甘橙の恋慕の変心 1
大変お待たせしました!
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王立学園の修了パーティで突如起こった、王太子による婚約破棄騒動。
何ともありえない、喜劇にすらならない薄ら寒い催しを、ソフィアリアはぼんやりと眺めていた。
やがて物語に組み込まれた舞台装置のようにオーリムがそちらに足を向けるのを引き止めようと、思わず手を伸ばす。当然、かすりもしなかったけれど。
この場から一歩も動けないソフィアリアを置き去りにして、オーリムは今し方婚約破棄を突きつけられた王太子の婚約者――リスティスを、ヒーローのように救い出す。お姫様のように抱え、その指から結婚指輪が抜け落ちて床に転がっていくのを、呆然と見ている事しか出来なかった。
が、さすがに二人の顔が近付いていくのを黙って見ているほど、ソフィアリアは優しくない。
『っ! ラズくんっ‼︎』
ただ呼び止めようとしただけだったのだが、なかなか痛々しい悲鳴が自分の口から飛び出てくる。思っていたよりも心のダメージは大きかったらしい。
それでも二人の動きが止まる事はなく、その唇が重なる直前、あたりが真っ黒に染まった。
暗闇の中には、淡い光を放つソフィアリアと、抜け落ちた指輪だけが存在していて、他はかき消えてしまったようだ。
そんな世界で、ソフィアリアはノロノロと指輪を拾い上げると、胸の中に燃えるような憎悪が宿っていく。
リスティスが憎くて堪らなかった。ソフィアリアが得られなかったオーリムの愛を一身に受けた、あの女が……いや。
『……そう。こうやってリスティス様の夢に取り込まれていくのね』
本当に馬鹿らしいものだと、ふっと笑ってやった。
ソフィアリアは知っているのだ。オーリムが真実愛しているのはソフィアリアであり、ソフィアリアの運命も、王鳥とオーリムの二人と共にある事を。リスティスに嫉妬し、憎悪を向ける必要なんてどこにもない。
だから、こんな現実味のない夢なんかに付き合ってやる理由はないのだと、心に深く刻み込む。リスティスの薄幸を際立たせ、オーリムとの恋愛劇を彩る悪役になんてなってやるものかと、ギュッと指輪を両手で包み込んだ。
*
朝食の時間。すっかり寝坊が当たり前となったオーリムがいない隙に、ソフィアリアはみんなに事情を説明すれば、フィーギス殿下とマヤリス王女には案の定フォローされ、プロムスにそれを言ってくれればよかったのにと、ムスッとした表情を向けられた。
とりあえず謝罪を重ねつつ、その流れで今日ソフィアリアがしようとしている作戦をみんなに話す。昨日プロムスが予想していた通り、フィーギス殿下とラトゥスも手伝ってくれるらしい。
女性陣はともかく、男性陣の中で唯一足手纏いにしかなれなさそうなプロディージが心底悔しがっていた。今まで色々な情報を集めてくれたし、助けられてきたのだから、今回は見守ってくれるだけでも充分だと礼を言う。
そんなプロディージから昨日聞きそびれた憶測を教えてもらった。予想外の話に、驚愕の一言だ。
けれど、おかげで色々と腑に落ちた。何故リスティスとレイザール殿下が『ラズ様』を知っていたのかも、昨夜オーリムに感じた違和感の正体も。
全て語り終えたあたりでようやくオーリムが起きてきたから、オーリムの分の朝食を詰めたバスケットを渡し、学園に向かう事にした。
馬車の中。対面に座るオーリムの監視するような目がなかなか冷たいけれど、そんな事を気に病むほど、ソフィアリアは繊細ではない。
「うふふ、そんな熱い目で見つめられると、困ってしまうわ」
「違う」
だからほうっと恍惚とした表情を返せば、つれなくそう返されて、視線を逸らされる。
ソフィアリアが視線を逸らせばまた見つめられるから、顔を逸らしたまま手だけを振って見せれば、なんだか引かれている気がした。理不尽極まりない。
「楽しそうだな」
「この空気でも遊んでいられるんだから、さすがお義姉様だわ……」
ラトゥスからは感心したように、メルローゼからは呆れ混じりにそんな事を言われてしまったが。
プロディージに関していえば呆れを通り越して、付き合ってられないとばかりに本を読んでいる。今のオーリムと自分がどこか似ているような気がして、直視出来ないのかもしれないと予想。
そんなみんなには笑みを返しておき、オーリムに視線を戻す。
「ねえ、ラズくん。サンドイッチは美味しい?」
「その名で呼ぶな」
「もう、諦めの悪い御方」
「あんたがな」
