エピローグ〜その傷が癒える日まで〜 2
「レイザール殿は、きちんと約束を果たしてくれたかい?」
アミーとプロムス――ついでにキャルも――が学園長と未来の約束をして和やかに話している間に、フィーギス殿下がレイザール殿下にそんな事を話し掛けているから、今度はそちらに注目する事にした。
レイザール殿下はどこか晴れ晴れとした表情で鷹揚に頷く。今までどこか仄暗さを纏っていたのが嘘みたいで、これが本来のレイザール殿下の姿なのだと察するには充分だった。
「ああ、言いたい事は全て伝えた。もう俺に悔いはない」
――その表情と言葉から連想される未来に胸を痛めて、どうしてもくしゃりと表情をを崩してしまうけれど。
でも、今更どうしようもない事だ。最悪の未来の中で最善の行動が取れるよう、ほんの少しだけお手伝いが出来た。それで満足しようと何度も言い聞かせて……結局、不恰好な笑みを浮かべる事しか出来ない自分の不甲斐なさが嫌になる。
「リスティス様はどう仰られていましたか?」
「女王になる事を受け入れてくれた。それだけで充分だ」
「……そうですか」
もっと色々あっただろうに、自分だけの想い出として最後まで抱えていくつもりか、もしくはリスティスの言葉が上手く伝わらなかったか、返事まで聞く勇気はなかったか。
どちらにせよ、本人が満足しているのだから、これ以上の詮索は余計だろう。ソフィアリアからは、もう何も言わない事にした。
「マヤリス」
そんな事を考えているソフィアリアを置き去りに、話は次に進んでいく。
名前を呼ばれる心当たりがないらしいマヤリス王女は、首を傾げていたが。
「何かしら?」
「もう二度とコンバラリヤの地に足を踏み入れてくれるな」
強い光を宿して言い切ったレイザール殿下の言葉に目を丸くして、でも納得出来ないのか、負けじと目を吊り上げる。
「何故? 貿易の約束を反故にするというの?」
「そのあたりはリスティの判断に任せるが、これからコンバラリヤ王国は荒れ、大きな転換期を迎えるだろう。その時にリスティより継承権が上のマヤリスがいては余計な妨げとなる」
至極真っ当な事を言われたマヤリス王女はグッと怯み、俯いて逡巡しているようだった。
この国の王位継承権だが、二人を並べると年上のリスティスよりマヤリス王女の方が上だ。それはマヤリス王女が現国王陛下の娘だからという理由もあるが、前女王陛下を長女としてマヤリス王女の祖母が次女、リスティスの祖母が三女だったという理由も加味される。
なので、レイザール殿下が廃太子された状態でリスティスを立太子していたとしても、そこにマヤリス王女がいると、王位に相応しいのはマヤリス王女だと推す勢力が必ず出てくるだろう。この手の争いは決まって激化するので、リスティスに王位を継がせたいレイザール殿下は、マヤリス王女を手の届かない所に追いやっておきたいようだ。
嫁ぎ先は小国の島国とはいえ、神の頂点である王鳥に次代の王妃と認められたのだから、正式にビドゥア聖島に嫁いでしまえば、コンバラリヤ王国から安易に手出しは出来なくなる。それでも万が一がないとも言い切れないので、一時帰国すら防いでしまいたいらしい。
理屈はわかる……が、安易に頷けない理由も、マヤリス王女にはあるのだ。
「二度と、というのはあまりにも酷ではないかな、レイザール殿? この国にはマーヤの母君や世話になった乳母殿だって眠っているのだよ?」
いつも浮かべている笑みを引っ込めて、マヤリス王女を援護するよう威圧的に言い放ったフィーギス殿下の言う通りだ。
たとえマヤリス王女がどれほどこの国に苦しめられようと、生まれ故郷だった事には変わりない。大切な人のお墓参りすら阻まれるなんて、あんまりではないだろうか。特に母親なんて、マヤリス王女がいなければ誰にも見向きもされないくらい、隅に追いやられてしまっているのだから。
けれどレイザール殿下も引く気はないのか、首を横に振るばかり。
「すまないがマヤリス個人の感情よりも、国の安寧の方が大事だ」
「ではわたしに、母の存在を忘れろと言うの?」
「墓守が必要なのでしたら、私が引き受けます故。非情ではございますが、何卒ご理解ください」
そう言ってマーニュまで左胸に手を当てて、深々と最敬礼の姿勢をとる。
理屈は通っているし、そこまでされてしまえば、マヤリス王女もこれ以上反論し辛いのだろう。ギュッと悲しげに眉根を寄せ、やがて観念したように大きく息を吐いた。
その息が震えている様が、なんとも痛ましい。
「っ! お待ちくださいませっ、レイザール殿下、マーニュ卿!」
そんな様子を、マヤリス王女の事が大好きなメルローゼは黙っていられず眉を吊り上げるが、プロディージに肩を引かれて静止した。
