居場所 5
王鳥と二人で木の陰に隠れているソフィアリアは、セイドベリーを黙々とつまんでいた。夕飯を食べていなかったので、今になって小腹が空いてきたなと思っていたら、王鳥に貰ったのだ。
王鳥の栽培しているセイドベリーは、セイドで作られるものよりも酸味が強めだ。セイドで収穫されているセイドベリーは甘味の方が強いが、これは本来のラズベリーに近いかもしれない。
「ピ?」
「ふふ、いえ。王様のセイドベリーもとっても美味しいですわ」
「ピピ」
それはよかったと優しく目を細めた王鳥は、再度くるくると扇子を回して眺めていた。
その扇子は王鳥から貰ったものではなく、ソフィアリアがセイドから持ってきた私物だ。念の為持ってきておいたのだが、まさか本当に使う事になるとは。
「ピーピ」
「まあ! 新しい物を贈ってくださる気なのですか?」
「ピ!」
「ふふ、ありがとうございます。なら、楽しみに待ってますわね」
そう微笑むと扇子を返され、セイドベリーを食べながらイチャイチャしていた。
やがてカチャリと音がしたから、息を潜めてそちらに視線を向ける。
そこには予想通りの二人が少し会話をしているのが見えて、うち一人だけがその場から離れたので、王鳥に乗って後をつけ、開けた場所まで来ると、前に躍り出た。
「プピィ」
「っ! 王鳥様っ⁉︎」
「こんばんは」
「ソフィアリア様もっ⁉︎」
その相手は、黒のローブで身を隠したプロムスだった。中には動きやすさ重視の黒い服を着ており、余闇に紛れるならピッタリな格好だなと思う。
王鳥の背中から降ろしてもらうと、非日常な今の状況を感じさせないような、いつも通りの笑みを浮かべた。
「こんな夜更けにお出かけかしら?」
そう尋ねると、プロムスは警戒したようにすっと目を細め、仄暗い瞳を隠すようにニコリと笑みを浮かべる。
「違いますよ。アミーが眠れないらしいので、ホットミルクでも作ろうかと思いましてね」
「そう。体調が良さそうでよかったわ。そのうち飲むのが辛くなるかもしれないけれど、身体にはいいから、飲めるうちに飲ませてあげてね」
「ええ。では、失礼します」
そう言ってソフィアリアを横切り、さっさとこの場から立ち去ろうとする。
「でも、ホットミルクを作る為だけにリスティス様のお部屋に忍び込むのは、どうかと思うわよ?」
背を向けたままそう指摘すれば、ばっとローブが翻り、こちらを振り向いた気配がした。
だからソフィアリアも振り向けば、プロムスはこちらを睨み付けている。今日は男性陣からよく睨まれる日だなと苦笑しつつ、お互い向かい合ったまま、何か言い出すのを黙って待つ事にした。
「……ほんと、ソフィアリア様は油断なりませんよね」
この時間を無駄だと判断したのは、プロムスの方が先だった。
警戒と牽制を含んだ空気をピリピリと肌に感じるが、それを気にしていないと主張するようにふわりと微笑む。
「ふふ、ありがとう。一応貴族として育ったから、嬉しい褒め言葉だわ」
「何故、オレがミゼーディア公爵令嬢のところに行くってわかったんです?」
一人称が内向きなものに変わっているので、冷静に見えて焦っているようだ。まあ、こんな事がバレたのだから当然かとも思うけれど。
ソフィアリアはう〜んと悩むフリをしつつ、手に持つ扇子をさり気なく開いて、口元を隠す。
「リム様想いのプロムスが、たとえ曲論だろうが手っ取り早い解決策が目の前にあるのに、手を伸ばさない訳はないわねってずっと警戒していたわ」
「曲論とは心外ですね。王鳥様も提示した正当な手段だと思っておりましたが?」
「他にも方法があるのに、自分の人生全てを賭ける方をわざわざ選択する事を曲論と呼ばず、なんて呼ぶのよ」
そうジトリと睨んでみても、この緊張感は緩和しない。
だからふうっと溜息を吐いて、少し聞いてみる事にした。
「それでも今まで耐えていのは、アミーの為かしら?」
「ええ、そうですよ。今のアミーは大屋敷で随分と楽しく過ごせているんですから、引き離すのは気が引けました。……今となっては、その判断を後悔していますがね」
