そして『ラズ』はいなくなった 2
『昨日うちに来てくださった時にね、レイ兄様からこれをもらったんですのよっ! お義姉様は……』
『あのね、お義姉様。お義姉様が知っているレイ兄様の事を全部教えて欲しいのですが……』
『昨日初めてレイ兄様と街にお忍びに行きましたの! お義姉様はレイ兄様とどこに…………あれ? ないのですか……? ごっ、ごめんなさいっ……!』
『今度お茶会があるでしょう? お義姉様とレイ兄様の挨拶回りが終わったら、二人でこっそり抜け出したいのですが……』
ルルスはあの日言った通り、レイザールと会う前後に相談や報告にやってきた。
父は相変わらずリスティスを嫌っているのか居ないものとして扱うし、義母は絶対ルルスの邪魔をするなと釘を刺しにくるばかり。別に言われなくても邪魔しないけど、信用がないそうだ。
家族はそんな感じで使用人も冷たく、公務で会ったレイザールもルルスの事があるからか、気まずそうにするばかりで、めっきり会話もなくなった。こちらからも何を言えばいいかわからない為、これでいいと思う。
そんな調子だったから、積極的に話しかけてくるルルスに癒しすら感じていたのかもしれない。だからレイザールの情報を渡したし、中庭でお茶会をしていたのを見てもそっとしておいた。橋渡しが必要な際は手助けもした。
レイザールは何か物言いたげな目をしていたが、別に遠慮する必要はないのだと安心させて、そっと二人から距離を置く。リスティスの事なんて、愛を育んでいる二人が気にする必要はない。
そんな事が日常化し始めたある日、不思議な夢をたびたび見るようになった。
最初はお互いボロボロの服を着て、小さい頃のレイザール――ラズと魚を食べる夢。夢の中のラズは魚釣りが得意で、焚き火で焼いた丸焼きをリスティスにもわけてくれて、一緒に食べた。
――今のリスティスの部屋着はそうだが、何故ラズまでボロボロの服だったのかと笑って、よほどお腹が空いていたんだなと苦笑する。そう言えば昨日、義母の突発的な思いつきで食事抜きにされたから何も食べていないけれど、今は特に空腹は感じないし、久々に笑えて心が温かくなった気がした。
次に見た夢は、一緒に勉強していた頃の夢。
『ねえ、ここ、わかるかしら?』
本当は答えなんてわかっていたけど、リスティスより覚えの悪い事を気にしていたラズを励ましたくて、わざとそれを聞いてみる。
誇らしい顔で解いてくれたから褒めてあげたら、とても嬉しそうな顔をしていた。
夢から醒めたリスティスはそんな事もあったなと懐かしく思い、昨日の王妃教育は特に難しかった事を思い出す。昔のように苦労を分かち合ってお互い褒め合いたかったから、こんな夢を見たのかもしれない。
次は小高い丘の上にある母の別荘だった場所に、ラズと遊びに行っていた。
別荘の裏側に回って、柵もない高い場所から景色を見回す。ちょっと怖いなと思っていたら、ラズはギュッと手を握ってくれた。
帰るかと心配そうな目で見つめられたから、ゆるゆると首を振る。
『……ううん。それよりずっと一緒にいて、同じ景色を眺めたい』
そんな夢を見たのは、リスティスを除いた家族が母の別荘に避暑に行った時。実際はリスティス一人でも行った事なんかなくて、どんな場所なのかは知らないけれど。
――そういえば、いつか一緒に行こうと約束していた気がする。結局、叶う事はなかったなとぼんやり考えていた。
それからもたびたび、ラズと過ごす夢を見るようになる。
夢の中のラズは現実のレイザールの年齢に追いついてもリスティスに優しくて、変わらず仲が良く、好きでいてくれた。現実のレイザールはルルスと恋仲だけれど、夢の中のラズはずっとリスティスを最優先に考えてくれていたのが、本当に嬉しかったのだ。
二人に悪いと思いつつ、たまに見るその夢を楽しみに生きていた。そしたらもう、辛い現実なんてどうでも良くなっていった。
――それが現実逃避でしかないのは、わかっていたけれど。
学園に通うようになって、二人は人目を憚るのをやめたのか、堂々と一緒にいる姿を目撃した。
そして王城で騎士に混ざって訓練するレイザールに、ルルスがタオルと水を渡している姿も。後日レイザールのおかげで登城許可が降りたのだと、ルルスは嬉しそうに報告しに来た。
――何故レイザールに興味がなくなったリスティスが騎士と共に訓練をしていたのを知っていたのかは、考えないようにする。
王妃教育も終盤に差し掛かった頃、リスティスは初めて父に呼び出された。
「これからはおまえがやれ。王妃殿下からの課題だ」
そう言って渡されたのは、領地経営全般をリスティスが担うと書かれた誓約書。さすがにこれには困惑した。
「ですが……」
「口答えするのかっ⁉︎ 王妃殿下からの課題をっ‼︎」
「……かしこましました。謹んでお受けいたします」
学業や王妃教育と並行して、広大な公爵領の領地経営なんてする暇があるかと不安だったが、そう言われれば否という選択肢はない。
