甘橙の恋慕の変心 4
『では僕はマーニュ卿の足止めを引き受けよう』
『まあ! よろしいのですか?』
『つーか、大丈夫なのかよ』
『打ち負かせと言われれば自信はないが、足止めくらいなら出来ると思う。こう見えて、逃げ回る事は得意だ』
『そこは私もお墨付きをあげるよ。頑張ってくれたまえ』
『ああ』
今朝話した作戦通り、ラトゥスはマーニュと対峙する事になった。
フィーギスやプロムスのように鳥騎族ではないラトゥスは立ち回りにより、上手くリスティスとマーニュを引き離せた事に一安心する。
マーニュも意図は察していのだろう。それでもまんまとしてやられた事に渋面を作りながら、ラトゥスと真っ向から対立した。
お互い言葉少なな為、黙々と一撃、二撃と剣を交わらせる。見た目通り一撃一撃が重いなと、淡々と考えていた。
なんとか力の拮抗を保ったまま、とりあえず他の人達と合流させない事だけを意識すればいいだろう。
変わり映えのしない応酬に少し飽き始めた頃、ふと聞いてみたい事が頭に浮かんだ。
「マーニュ卿は何故、レイザール殿下に従うんです?」
「側近として当然ですが」
端的過ぎて意図を汲み取ってもらえなかったようで、目を眇めながら当たり前の解答が返ってくる。
撃ち合いを続けながら、首を傾げた。
「ですが、このままレイザール殿下に従っていれば、どのような結末を迎えようと、待っているのは主の破滅です。それをみすみす許容するのですか?」
ラトゥスの考えでは、レイザール殿下がああ言っていたのだから、本当にリスティスに王位を継がせようとすると思っている。
その為には現在、レイザール殿下を含めた生き残っている王族の存在が邪魔だ。元王族だって、表向きは殺処分と言えなくもない追放が決まっているヴィリックを除いた全員が、邪魔になるかもしれない。
それを解決する為に、レイザール殿下が取ると思われる策を察するのは容易い。レイザール殿下とはそれなりの仲なのが見て取れるマーニュがそれを許している事が、心底不思議なのだ。
だから、その心境を聞いてみたかった。同じ側近として、仰ぐ主が破滅の道を行く事を、何故こうして手助けまでしているのかと。
マーニュはふっと、寂しそうな目をして笑った気がした。
「レイは昔からどうしようもなく不器用で、不憫や奴でした」
ギリギリと刃がせめぎ合って、力を抜けば押し負けそうだ。
それでも目を逸らさないまま、マーニュの言葉をただ静かに聞いていた。
「想いあっていたはずの婚約者であるリスティス嬢からも気が付けば見限られ、王太子でありながら血統のせいで周りの目は厳しく、それでも期待に応えるようひたむきに努力をしてみても、両親も兄弟も無遠慮に足を引っ張ってくるばかり」
「心中お察しします」
「ありがとうございます。……元々いっぱいいっぱいだったんです。せめてリスティス嬢との婚姻で何か変わればいいと願っておりましたが、昨日の事があって完全に折れてしまったみたいですね」
それは仕方ないと思う。ヴィリックのやらかしで王族の威信は完全に失墜し、挽回は不可能に近い。誰からも好かれ、政治手腕に天賦の才でもあれば、まだ可能性があったかもしれないが、残念ながらレイザール殿下は凡才の努力型で、厳し過ぎる道のりになる事必須だ。
極め付けはオーリムの――『ラズ様』の事。あれはどんな強靭な精神をしていようが、堪えられる気がしないとラトゥスでも思う。
お互い剣を弾いて、距離を取る。そろそろ息が荒くなってきたのが自分でもわかった。
「だから、楽にしてあげたいという事でしょうか?」
「それもありますし、私がレイを断罪すれば、どうにか逃がしてあげられます」
なるほどと、先の先まで考えを理解した。しみじみと頷いて、同情のこもった視線をマーニュに投げかける。
「お互い主が捨て身だと、どうしても苦労しますね」
「フィーギス殿下は立派にやっておられるではないですか」
「ああ見えてフィーも厄介ごとばかり背負っております故。一時はヤケになって、なかなか大変だったんですよ」
それを教えると意外だったのか、目を丸くしていた。
