出す事もなくなろう』


 ちょっとマヤリスに肩入れし過ぎて、ソフィアリアの悋気に触れてしまっているようだけれど。

 ソフィアリアだって周りにも目を向けずにはいられないのだから、この程度の人助けは大目に見てもらいたいものであると、くつくつと笑った。



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