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そして『ラズ』はいなくなった 7



「――貴重な賓客と共に迎えられた今日この日を誇らしく思う。この一年邁進(まいしん)した自身へのねぎらいと新学年への期待を胸に、今夜は楽しもう」


 多目的ホールに用意された舞台上で生徒代表者挨拶を行なっていたレイザール殿下が手に持つグラスを掲げると、生徒や先生達も同じようにグラスを掲げ、中身を煽った。


 その様子を舞台袖から見学していたリスティスは会場内を見渡し、首を傾げる。


「どうかしたのか?」


 と、こちらに戻ってきたレイザール殿下がそんなリスティスを少し心配そうな目で見ていて……慣れない視線を少し居心地悪く思いながら、問いに答えた。


「ルルスはどこにいらっしゃるのですか?」


「知らないが」


「……ルルスをエスコートするとおっしゃっていたのはレイザール殿下ではございませんでしたか?」


 煩わしそうに言い捨てるレイザール殿下をジトリと睨みつけると、バツの悪そうな顔をして視線を逸らされた。本当はずっと嫌っていたらしいが、何の思惑があったにせよ、誘っておいてその態度はあんまりではないだろうか。


 ……それを頭の片隅に気に留めつつ、レイザール殿下のエスコートで入場してしまったリスティスもあまり人の事は言えないけれど。


「あの方でしたらレイに置き去りにされた後、急に倒れ、医務室に運び込まれたそうです。今は眠っていらっしゃるそうですので、気にせずパーティを楽しんでほしいと、学園長から伝言を預かりました」


 一蹴したレイザール殿下に代わって、苦笑したマグヌがそれを教えてくれた。


「……だ、そうだ」


「付き添いに行かないのですか?」


「なんで俺が」


「どんな理由であれ、お誘いしたパートナーにそのような言い草はどうかと思いますよ」


「……今度な。今は、その、許してほしい」


 そう言って縋るような目で訴えてくるなんて卑怯ではないか。そんな顔をされたら、許すしかなくなってしまうのだから。

 とはいえ、近年ろくに話してこなかったレイザール殿下を甘やかすような素直さは持ち合わせておらず、そっと顔を背けた。


「……ご随意になさってください」


「ああ、ありがとう」


 ――そう言っただけで嬉しそうに微笑むなんて、本当に卑怯だ。


 舞台袖で三人で話している間に、フィーギス殿下達留学生とマヤリス王女の挨拶も終わったから、いよいよパーティ開始の音楽が鳴り響く。


 わざとらしい咳払いが聞こえて何事かとそちらに視線を向ければ、どこか緊張した様子のレイザール殿下が、こちらに手を差し出していた。


「その、踊ってくれるか……?」


 何故、今日に限ってそんな事をわざわざ尋ねてくるのだろうか。修了パーティ一曲目は、王太子であるレイザール殿下とその婚約者であるリスティスが踊るのが恒例で、今年はそこにフィーギス殿下とマヤリス王女と同時に踊り始めるという事以外は、いつもと何も変わらないのに……だから、無言で手を取ればいいだけなのに。


 なんだか会話らしい会話をしているだけで泣きそうになっているのを無表情の下に隠しながら、その手を取る。


「ええ、よろこんで」


 そんな可愛げのない定型分しか返せなかったのに、レイザール殿下は花が綻ぶような幸せそうな表情をした。


 ――思えば共にダンスを踊った回数は数あれど、こうして直接言葉で誘われ、それに応えるようなやり取りは、これが初めてだったかもしれない。

 お互い無邪気な子供でいられた時に楽しみにしていた事の一つ、大人になったら一緒に踊ろうという約束を、今になってようやく叶えられたような気がした。


「……叶えられてよかった」


 おそらく独り言だった小さな声が隣から聞こえたから、レイザール殿下も同じ気持ちだったようだ。それに触れる勇気は、リスティスにはない。


 レイザール殿下のエスコートでホール内に降りて、フィーギス殿下とマヤリス王女の二人から少し離れたところで向かい合って、ダンスの形を取る。

 音楽が切り替わるタイミングで慣れたように呼吸を合わせ、優美に踊り始めた。


 こうやって社交ダンスをするのはもちろん初めてではない。公務や夜会の同伴だって、もう数えきれない程場数を踏んでいる。けれど、お互いの視線が絡む感覚なんて初めての経験だった。


 だからだろうか……こんなに胸がドキドキしてしまうのは。


「リスティ」


 なんとなく甘さが乗っているような気がする声で呼ばれて、意識をレイザール殿下ただ一人に集中させる。そうすると、なんだか世界に二人きりになったような錯覚を覚えて、胸が温かくなった。


「はい」


「先程も言ったが、俺はルルスと恋仲になった事はないし、むしろ苦手だと思っていた」


「……はい」


「勝手に付き纏われて迷惑していたし、俺からルルスを誘ったのは、この前のダンスの授業の時と昨日の事だけだ。リスティに二人きりにされた後も、すぐ撒いていた。信用出来なければマグに聞けばいい」


