そして『ラズ』はいなくなった 3
『あの女の言うラズ様とはリムではなく、おそらくレイザール殿下の事です』
昨日、レイザール殿下達と別れた後。ガシガシと苛立たしげに後頭部を掻きながら話してくれたプロディージの憶測に、その場にいた全員が驚愕した。
特にソフィアリアはかすかな期待を胸に、前のめりになって問いただす。
『それは本当なの?』
『文字にすればわかりやすいんじゃない? あまり考えつかない愛称だけど、頭の方はそう読めなくもないし』
『あ〜、うん。なるほど? そこまで考えていなかったよ』
『盲点だったな……』
そう言われれば案外わかる事だったのに、ラズという名前はオーリムの事だという固定観念にとらわれていたせいで、他にも『ラズ様』がいる可能性を見逃してしまっていたと反省する。
『……ではリスティス様は本当は……』
『ずっと夢の中で、仲が良かった頃のレイザール殿下と過ごしていたのかもね。それがリムがラズと呼ばれるのを聞いたか……もしくはミドルネームに過剰に反応して、夢の中の存在がすり替わったってところかな。詳しくは本人から聞かなきゃわかんないけどさ』
まだ憶測だが、それが正解なのだろう。その場合の二人の事を考えてしまい、重苦しい沈黙が流れた。
*
オーリムに押し倒されていたソフィアリアは、半身を起こして王鳥にもたれかかり、離さないよう抱きついたまま眠ってしまったオーリムの背中をトントンとあやしながら、リスティスにこの国で起こっていた世界の歪みについての顛末を今度こそ全て話した。
当たり前だが、無意識だろうととんでもない事をしてしまっていたリスティスは、顔面蒼白になっていく。それでも毅然とした態度で受け止めようとしている姿は、先程と違って女王然としているなと思っていた。やはり昨日ソフィアリアが感じた疑念は正解なのだろう。
「……私のせいで皆様に多大なご迷惑をお掛けし、大変申し訳ございませんでした」
最後まで聞き終えた後、リスティスは謝罪の言葉を口にして深々と頭を下げるから、ソフィアリアは困ったように微笑む。
「リスティス様のせいではないわ。思っている事がなんでも現実になるだなんて、夢にも思わないもの」
「ですが……代行人様に多大なご迷惑をおかけし、ミウム様の人生を大きく狂わせてしまったのは事実です。ヴィリック元殿下やきっと他にも……わたくしの存在はいつも、害悪にしかなっていません……」
「っ、違うっ‼︎」
だんだんと暗くなっていく表情をどう慰めればいいかと考えていたら、最後の言葉に反応したレイザール殿下が悲痛な声を上げる。その表情は苦しげだった。
けれどリスティスは無表情で振り向いたあと、首を横に振る。
「庇ってくださる必要はありません。事実、母の死からずっと、わたくしの存在は誰かの妨げになっております。レイザール殿下もわたくしさえいなければ、ルルスを程よく迎えられ……」
「誰があんな女迎えるかっ⁉︎」
思わず強い口調で拒絶したレイザール殿下を、リスティスはすっと目を細めて睨み付けた。
「ここで取り繕う必要はないのではないでしょうか?」
「取り繕ってない! 俺はっ……」
そこで勢いに乗って本心を曝け出せばいいのに、何故か言葉を詰まらせるレイザール殿下に溜息を漏らす。リスティスの考え通りの最低の婚約者像を演じるか、素の自分を曝け出すのか、どちらかを貫けばいいものを。
そんな調子ならと、ソフィアリアも遠慮しない事にした。まだ望み通りになる可能性が残っているなら、勝手にその道を追求してみるまでだ。
大袈裟に音を鳴らしながら扇子を広げ、こちらに注目が向いたのをいい事に、ジトリとレイザール殿下とリスティスを睨み付ける。
「世界の歪みの事はわたくし達の責任ですので、リスティス様に責任を負わせるような真似はいたしません。お二人の仲をより複雑にしてしまった罪も当然、贖わせていただきますわ」
「わたくし達の仲に今回の件は無関係です。政略的な結びつきがあるだけで、元より拗れるような繋がりはありません」
リスティスの発言を聞いて精神的大ダメージを負っているレイザール殿下は後回しにして、まずはリスティスと対峙する事にした。
「そうやっていつまでレイザール殿下と向き合う事から逃げるつもりなの?」
身に覚えのない……と思いたいらしいリスティスはソフィアリアの言い草に、強く睨みをきかせる。