「ローゼ、いくらなんでも国政に口出しするような真似は、僕も許さないよ」
「っ! でもっ‼︎」
「ありがとう、メルちゃん。わたしなら大丈夫です」
マヤリス王女が諦めたように笑ってそう言ったから、メルローゼも納得出来ないながらも、引くしかなくなってしまった。最後の抵抗とばかりにレイザール殿下を無言で一睨みしてから、扇子を広げて噛んだ唇を隠し、一歩下がった。
マヤリス王女はそんなメルローゼに優しく微笑みかけ、すっと表情を引き締めると、改めてレイザール殿下と向かい合う。
「……そこまで言うのだから、必ずコンバラリヤ王国を安寧に導きなさい」
「リスティなら必ずやり遂げてくれるだろう」
「私も、微力ながらその支えとなりましょう」
レイザール殿下とマーニュがそう断言したのを見届けて、マヤリス王女は悲しそうに微笑んだ。
「……なら、わたしもその約束を守るわ」
その発言に安堵し、少し申し訳なさそうな顔もして、レイザール殿下は頷いた。
なんとも沈痛な空気がこの場を支配しているが、こういう時こそソフィアリアが動くべきだろう。
殊更明るい笑顔を浮かべると、パチンと大きな音を立てて両手を合わせた。
当然、みんなの注意がこちらに向く。
「そういえば、リース様のお母様にご挨拶をする暇もなかったわね」
「ソフィ?」
急に何を言い出すのかと訝しむフィーギス殿下は後回しにして、ソフィアリアは一人で話し続ける。
「わたくしね、お友達のご両親にはきちんと挨拶をしなければ気が済まない主義なの」
「ああ、そうだよね。姉上は義理堅いを通り越して、押し付けがましい面倒な人間だし」
「うふふ、ありがとう、ロディ」
もちろん全て即興で思いついた嘘だが、意図を察したプロディージが援護してくれるのだから、ありがたい弟だ。悪口を言われた気がするが、気にせず礼を言っておく事にする。
「だからまた今度、ご挨拶しに伺いますわ」
そう言ってにっこり笑うと、レイザール殿下は迷惑そうに眉根を寄せていた。
「断る」
「あら、何故? 別にいいではないですか。こっそり来てこっそり帰るだけですから、わざわざレイザール殿下に許可を得るつもりはありません」
「ソフィアリア様!」
「はい、決まりですわ。王様に頼んで誰にも姿を見られないようにしますし、絶対迷惑は掛けませんので、ご安心くださいな。ね?」
「ピ」
そう言って王鳥と二人でコロコロ笑ってみせると、神である王鳥なんて説得出来る気がしないと白旗を上げたのか、目元を覆って溜息を吐かれた。
「……絶対見つからないようにしてほしい」
「勿論ですわ。ああ、そうそう。立場的にわたくし一人では行動出来ませんから、アミー以外にも鳥騎族を夫に持つ侍女を連れてきますけど、どうか見逃してくださいませね」
そう言ってフィーギス殿下とマヤリス王女を見てパチンと片目を閉じて見せれば、突然目配せされた二人は目を丸くして、でも意図を察して笑ってくれた。マヤリス王女なんかは目を潤ませて、軽く頭を下げてくれる。
……そう、その鳥騎族と侍女がとても見目麗しく、非常勤で雇われた人間だったりするだけである。別に何も間違った事は言っていないのだ。
そんなやりとりをしていたから、さすがのレイザール殿下も事情を察したのだろう。ジトリと半目でソフィアリアを睨み、けれど諦めたように肩を竦めた。
「……訪問はお忍びで、ついてくるのが鳥騎族と侍女なのだから、俺達は何も知らない」
「ええ、誰も知らない、わたくしの秘密のお遊びです」
そういう程だと話だけは通しておく。こっそり行動に移してあとからバレるよりも、予め知っておいてもらった方がいいだろう。知っておいでもらうだけで何も期待しない。それでいいのだ。
話し合いも終わり、そろそろ本格的にお別れの時間がやってきた。
「改めて。一週間世話になったね」
フィーギス殿下が差し出した手を、レイザール殿下も取って握手をする。
「こちらこそ、コンバラリヤから未知の現象を取り除いてくれて感謝している。……この国についてだが、そちらの不利益にしかならないと判断したら、遠慮なく切ってくれていい」
「おや? そんな事を言っていいのかい?」
「出来れば末永くリスティを助けてやってほしいが、ここから先は我が国の問題だからな。他国にまで迷惑を掛けるつもりはない」
そう言い切ったレイザール殿下は今になって、この国の誰よりも王座に相応しい風格を漂わせていた。色々吹っ切れてからようやくなのだから、色々惜しいなと思う。
こうして成長した姿で、リスティスと二人でコンバラリヤ王国を建て直してほしかった。どうしてもそう考えずにはいられないのだ。
「ピ」
王鳥はそう鳴いて、フィーギス殿下をじっと見つめる。
フィーギス殿下は不思議そうな表情で、王鳥を見つめ返していた。
「――――それを、マーニュ卿にだけかい?」