「……余計な事をしてしまい、申し訳ございませんでした」


 どうやらリスティスの思い込みは本当に思い込みでしかなく、レイザール殿下に多大な迷惑をかけ続けていたようだ。

 そんな事にも気が付かなかったなんて、自分は何を見ていたのだろうか。先程ソフィアリアにレイザール殿下の何を知っているのかと指摘されたが、本当にその通りだった。リスティスは何も知らないどころか、勝手に心変わりした婚約者という最低なイメージを押し付け続けていたのだから。


 色々冷静になってみれば、何故あんな父を信じていたのかも、馬鹿らしい現状に甘んじていた理由も、何もわからない。本当に、ずっと長い間悲劇のヒロインを気取って、何をしていたのだろう。


 そのせいで見ず知らずの代行人と王鳥妃(おうとりひ)まで迷惑を掛けていたのだから、あまりの無礼さに身震いする。下手すれば神の不興を買ってしまい、この国を滅ぼされかねない失態だったのではないだろうか。


 そう思って内心青褪めていたら、ふっとレイザール殿下が寂しそうに笑ったから、瞬時に反省の言葉が霧散して、なんだか目が離せなくなった。


「……リスティにルルスとの仲を取り持つような真似をされた時は、本当に傷付いた」


「申し訳、ございませんでした……」


「謝らなくていい。……さっきも言ったが、情けなくて嫌われたのだから仕方ないって諦めた俺も悪かったと思う。嫌だってきちんと言える度胸があれば、リスティを一人にしなかったのにな」


 その言葉と、くるっとターンをした拍子にグッと手を強く握られたから、思わず目を見開き、顔を強張らせる。


「……わたくしは、別に……」


「勝手にすまないと思ったが、ソフィアリア様に聞いた。リスティが夢の中でずっと『ラズ様』と過ごしていたんだって」


 今度こそ、何も言えなくなってしまった。口を開いたものの、何も言葉が出てこない。

 まさか知られてしまっているとは思わなかった……いや、ソフィアリアなら話しそうではあるが、何故黙っていてくれなかったのかと、心の中で悪態をつく。


 だって、その夢は本当は――……。


 何も言い返してこないリスティスを見て、レイザール殿下がその結論を突きつける。


「その『ラズ様』は代行人様ではなく、俺だと思っていいか?」


 ――レイザール殿下と共に過ごす夢だったと、ようやく自覚したばかりなのだから。


 ルルスにレイザール殿下を託そうと決めて、距離を取る事を決めたあの日。

 けれど、本当は嫌だ、自分の場所だったのにと悲鳴を上げた心は、夢の中に願望を映し出していたらしい。

 幸せだった過去を振り返るような懐かしい記憶と、母が亡くならなければ、ルルスがいなければ、今頃こうなっていたのではないかという幸せな願望を叶え、心を慰めてくれていた。


 食事を抜かれて空腹に苦しめられた時は、同じような状況下で苦労を分かち合い、一緒に食事を摂る夢を。


 王妃教育が厳しくなった日には、一緒に勉強をしていた楽しい日々を振り返って、幸せな気分を思い出させてくれる夢を。


 祖母が母に贈り、母からリスティスに贈られるはずの別荘を父や義母、義妹に踏み荒らされたと知った時には、かつて母の前でした約束を思い出し、レイザール殿下と共に別荘に行って、同じ景色を楽しむという約束を叶える夢を。


 お茶会を楽しんでいるレイザール殿下とルルスを見た時は定期訪問を思い出し、そういえばレイザール殿下は意外と甘いものが好きだったなと思いを馳せた。リスティスの好みを彼は覚えているだろうかと寂しく思いながら、いつか美味しく淹れられたらいいなと練習していた紅茶を淹れてあげる夢を。


 他にもたくさんの夢を見続けた。


 王妃教育と領地経営の両立が辛い時は腕の中でたくさん泣いたし、お互い幸せな表情で社交ダンスを踊ったりもした。中庭を散策していた時の夢に慰めをもらい……結婚し、子供がいる夢だって見た事がある気がする。まるでヒーローみたいなレイザール殿下に助けてもらって求婚されるような一幕を夢で見た日は、どこのロマンス小説かとほんの少し笑ってしまったけれど。


 そうやって夢の中でレイザール殿下とずっと一緒に過ごしていたから、レイザール殿下がルルスを選んだと誤解しても、少しも寂しくなかったのだ。


 ……いや、違う。 


「はい、レイザール殿下です。本当はずっと、小さな頃から変わらない二人の関係を、望んでいました」


 くしゃりと表情を崩す。とうとう徹底的に隠していた事が暴かれていく。リスティス自身すら欺いた心の内が曝け出され、今まで見ていた何もかもが、ガラリと色を変える。 


 その表情を見たレイザール殿下も――レイザールも、痛みを堪えるような表情をしていて、触れている手に力が入ったのを感じた。


「すまない、リスティっ。そうやってずっと救いを求めていた事にも気付かず、俺はっ……!」


 その言葉が合図となって、最後のガラスがパリンと音を立てて砕け散った。リスティスの心を覆い隠していたものが今この瞬間、全て取り払われていく。



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