だからわかってしまった。母が亡くなってから父が行っていた領地経営がどれほど杜撰で、家族が散財をくり返して来たのかを。
せめて領民がこれ以上苦しまない為に、リスティスが必死になるしかなかった。
それでも家族は散財をやめないし、むしろ若干持ち直したからか、より酷くなっていく。注意をすればリスティスの経営手腕が酷いからだと罵られ、王妃殿下からも注意を受けた。
「このくらい出来なくて王妃が務まると思ったいるのかしら。白髪女の遺伝の劣等性が透けて見えてよ」
「……申し訳ございません」
その言葉はリスティスと共に母まで否定されたようでショックだった。そんな風に言われた日から、領地経営にますますプレッシャーを感じて、心がすり減っていくばかり。
そんな時に慰めてくれたのは、やはり夢の中のラズだった。隠れて泣いていたリスティスをラズは優しく抱き締めて、味方になってくれた。
『……待ってろ。すぐに助けてやる』
そう耳元で囁かれた時、リスティスは初めてここから助け出してほしいという願いを抱いた。
とはいえ現実のレイザールはルルスと恋仲で、リスティスの事など気にも止めないので、レイザールに助けを求める気にはならなかったけれど。夢の中のラズが現実に現れてくれないかと考え始めたのは、この頃だった。
そんな風に考えはじめたある日、ずっと王城内の廃教会で隔離されていたマヤリス王女がビドゥア聖島の王太子に救出され、婚約をもぎ取りにくるという大事件があった。似たような境遇だったらしいマヤリス王女がそうやって助けられたのが羨ましいと、そんな事を思ってしまった。
王鳥を使った脅しのような形の婚約だったとはいえ、様々な交渉を経て行った二人の婚約式。そこで初めて大鳥――王鳥の姿を拝見し、側には夜空色の髪の男の子がいた。ああ見えて代行人という、どの人間よりも高い位にいるらしい。つんと澄ました無表情が、なんとなく印象に残る。
婚約式も終わり、帰る前に王城の資料館に寄る途中で、王鳥と代行人の姿を見かけた。
挨拶すべきかと思ったが、元々両国に国交もなく、ビドゥア聖島とは今後貿易という繋がりが出来るが、大鳥の加護とは無関係だと念押ししていた事を思い出し、そのまま通り過ぎる事に決める。
「――――だから、ここでラズって呼ぶなって――――」
風に乗ってそんな声が聞こえて来たので、代行人の名前が『ラズ』というのだと、初めて知った。
――代行人はどの人間よりも……それこそ王族よりも偉いのだ。もし夢の中のラズが代行人だったら、ビドゥア聖島の王太子のようにその身分を振り翳してでも、リスティスを救い出してくれるのではないだろうか……。
なんて、くだらない妄想を一蹴し、再び資料館へと足を向けた。
その日から夢の中で逢瀬を重ねていたラズの姿がぼんやりとしかわからなくなり、肩書きが代行人になっていた。本当に、夢とはなんて都合がいいのかと苦笑し、その夢をより一層待ち望む毎日が続いた。
それからまたしばらくして、学園内で優秀な特待生の女子生徒を助けるレイザールの姿を目撃し、助けた女子生徒にリスティスにも向けないような優しい笑顔を浮かべていた事に、キシリと心が軋んだ気がした。
婚約者であるリスティスがどのような境遇に立たされているのかも知らず、助けを求めている事なんて全く気が付いていない癖に、他の子が困っていたらあんな風に笑って助けるのかと、勝手に失望したのだ。
……いや、あの特待生の見た目のせいだろう。彼女はどこかルルスに似ているから、思わず手を差し伸べてしまったようだ。
そう無理矢理納得させて、リスティスはその場を後にした。
――その日から夢の中で会うラズの髪色がアッシュグレーではなく夜空色になったのは、レイザールにまだどこかでリスティスが苦しんでいる事に気が付いて、助けてくれるのではないかと期待していたのかと笑ったが。
だがもう、夢の中でもレイザール……レイザール殿下に助けて欲しいと思う日は二度と来ないだろう。ラズという名前はリスティスだけに許されたレイザール殿下の特別な愛称だった事も、二度と思い出す事はないよう心の奥底に封じ込めた。
リスティスに必要なのは夢の中で出会った『ラズ様』であって、レイザール殿下ではないのだから。
そうやってレイザール殿下を切り捨ててまで選んだラズも、最後は婚約者であるソフィアリアを選んだ。
いや、元からリスティスだけを求めてくれるラズなんて存在してないのだ。夢は夢でしかなかったと、今更強く実感する。
レイザール殿下がラズだった頃、リスティスと仲が良かったのはルルスと出会う前だったからで、現実に姿を現したラズは、代行人が洗脳されてラズという役割を与えられ、無理矢理リスティスの方に目を向けられていただけだった。
現実で仲がよかったラズも、夢の中で逢瀬を重ねたラズも、結局リスティスの前からいなくなってしまった。
……ただ、それだけ。