「ふふ。アミーのおかげでわたくしは助かったわ」
そうアミーに感謝の意を表すると、今度こそ冷たい目で睨まれる。美形の睨みを効かせた顔は迫力満点だなとのほほんと思うだけで、怖がるほどの可愛げはないけれど。
だから飄々とした態度で、小首を傾げていられた。
「今日の事が決定打になってしまったみたいね?」
「昨日リムをソフィアリア様に預けた時点で、行動に起こすべきでした」
「プロムスには無理よ。いくらリム様思いだからと言って、アミーのお腹に子供がいるってわかったその日の内に即決出来るほど、アミーを蔑ろに出来ないわ」
「…………」
「でも、もう我慢の限界を超えてしまったのよね。観覧スペースでの事もあるし、レイザール殿下がリスティス様にリム様をあてがおうとする発言まで聞いてしまったから。だからアミーにも事情を話して、こうして行動に出たのねぇ」
呑気な顔をしながら頰に手を当てて溜息を吐けば、チリチリとした視線がより強くなる。
オーリムの事があるから殺気ではないと思うが、目的の為に多少傷付けるのは仕方ないと、決意を新たにしたのかもしれない。
王鳥もいるし、大事には至らないだろうと。実際その通りだと思うけれど。
「そこまでわかっているなら、どいてください」
「あら、どうして?」
「明日は修了パーティだってあるんですから、怪我なんてしたくないでしょう?」
「王太子の婚約者の暗殺事件なんで起きたら、パーティなんて中止になるわよ。リース様の進級証明も危うくなるし、そもそもわたくし達全員が重要参考人として、ビドゥア聖島にしばらく帰れなくなるわ」
「……しばらく行方不明って事にしますよ」
「レイザール殿下なら真っ先にわたくし達に疑いの目を向けるでしょうね」
「ならっ!」
「まあ何を言われたところで、通す気なんてないのだけれどっ!」
突然掴み掛かろうと伸びてきた手を反射的に扇子で受け流し、横にサッと移動する。
受け流されたプロムスは扇子にあるまじき重みに目を見開き、まじまじとソフィアリアを見ていたので、わざとらしく頰を膨らませてみせた。
「もうっ! お話中に手が出るなんて、あんまりだわ」
「……なんです? それ」
「言ったでしょう? 護身術程度の心得はあるって。わたくしはこの鉄扇を使うの」
――そう。この扇子はただの扇子ではなく、鉄扇だ。元はリアポニア自治区に流通していた護身用の武器らしく、一見扇子のようだが鉄で出来ている為、とても硬く重みがある。ソフィアリアは先生に護身術の一つとしてこの鉄扇を貰い、簡単な鉄扇術も身に付けたのだ。
まあ、気休め程度の心得しかない為、訓練をしていないゴロツキ程度ならまだしも、武人に勝てる程の実力はないのだが。
「……貴族令嬢って、そんな物も扱うんですか?」
「平和なビドゥア聖島では高位貴族のご令嬢でも、あまり扱える人はいないわね。軍事大国であるコンバラリヤ王国では、幼少期から習うみたいだけれど」
「なんでそんな物、ソフィアリア様が使えるんですか……」
「先生が先生だったもの。こうして役立つ日が来たんだから、なんでも習っておいてよかったわ」
そう言ってコロコロ笑って見せると、呆れたように溜息を吐かれ、だが表情をすっと引き締めていた。そういう得物を持つ相手だと、態度を改めたのだろう。
誰よりも強いプロムスにそんな事をされれば、ソフィアリアにはもう勝ち目はない。初見は躱せても、二度目はないだろう。
だから早々に降参する事にした――いや、今から話す内容を考えれば、余計に激昂させてしまう気がするけれど。
「……わたくし、プロムスには謝らなくてはならない事があるの」
「なんです?」
「本当はね、リスティス様に現実を受け入れてもらう事なんて、すぐに出来たわ。それをここまで引き伸ばしていたのは、わたくしの我儘のせいだったのよ。……ごめんなさい」
眉尻を下げながら素直にそれを告白すると、プロムスは怒りで目を吊り上げた。