わざとみんなの前でもラズ呼びをすれば、ギロリと睨まれつつも、バスケットに詰めた卵サンドを美味しそうに食べてくれるから、素直じゃないなとニコニコするだけである。まあ、その卵サンドをソフィアリアが用意した事なんて、教えていないからかもしれないけれど。
それにと、チラリとオーリムの指に嵌ったままの指輪を見る。
無意識かもしれないが、王鳥とソフィアリアとお揃いの結婚指輪を外さなかったらしい。その事に安堵した。あんな夢を見た後だから、尚更。
そうやって今のオーリムとの関係をそれなりに楽しんでいたら、馬車は学園に着き、教室に向かうと一年の――ソフィアリア達は留学期間中の――成績表が配られる。
これで、最初で最後の学生生活も終わりを迎えるんだなと思うと、寂しさすら覚えた。気分は卒業式だ。
「――たった一週間、それも飛び入りのような形で、クラスの一員として参加させていただきましたが、我々の通うビドゥア聖島の島都学園とはまた違った雰囲気の王立学園での生活は、実に有意義でした」
壇上ではフィーギス殿下が留学生の代表としてクラスメイトに謝辞を述べて、ソフィアリア達も後ろに控える。
「この学園での体験を参考に、これからの島都学園を今一度考え、新たな道を模索していこうかと思います。クラスメイトとして楽しく過ごした皆様との学園生活を、我々は生涯忘れないでしょう。ありがとうございました」
そう言って爽やかな笑みを浮かべながら鷹揚に頷いたのを合図に、ソフィアリア達は頭を下げる。
クラスメイトからは惜しみない拍手と、別れを惜しむような女生徒からのすすり泣きが漏れ聞こえてきた。
そこで鐘が鳴り、この教室とも本当にお別れだ。お昼を挟んだ夕方頃から行われる修了パーティは、ソフィアリア達の歓迎パーティが開催された多目的ホールで執り行われるので、教室に……この校舎に入る事は、もうない。
「あっという間だったわね」
クラスメイトや他クラスの生徒からの別れの挨拶も一通り終わったソフィアリアは、同じく終わったアミーと教室の隅でこっそり会話を楽しみながら、まだ列を成しているみんなが挨拶し終わるのを待っていた。
アミーはコクリと頷き、優しげに目を細める。
「ええ。学生って、こんな感じなんですね」
「ね。集団でお勉強をするのも、なかなか楽しかったわ」
「広く浅くといった感じでしたが、自分では手をつけないような色々な事を学べて面白かったです。……歌の授業は、どうかと思いましたが」
「あらあら」
と言いつつ、別に下手ではなかったのだ。ただ、人前で歌うのが恥ずかしかっただけだろうと、くすくすと笑う。
そうやって雑談をしていると、ようやくみんなの挨拶も終わったので、多目的ホールの控え室に向かう事になった。これから正装に着替えなければならない為、学園長が家の使用人を呼んでくれているらしい。ありがたい話である。
「お義姉様!」
移動中の廊下で聞き覚えのある声がして、思わず全員で立ち止まって視線を向ける。
視線の先にはリスティスと、予想通りルルスが向かい合っていた。
リスティスはいつも通りの無表情。ルルスは後ろで指を結んで、ニヤニヤと含みのある表情を浮かべている。なんだか嫌な感じだなと、ぼんやり眺めていた。
「……何かしら?」
「レイ兄様からの伝言よ。今夜のパーティね、わたくしと過ごしたいからお義姉様をエスコート出来ないって伝えておいてほしいって、わざわざ頼みに来てくださったの」
そう言って勝ち誇った笑みを浮かべるルルスに、リスティスは動じていない無表情を返す。
「……そう。わかったわ」
「ふふ、そういう事だから、ごめんね!」
それだけ言うと、スキップでもしそうな上機嫌さでルルスは去っていった。
それだけで、事情は察せるものだ。レイザール殿下は何をしでかすつもりなのかと溜息を吐く。
――まさか、ソフィアリアが見た夢のような事でもやらかす気なのだろうか。リスティスに王位を継がせる為に、レイザール殿下はわかりやすく汚名を被る気なのだろうか。
「……リスティ」
ぼんやりルルスの背中を目で追うリスティスを見て、オーリムは切なげな表情で名前を呼ぶ。
なんとなく嫌な予感がしつつも、まあそれもいいかと放置してみる事にした。チクチク胸が痛むのは、これで最後だ。
「ほら、さっさと行くよ」
不機嫌を隠しもしないプロディージがオーリムを睨みながら、そう催促する。
「だって。行きましょう、ラズくん?」
「その名で呼ぶな。あと、腕に勝手に絡んでくるな!」
さり気なく腕を取れば、怖い顔をして怒られ、振り払われてしまった。冷たいものである。