まあ、王鳥と和解し、マヤリス王女がいる今、もう馬鹿な真似はしないだろう。
たとえこれから何を知ってしまっても、きっと――そう願って、もう一度マーニュに立ち向かっていった。
*
「昨日は結局試合をする事が叶わなかったから、こうして力比べが出来て嬉しい、よっ!」
レイザールの剣を叩き落とすつもりで振り下ろしたフィーギスは、だが想定以上のスピードが出てしまい、止めるタイミングがぶれる。
紙一重で躱したレイザールはその隙を突いてくるが、芝生を纏わせながら薙ぎ払って、後ろに下がらせた。
鳥騎族になりたては今までと勝手が違って、慣れるまで苦労すると聞いていたが、なるほど、これは大変だと苦笑い。このままでは剣が先にダメになりそうだ。
「……どいてくれ」
「断るよ。ソフィにレイザール殿の相手をさせる訳にはいかないからね」
「だったらソフィアリア様にやめるよう説得してくれないか?」
「ははっ」
笑って誤魔化すと猛スピードで突っ込んできたから、上手く受け流して足を引っ掛けてみる。つんのめる勢いを殺さず回し斬りなんてしてきたから、躱しながら見事だなと目を輝かせた。
ビドゥア聖島は大鳥の守護によって平和が約束されている為、武術に関して言えばめっきり衰えてしまった。一応自警団や兵士、騎士がいて、剣術は貴族の嗜みとはいえ、この国基準で言えば、子供のお遊びのようなものだろう。
けれど、ここは軍事大国だ。ビドゥア聖島では達人の域だと言える洗練された技を見せつけられて、心躍ってしまうのは仕方ない。
なんて、自分の慣れない力に振り回されつつも、そう観察出来るだけの余裕はあった。
「疑問なのだけれどね」
体勢を立て直したレイザールの一閃を受け止めながら、フィーギスは呑気にも首を傾げてみせる。
その余裕が癪に触ったらしく、顔を顰めていたけれど。
「レイザール殿が王太子の座を放棄して、ミゼーディア嬢に次を託したくなる気持ちはよくわかるよ。私が同じ立場でも、きっとそうしていただろうからね」
フィーギスはどちらかといえばリスティスの立場に近いのだが、もし自分より高貴な血統を持つ優秀な人間が他にいたならば、喜んでこの座を明け渡す。フィーギスはマヤリスを娶る事さえ出来れば、あとは補佐なり完全に貴族社会から離れて鳥騎族になるなりすれば、それでいい。むしろ今でもそうならないかと思っている節がある。色々面倒な事になるので誰にも言わないけれど。
そこまではわかるのだと思いながら剣を弾いて、距離を取った。
「けれど、何故リムをあてがおうとしているんだい? そこは他国の王族か、この国の有力貴族を選ぶべきではないかな?」
そこがどうしてもわからないのだ。国が荒れる事が予想されている次代だからこそ、そのルールは守って然るべきだというのに、何故そこにオーリムを添えようとしているのか。
相応しい人物ならと考えた時に一番最初に浮かんだのが、幼少期からレイザールの側で教育を受けた優秀な人物であり、歳の離れた弟がいるので実家も安泰のマーニュだったけれど。
目を眇めながらそれを尋ねると、レイザールはすっと目を細める。
「代行人様だぞ。血統なら何も問題ない」
「大有りだよ。代行人は先天的なものではなく、王鳥が生きている人間の中から選んでくる後天的なものだ。それも大体は身寄りがないか先がない人間をね。リムは少し事情が違うけど、それでもスラムの孤児だった事実は変わらない。そんな人間を、王家に迎え入れるつもりかい?」
と正論を説いてみたが、これを言うとオーリムとソフィアリアの娘を次の王太子の婚約者にしようとしているフィーギスにも刺さる問題な気がする。まあ代行人を王族に迎え入れる事と、代行人と王鳥妃の娘を迎え入れるのはまた違う問題だと、言い訳を並べておいた。
「代行人様であれば、それでいい。リスティの為にも」
「王家の婚姻を恋愛感情だけで決めると、本人達はともかく次代以降がろくな事にならないのは、レイザール殿も理解しているはずだけれどねぇ……。それとも代行人という肩書きがほしいのかな?」
「……それも有益だろう」