「逃げた覚えはありません」
「では何故、執拗にレイザール殿下を遠ざけようとするの?」
「遠ざけてなどっ……!」
「遠ざけていないと言うならば、リスティス様の一方的な思い込みを押し付けるのはいい加減おやめなさいな」
それを指摘すると恐怖で顔を強張らせるリスティスを見て、過去何かあったのかと考えを巡らせるが、それはレイザール殿下と直接向き合うべき問題だろう。ソフィアリアからは触れない事にし、言葉を続ける。
「わたくしから見たレイザール殿下は少々頼りなく見えるけど、リスティス様が思うほど、婚約者を蔑ろにしているようには見えないわ」
「……二つの事を同時に気にかける事が出来るような器用な方ではないのです。だからレイザール殿下はルルスを選んだ。それだけの事だと重々理解しております」
「ははっ、その性質は王族としては致命的だね、レイザール殿?」
フィーギス殿下からポンっと肩を叩かれたレイザール殿下は、ますますしょげていく。まあ王族……それも王太子である以上、複数の策略を同時並行出来ないのは苦労しそうではあるが、今は関係のない話だ。
「ええ、そうね。とても不器用な方なのは、少しお話を聞いてみてもわかったわ」
「ですから」
「だからずっと昔から、一途にリスティス様の事ばかり考えているのよね」
被せ気味にふんわり笑ってそう言うと、リスティスは一瞬目を見開いて、でもすんっと無表情に……心なしか仄暗さすら感じる表情をし始めた。
「ありえません」
「それはレイザール殿下から直接言われたの?」
「いいえ、見ていればわかります」
「リスティス様は幼少期からルルス様が来るまでの間しか、まともに交流していなかったのでしょう? なのにレイザール殿下の何を知っているっていうのよ」
「……幼い頃に交流していたからこそ、本質を熟知している。それで充分ではありませんか」
「そんな訳ないじゃない。環境や教育、周りの人間によって人は安易に変わってしまうものよ。それはリスティス様だってよく知っているでしょう?」
性格が悪いとわかっていながらそれを突きつけると、不快そうに眉根を寄せる。幼少期のリスティスがどんな子だったのか知らないが、そんな顔をして反論してこないという事は、図星なのだろう。
気合いを入れるよう息を吐いて、わざとらしくニッコリと笑った。
「なんてね。本当はレイザール殿下の事、遠巻きにしながらずっと見ていたから、よく知っているのよね」
途端、リスティスは大きく目を見開き、レイザール殿下は勢いよく顔を上げた。
「だから最近は没交渉だったし、恋人がいると知っているのに、一番の理解者は自分だと言わんばかりの態度だった。そうでしょう?」
「違います!」
「違わないわ。……ずっと勘違いしていたけどね」
パチン、と音を鳴らして扇子を閉じ、言い聞かせるようにその琥珀の瞳をじっと見つめる。
自分の瞳なんて直接見た事はないが、ソフィアリアと同じ琥珀色でも、リスティスの方が透明感が強く、儚い印象を受ける。
そして実際、ソフィアリアよりずっと繊細な人なのだろう。そんな人なのに、苛酷な状況を一人で堪え抜いてきたのだから、大したものだと思う。
でも、もういいではないか。いつまでも堪え忍ぶ必要はない……いや、本当は最初からそんな事する必要はなかったのだ。泣いて、縋って、助けを求めるべきだった。たとえ状況が変わらなくても、絶対に味方になってくれる人がいるというだけでも、心強かったはずなのだから。
――遅過ぎた、と思わなくもないけれど、すれ違い続けて終わってしまうよりはずっといいと自分に言い聞かせて、それが出来なかった理由を勝手に暴く事にした。
「それなのに、レイザール殿下から遠ざかってのは……いいえ、違うわね。リスティス様をレイザール殿下から遠ざけたかったのはどうして? 一体何をそんなに怖がっているのかしら?」
最初は反応が乏しかったのであえて正反対に言い換えて尋ねてみれば、今度こそ表情が恐怖で凍りついてしまったから、これが正解だったらしい。
心の傷を無理矢理抉り出すのは申し訳なく思うが、引っ張り出してしまわなければ何も変わらない。全部レイザール殿下に見せつけてしまえばいい。
たとえそれによって、レイザール殿下がもっと傷付いてしまおうとも、今の状況よりかはずっといいはずだから。