「ピーピ」
「わかったよ」
どうやら王鳥はフィーギス殿下に何か頼んだらしい。フィーギス殿下はマーニュに近付くと、彼にだけ聞こえるように耳元に唇を寄せ、何かを話していた。音は拾えないし、向こうを向いているので唇を読む事も不可能。内容は少し気になるが、王鳥がマーニュにしか話すなと言っているのだから、諦めるしかないだろう。
伝え終えたフィーギス殿下はマーニュに背を向け、こちらに戻ってくる。
マーニュは軽く目を見張り、王鳥を見ていた。
「マグ?」
「いえ……そうですね。然るべき時まで、その話は私が預からせていただきます」
そう言って左胸に手を当て、深々と最敬礼をする。
見上げた王鳥は、どこか満足そうに目を細めていた。
ソフィアリアはピンとくるものがないが、何かいい置き土産でもしたようだ。きっといつか必ず役に立つ、素晴らしいものなのだろう。
それをソフィアリアが知る日は来ないだろうが、好きなように有効活用すればいいと笑みを深め、王鳥を撫でた。やはり王鳥は、人間想いの優しい神様だ。
「ソフィアリア様」
まさか名指しで呼ばれるとは思わなかったが、レイザール殿下の方を振り返って、首を傾げる。
「ふふ、何か文句でもおありですか?」
思えばソフィアリアはレイザール殿下に、なんとも傲慢な態度を取り続けていた気がする。
オーリムに似ていたからなんとなく世話を焼きたくなったのだ、と言えば聞こえがいいが、会ったばかりの大国の王太子にする事ではなかっただろう。今更だが、少し反省していた。
だがレイザール殿下は目元を優しく細め、首を横に振る――そんな表情、ソフィアリアに向けてもらう資格はないのに。
「リスティと仲直り出来たのは、ソフィアリア様に背中を押してもらえたおかげだ。ありがとう」
「……申し訳ございません。本当はお二人を幸せにしたかったのに、わたくしはっ……」
優しい言葉に堪えきれず、とうとう弱音を溢してしまった。
わかっているのだ。王鳥に諭された通り、今更どうにもならないというくらい。何の解決策も思いつかないけれど、仲直り出来た今ならと、どうしても考えてしまう。
レイザール殿下を王に向かないと評価したが、これだけ立派に立てているのなら充分ではないか。だからもし――……。
悲痛な顔をして、ぐるぐると思考を巡らせ始めたソフィアリアを見て、レイザール殿下はふっと笑う。
「……俺は洗脳された後しかよく知らないが、そんなに代行人様に似ているのだろうか?」
顔を上げる。しばらくレイザール殿下をじっと観察したソフィアリアは、やがてゆるゆると首を振った。
「いいえ、レイザール殿下はリム様と同じくらい不器用で危なっかしいですが、立派に独り立ち出来ておりますわ」
「その言い方だと代行人様は自立出来ていない人間のように聞こえるが……」
「リム様には王様がずっとついていらっしゃいますし、わたくしもおりますので、やる時はやれるくらいでちょうどいいのです」
「そ、そうか……」
何故みんな、オーリムの寝ている馬車の方を憐れむような目で見つめたり笑ったりするのだ。甘えるべき人に素直に甘えられるのは可愛いところなのだから、決して短所ではないのに。
「……代行人様とは、結局剣の決着はつけられなかったな。だがきっとあのまま戦っていれば、俺が勝っていた」
「まあ! 本当のリム様は槍が一番得意なんですのよ!」
「そうだったのか。惜しい事をしたな。それでも俺が勝ってやった」
だったら次は得物を変えて戦ってみるといい、という提案が喉から飛び出そうとしたので、慌てて飲み込んだ。その次が来る事は、きっともうない。
場の空気が和んだところで、お互い穏やかに微笑みあった。きっと思い詰めたソフィアリアの為に、気を使ってくれたのだろう。
だからソフィアリアも、ようやく余計な考えから解放された気がした。
「ソフィアリア様がどう思おうが、俺にとってリスティとの仲を取り持ってくれた恩人には変わりない」
「……左様でございますか」
「ああ。そんな難しい立場にいる恩人が幸せになる事を、どこか遠くで祈ろう」
そう言って最敬礼をすると、マーニュと学園長もそれに倣った。
大国の王太子にそのような行動をさせる事の出来る王鳥妃という立場の重みを再認識し、切なさを覆い隠して胸の前で指を組む。
そうやってほんの少し、王鳥妃らしく見える事をしてみたくなったのだ。
「……これからあなた方の進む道で、思うままの最善を掴み取る事の出来るよう、王鳥妃として心よりお祈りいたします」
何の効力もなく、自己満足でしかない言祝ぎを与え、けれど最後に見た三人の満ち足りた表情を、ソフィアリアは生涯忘れる日はないだろう。
――たとえもう二度と会えなくなったとしても、きっと……。