目を逸らしてのたまった言葉に吹き出す。どう見ても後付け、今し方思いついたのだろう言葉を間に受けるほど、素直ではない。
そのままケラケラ笑っていると、ギロリと睨まれた。まあ、こちらも冷笑を返すけれど。
「私から……我が国から代行人を取り上げようなんて、喧嘩を売られているのかな? 大鳥の存在一つで国防を賄っている我が国がどうなろうと、知った事ではないと?」
「そちらには王鳥様も健在で、大鳥様に愛されている王鳥妃様もいるだろう。代行人様一人が抜けたところで、どうなりようもないと思うが?」
「片割れだろうと大鳥に深く関わる人間が他国にいる状況が問題なのだよ。それを許してしまえば、次に狙われるのはソフィだ」
「王鳥様も大鳥様も全力で護るだろう」
「話にならないね」
これ以上話すのも馬鹿らしくなって言葉を一蹴し、苛立ちのままにレイザールに剣を振るう。
ソフィアリアが攫われる心配なんてしていない。この世界中を探してもソフィアリア程護りを固められた者がいない事くらい、よく理解している。
フィーギスが懸念しているのはソフィアリアが人間に狙われるという状況を、無闇矢鱈に生み出してしまう事だ。そうなった場合王鳥も大鳥もどう動くのかがわからない。
計画を事前に察知して実行犯や主犯格だけを狙うなら御の字。狙った国ごと潰すのも、まあ許容範囲だろう。
問題は面倒だから人間全てをいらないと判断してしまった場合だ。そうなれば人類なんてあっという間に滅ぶ。
きっとレイザールはそこまで考えきれていない。説明するほど親切にしてやる気にもなれないので、その状況を生み出す可能性を徹底的に叩き潰すだけだ。
*
「隙だらけだぜ、ポンコツがっ!」
「くっ……!」
プロムスの大剣を槍に滑らせて、辛うじて勢いを殺す。
もう一本槍を出現させてプロムス目がけて突いたものの、簡単に掴まれ、そのままオーリムごと投げ飛ばされてしまった。
着地と共に体勢を立て直し、苦し紛れに短剣を投げる。そんなもの簡単に弾き飛ばされるとは、わかっていたけれど。
一度距離を置いて、お互い目で牽制し合う。
それにしても、何故プロムスはあの女――ソフィアリア側についたのだろうか。特にプロムスは女性嫌いで、オーリムの記憶では、むしろ苦手に思っていたはずなのに。
――それはいつからそう思ったのかは、思い出せないけれど。
なんだか頭にモヤがかかってきたのを振り払うように、槍を投げてみる。弾き飛ばすのは想定内として瞬時に懐に飛び込み、鳩尾に一撃入れた。
「ぐっ⁉︎」
そのまま押し飛ばそうとしたが、踏ん張りながら出してきたナイフで横に払われたのを紙一重で躱し、また距離が開ける。
「へっ、やるじゃん」
オーリムに殴られた鳩尾を一撫でし、ニッと笑ったプロムスの気迫に押されながら、再度槍を構えた。
――ここで負ける訳にはいかない。早く決着をつけて、リスティスを助けにいかないと。
「……なあ、リム。本当にソフィはもういいのか?」
どことなく寂しさの乗った声でそう問われ、いつから愛称呼びするようになったんだと不快に思い――何故そう思ったのかわからず、首を傾げる。
「いいもなにも、セイド嬢を連れてきたのは王だ。俺は関係ない」
「関係ないわけねーだろが」
「婚約の話か? 俺は不本意だったし、心に決めた人がもういる」
そう、この婚約にオーリムは最初から反対していたのだ。それを無理矢理連れてきたのは王鳥だから……それに、オーリムにはずっと昔から、心に決めた存在が……。
何も間違っていないはずなのに、何か食い違っているような不安が胸を占める。
その正体を探るようぼんやりしている間、プロムスは動かず待ってくれていた。
――何を間違えているというのだろう。夢にまで見たお姫さま。彼女と再会した日から毎日が幸せで、もうすぐ結婚だってするはずだったのに。
……結婚? 誰と?
脳裏に浮かんだ夜空とウエディングヴェールを被った女性。その女性の正体は――……。
もうすぐ何か掴めそうな瞬間、視界の隅にリスティスに鉄扇を振りかぶろうとしているソフィアリアの姿が目に入る。
「リスティっ⁉︎」
その瞬間、オーリムの頭はリスティスでいっぱいになった。




